富山情報

2018/11/09

芭蕉に「何もないっちゃ」と答えたわけは

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← 堀田善衛著『若き日の詩人たちの肖像 〈下〉』(集英社文庫) 「“しかと定めもつかぬ颶風が荒れ狂い、その風の吹くまま”右へ左へ流されてゆく若者たち。荒涼たる時代の空間をえがきだして、戦中の暗い時間の中に成長する魂の遍歴の典型をつくりだして、青春の詩と真実を生き生きと伝える自伝長篇完結篇」。

 堀田善衛著の『若き日の詩人たちの肖像 〈下〉』を今日(日曜日)から読み始める。実に面白い。いろんな意味で筋金入りの人物だ。

 富山県では、遅まきながら観光に力を入れている。
 一度、県が主催する観光のセミナーに出たことがある(会社からの命令で)。

 その場で県知事が強調したことがあった。

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2011/11/19

前田普羅のこと(後編)

 上掲のサイトによると、「全国を踏破し、日本の自然の特徴とその美観を説いた志賀重昴(しげたか)の『日本風景論』(明)は、少年時代の普羅に強い印象を残した」ことが、【わずか5分で来富決断】に預かって大きかったという。

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 また、「少年の頃(ころ)から普羅は自然科学に強い関心を持っていた」とのことで、「横浜の記者時代、胴乱を下げ毎月の植物野外採集の会に参加しては、牧野富太郎博士等の指導を受けることが楽しみだった」という興味深い記述も見受けられる。

 かなりの読書家らしかったが、「そのうちの多くは科学書・科学雑誌であったようだ」という。

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2009/12/11

やっと「斎藤真一」に出会う

 もう、5年と半年余り前、「古川通泰のこと」なる記事を書いたことがある(昨年、「「古川通泰のこと」再掲」としてブログにアップした)。
 この小文に関連して、ほぼ同じ頃、「斎藤真一のこと」と題した一文をも書いた。

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← 斎藤真一「紅い陽の山脈」(油彩) (画像は、「斎藤真一(斉藤真一) 作品一覧 | 銀座画廊おいだ美術 絵画販売・絵画買取」より)

 その冒頭に、「古川通泰の油彩を見て、ある画家の絵をふと思い浮かべたのだが、すぐには名前を思い出せなかった。昨日一日、仕事をしながら、誰だったろうと、折に触れて脳裏を巡らしていた。やっと分かった。そうだ、斎藤真一だ(以下、略)」と書いている。

 この「斎藤真一のこと」なる記事を書いて以来、いつかは画集などの形ではなく、実物の斎藤真一作品を見たいと思いつつ、果たせないできた。

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2009/11/29

木版画家・鈴木敦子展へ

 日曜日だった今日、午後、五月の中旬だったか、咲き終えたチューリップの球根を前の庭に植えた。
 昨年はここだけではなく、他に二箇所にもチューリップ畑を造成したのだが、来年は、今の所、この一箇所だけ。
 ちょっと畑や庭仕事の余裕がありそうにない。
 でも、せめてあるだけの球根は活かしたくて、慌しく植えたのである。

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→ 初めて足を運んだ「Gallery NOW」のエントランス付近の佇まい。

 そのうち、ふと、忙しいと言っているばかりじゃ、悪循環となってしまうだけ。
 思い切って外出しようと、車で今日で終了する展覧会へ出かけた。

 目当ての画家の作品に、実物に出会えるのだ。
 
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2009/10/14

「富山市美術展 2009」を観て来た(下)

 会場内をせかせかと見て回った…というより歩き回ったもので、書(書道)や工芸、写真などのコーナーは、今回は立ち入ることもしなかった。
 書(書道)や工芸(造形)作品は苦手という意識も働いて、ついつい敷居が高く感じられるようでもある。

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← 鉾木久雄「雪の山門」(入選)

 さて、絵の鑑賞で下手な感想など書かない。
 以下、旧稿からモノローグを少々、転記して示す。
 特に意味はない…のだが。

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2009/10/12

「富山市美術展 2009」を観て来た(上)

 富山県民会館美術館にて開催されていた(会期は、10月6日(火)~12日(月))、「第5回 富山市美術展 2009」を鑑賞に行って来た。
 ネット(のみ)での交流の(少し)ある方の作品が出品されている、しかも、その作品は市展大賞を受賞されているということで、チラッとでも実物を見ておきたかったのだ(例によって、敬愛の念を籠め、勝手ながら敬称は略させていただく)。


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← 古田恵子「Cocoon 混沌の分解」市展大賞

 倒壊した杉の木の片付けやらお見舞い、家事、アルバイトなど慌しい中を縫っての、束の間の静謐の時…。
 のはずだったが、会場が広いこともあり、多数の作品を一通りは見ておきたいという欲求も湧くもので、日常以上に駆け足の、慌しい鑑賞となった。

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2009/10/01

「南桂子と谷川俊太郎展」の周辺

南桂子と谷川俊太郎展」が18日、上市町郷柿沢の西田美術館で始まっていることでもあり、南桂子(の版画)について、ちょっと触れてみたい。
(この展覧会は、「高岡市出身の銅版画家、南桂子さん(明治44~平成16年)による銅版画と、詩人の谷川俊太郎さんの詩集の挿絵として描いたペン画を谷川さんの詩とともに紹介している。10月25日まで。西田美術館、北日本放送、北日本新聞社主催」というもの。詳しくは、「北日本新聞社 富山のニュース 詩の世界を表現 上市・西田美術館「南桂子と谷川俊太郎展」」を参照のこと。)

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← 南桂子「花束を持つ少女」(1980) (画像は、「南桂子 Keiko Minami / ギャルリー宮脇」より)

 南桂子の版画については、名前までは知らなくても、作品を見ると、ああ、どこかで見たことがある、柔らかく、暖かかで、郷愁の念を掻き立てるようでもあり、とても親しみやすい…といったような印象を少なからずの方が持たれたのではなかろうか。
(以下、例によって敬愛の念を籠め、敬称は略させてもらう。)

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2009/07/01

映画『劔岳 点の記』の周辺

 映画「劔岳 点の記」(原作:新田次郎『劔岳 点の記』(文春文庫刊) 監督・撮影:木村大作 出演者:浅野忠信 香川照之 松田龍平 宮﨑あおい 仲村トオル 役所広司 石橋蓮司 鈴木砂羽!)を観てきた。

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← 前日に街中でこんなポスターを見かけたのが、映画を見に行った動機のひとつになったみたい。やはり、見なくっちゃ!

 富山は地元だけあって、先行上映されていて、山好きな父も早々と観てきていた。
 小生もようやく重い腰をあげて映画館のある町へ車で。
 エアコンが(も)壊れている車なので、曇天の日に出かけたかったが、父母がデイサービスに行っていて、不在の間にと思うと、天候のことより、家庭の事情やタイミングで行くしかない。

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2009/05/15

小寺菊子作「念仏の家」(一・二・三)

     念仏の家

        一

 私の家の祖先は、越中の國水橋といふ小さな漁村の生れであつた。
『有磯(ありそ)の海』といふのである。枕の草紙に、『渡りはしかすがの渡、こりずまの渡、みづはしの渡』とある。その水橋である。文治二年正月末、源義経主従十七人が山伏の姿となつて奥州へ落去の途次、京都堀川を忍び出て、越前に入り、安宅の関をすぎ、倶利伽羅峠をこえて、越中に入り、水橋川を渡つた――といふ史話がある。鎌倉時代、富山城より二十四年おくれて、小さな城が築かれ、天正六年に姉崎和泉守が、水橋城で討死してから廃城した――と伝へられてゐる。
 明治十一年――明治天皇が北國御巡幸の際、九月三十日午前十一時五十分、鹵簿粛々として東水橋町に御着輦になり、広瀬といふ旧家に御座所を設けたが、その時の行列は八百三十五人、乗馬は百十五頭で、天地開闢以来嘗てない壮観を極めた――と郷土小史に書きのこしてある。その水橋である。短歌俳句の愛好家が多く、芭蕉の像を祀つて運座の会が開かれたりすることは、富山市と変りがなく、私の父もその水橋の旧家に生れた一粒種の青年であつた。土地柄売薬を業としてゐたが、明治十一年ごろ富山市に移り、前田藩の士族で、祖父は町奉行、父は和歌徘徊の先生をして御殿に使へた浅野家の娘(私の母)を嫁に貰つた。悠長な士族の家に育つて、遊芸三昧に日を暮した私の母は、商家の家風とは何事も合はず、姑に苛られて、年中出るの入るの騒ぎをしてゐたのである。
 汽車が水橋近くに進むと、私の心が動揺した。二十年前にちょつと帰省したときも、酒屋をしてゐる『尾島屋』といふ本家に一泊したが、その後お互ひに年賀状さへも絶えてゐるので、家族の生死すら今は不明なのである。なんとしても感傷的にならざるをえない。蜃気楼で有名な魚津、それから滑川、そして水橋、水橋とよんだ。昨日は黒部峡谷の秋色を探るために宇奈月温泉で一泊したが、宴会や何かでひどく盛つてゐた。けれど今日の汽車は殆ど空つぽで、私は一人悄然と下車した。午後四時ごろで、空がどんよりとくもつてゐた。落莫とした小さな駅だから、赤帽なんかもゐない。荷物をどうしたものかと、そこに立つてゐる駅長に訴へると、それでもバスの車掌をよこしてくれた。長い年月、都会生活に慣れた私の眼には、心の底から寒々とするほどの侘しい村であつた。

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2009/05/14

小寺(尾島)菊子のこと(追記)

 先ごろ、『近代女性作家精選集 035 復刻 深夜の歌』(尾形 明子監修 小寺 菊子著  ゆまに書房)を読むことが出来た。
 図書館でダメもとで予約を試みたら、あっさり借りられた。

01959574

→ 『近代女性作家精選集 035 復刻 深夜の歌』(尾形 明子監修 小寺 菊子著  ゆまに書房)

 復刻版だから、誰でも読めるわけだ。
 元の本(教文社)を115%に拡大しての復刻で、誤植も含め元通りの体裁で読めるわけである。

 小寺菊子の師である徳田秋声による「序文にかへて」が本書の冒頭に載っている。
 短文だし、参考にもなろうと思えるので、転記しておく(旧字を新字に変えた):

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