旧稿を温めます

2015/05/24

アウグスト・ペイショットの終末への追懐

High

→ Augusto Peixoto 作「high」 (画像は、「. T h e A r t O f D r e a m s .」より) 「 T h e A r t O f D r e a m s.」によると、アウグスト・ペイショットはポルト(ポルトガル)在のデザイナー(March 24, 1971生)。彼によると、在住するポルトは、芸術的インスピレーションを得るに最適の地だとか。ミステリーと憂愁に満ち、同時に喜びと活気に溢れていて、彼の創作に反映しているようだ。

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2015/05/23

IT is キラー・クラウン

 ピエロは嗤う。あなたを、世間を、世界を、そして自分を。
えっ、舌をペロッと出してるって? ベロが鏡に釘付けされているのさ、なんて言って信じる? あなた。

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← ピエロ姿のジョン・ウェイン・ゲイシー 「ジョン・ウェイン・ゲイシー (John Wayne Gacy, 1942年3月17日 - 1994年5月10日)は、アメリカ合衆国生まれの連続殺人者」。(以下、コメントや画像は、「ジョン・ウェイン・ゲイシーまとめ【ゲイシーが描いた絵画】 - NAVER まとめ」より) 

 心は殴られ潰されてしまった。涙の河は行き場を失い眼窩へと流れ込む。
 サテンだったはずの衣裳は、まるで心と体を甚振るように、風と戯れる。風に舞う。

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2015/05/22

Yaga Kielbの澄明なる迷宮世界へ

 今日は、休日。午前中は、この数日、車中で読んできたジュディ・ダットン著の『理系の子 高校生科学オリンピックの青春』横山啓明訳 文春文庫)の残り百頁ほどを読み切った。
 まさに青春もの。日本は理科系、文科系と、何処かでまったく別世界へ分けられるように選別され、違うコースを歩んでいく。数学(数式)に弱い人は自動的に文科系へ。

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→ 「セイレーンの誕生(Sirens birth.)」 by YagaK (「セイレーン - Wikipedia」参照) (以下のアート画像は全て、「Yaga Kielb」より)

 しかし、科学も芸術的センスが必要だし、文系の学問や絵画や音楽だって、数学的センスが必要だったりする。
 本書を読むと、文系理系の区別の無意味さを感じる。女優を志望する少女が、気がついたら科学の世界へっても、当たり前にあるアメリカ。文化の地力の差を感じてしまう。

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2015/05/21

ヴィルヘルム・ハンマースホイとリルケ

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→ ヴィルヘルム・ハンマースホイ「陽光、あるいは陽光に舞う塵 (1900) (画像は、「ヴィルヘルム・ハンマースホイ - Wikipedia」より) 「宮殿などの建物や都市近郊の風景を題材にした風景画も制作しているが、ハンマースホイの描く風景には人物がほとんど登場しない」 ネット時代の恩恵。ネットサーフィンしている中で、いつだったか遭遇した。何か気になる。不思議な孤独感。シャイとも違う。人の内面と正面から向き合うのが怖いのかもしれない。でも、人からは離れられない…

 今日は、何も語らない。掲載した絵の数々を眺めてもらえればそれでいい。

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2013/03/21

アルトドルファー:風景画の出現(前篇)

 過日より、就寝前や寝起きのときなどに、越宏一氏著の『風景画の出現 ヨーロッパ美術史講義』(岩波書店)をちびりちびりと読んでいる。豊富な画像が載っていて、本文の記述も興味深く、それこそ濃厚な風味のワインを喫するように少しずつ。

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→ アルブレヒト・アルトドルファー 『ロトと娘たち Lot and his Daughter』 (画像は、「アート at ドリアン 西洋絵画史・ギリシャ神話・聖書の物語」より)

 本書のことは、拙稿「空と山を眺め描くのみ…ラスキン」の中で言及している。
 が、その時は、本書はネットでその存在を知っただけで、まだ手にしていなかった。

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2012/01/22

「甲斐庄楠音」に再会す

 栗田勇著の『花を旅する』(岩波新書)を寝入る前、パラパラと捲っている。
 するとその「七月 百合」の章で「甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと)」なる名を久しぶりに目にした。
「大正七年頃、「日本創画会」でデビューした、得意な女人を描いた」画家である。

 彼の描く女人の画は、一度目にしたら印象深く刻印されてしまう。
 但し、個性(アク?)が強く、好印象が残るとは限らない。

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← 岩井志麻子著『ぼっけえ、きょうてえ』(角川ホラー文庫)  表紙の絵は、作品名「横櫛」。

 小生が甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと、明治27年(1894年)12月23日 - 昭和53年(1978年)6月16日)の存在を、というか絵を初めて目にしたのは、岩井志麻子著の小説『ぼっけえ、きょうてえ』(角川ホラー文庫)で、発表当時、評価も高く評判を呼んだもので、当時既に我輩の生活が困窮に瀕していたにも関わらず、敢えて単行本を買って読んだものだった。

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2012/01/04

三つ子の魂を保つ画家

 幼児や低学年の小学生の絵を見ていて思うのは、その<天才性>である。技術や経験が未熟なのは仕方がないとして、その描かれる作品の中に、時折、びっくりするような作品に出会うことがある。クレーやミロを思わせるような、突拍子もない、だけれど未熟で感性の皮膚が薄く柔らかいが故の、現実の世界を生のままに感じ描いたとしか思えない作品を目にすることがあるのだ。

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← 「幻想オペラ劇「航海者」の戦いの場面」 (1923 39x29cm パリ、ハインツ・ベルグリューエン蔵 ) (画像は、「ヴァーチャル絵画館」より)

 以前、もう、7年ほど前のことになるが、それまで区役所として使われてきた建物が老朽化したこともあり、区役所が新しい場所に移転することになった。
 当然、古い建物は解体され、今の図書館をふくむ情報センターが出来たのだが、その工事の間、工事現場の周りがフェンスで囲まれていた。

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2011/11/19

前田普羅のこと(前編)

 恥ずかしながら富山出身の身でありながら、前田普羅の存在を知ったのは、つい最近のことである。
 奥野達夫氏から、『青花堂(しょうげどう)』という小冊子(非売品)を贈呈していただいた。その直前に我がサイトが5万ヒットしたばかりだったので、そのお祝いに戴いたような、勝手な受け止め方をつい、したものだった。

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 小生が、前田普羅の存在を認識したのは、実にこの冊子を読んでのことだったのである。

 さて、この「青花堂」という名称だが、これは、版画家の棟方志功が恩義を受けた石崎俊彦氏に呈した堂号である。この小冊子には棟方志功が俳句の雑誌『古志』(昭和22年3月1日発行)に寄せた一文「青花堂先生」が冒頭に載せてある。

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2011/06/05

『ドイツ・ロマン主義の風景素描』を巡って

               (前略)

 小生がフリードリッヒに惹かれ始めたのは、学生時代のことだった。このことは別の機会に書いたので省略する(関連拙稿参照)。
 小生が上京した78年に、まさしくこの国立西洋美術館において、『フリードリッヒとその周辺』展が開催されていたのだった。
 フリードリッヒを巡るその展覧会は、まるで東京にやってきた小生を歓迎するかのようだった。4月の下旬だったと思われるが、確かその日も、シトシト雨いが降っていて、美術館の休憩所で一休みし余韻を楽しみながら、雨の中庭の風景などを眺めていたことを覚えている。

 その後も、何かの企画展に扱われる画家の一人として、フリードリッヒの作品に遭遇したことは二度ほどあったように記憶する。今度の展覧会も、副題は「ユリウス・シュノルの「風景画帳」、フリードリッヒ、コッホ、オリヴィエなど」となっている。
 しかし、とにかくフリードリッヒの作品に会える!

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ウエルベック著『素粒子』と文学の命

 ミシェル・ウエルベック著『素粒子』(野崎 歓訳、筑摩書房刊)を読了した。フランスでベストセラーになり、様々なスキャンダラスな物議を醸し出したという本書は、既に読まれた方も多いだろう。

9784480421777

← ミシェル・ウエルベック著『素粒子』(野崎 歓訳、筑摩書房刊) 「人類の孤独の極北に揺曳する絶望的な“愛”を描いて重層的なスケールで圧倒的な感銘をよぶ、衝撃の作家ウエルベックの最高傑作」だって。

 文学に疎い小生は、昨年末、近所の図書館で年末年始の休暇中に読む本を物色していて、本書を見つけた。全くの未知の本だった。その前にG・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を手にしていたのだが、他に何かずっしり来る本はないかと探していて、単にタイトルに魅せられて、ちょっと手を伸ばしてみただけのつもりだった。書評などで採り上げられていたのかどうかも、まるで知らなかった次第なのである。
 パラパラと捲ると、文章に力がある。これは読んでもいいというサインだ。

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