思い出話

2008/04/24

バナナは木ではなく草である:日記篇

サルガオセモドキに遭遇!」(2008/04/14)にて、「過日、家族らで「富山県中央植物園」へ行ってきた。そのレポート(日記)は時間があれば別個に書く(かもしれない)が、ここでは番外編的にあることについてメモしておきたい」と書いている。

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← 知り合いの車で一路、「富山県中央植物園」へ

 が、いきなり番外編を書いたきり、レポート(日記)のほうは手付かず。

 訪れてからもう十日以上も過ぎたので、日記的なことは書けそうにないので、画像の一部を公開するのがメインになりそう。
(書いているうちに余談癖・蛇足癖の虫が蠢(うごめ)きだして長くなり、次回(後篇)は「余談篇」をアップすることになる。)

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2008/04/23

竹中英太郎…懐かしき妖美の世界

 探偵小説と推理小説との間に違いはあるのだろうか。それぞれの名称の使われた時代(それに伴う時代背景)の違いということくらいはすぐに思い浮かぶが、しかし、ただ思うのは探偵小説(当然、推理小説)の諸作品を印象付けるのに挿画や装丁、表紙の絵なども影響に大きく預かっているとは言えるだろう。

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← 竹中英太郎・画 『探偵趣味』7 表紙/昭和6年 (画像は、「弥生美術館・竹久夢二美術館 生誕百年記念 竹中英太郎と妖しの挿し絵展 ~エロティシズムとグロテスク ・・・闇にきらめく妖美の世界~」より)

 小説を読みながら想像を時に妄想を逞しくしたものだが、特に少年向けに編集された探偵小説を読んだころなど、文章と同じくらい、時にはそれ以上に挿画に刺激されたものだった。
 頁を捲ると何かの挿画が目に飛び込んでくる。
 と、その絵に描かれる場面は一体どんなものかと、絵を説明してくれる記述を逸る心ももどかしく探したりしたものである。

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2008/03/22

ルイス・ウェインの猫(その2)

 この本を手にする前の年、大岡信著の『抽象絵画への招待』(岩波文庫刊、1985年)を買って読み、抽象絵画やアール・ブリュ、アンフォルメルのアートへの関心を抱き始めた。

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→ Louis Wain "Untitled" - c.1933, watercolour & bodycolour, 9 x 7.5 ins (画像は、「Henry Boxer Gallery presents Louis Wain」より)  これもウェイン本人にしてみれば、愛情タップリに猫を描いているつもりだったのか。

 正常と非正常との敷居などあってなきが如し。
 しかし、同時にそこには牢固たる壁があるのも事実。
 心が壊れる恐怖。後戻りできない蟻地獄。

 当時の心境などを数年前の記事に綴っている。転記する:

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2008/01/22

山水画…中国絵画の頂点か

 ブログでのマイブームテーマである「水」「海」「霧」「川」「雲」「空」などの延長で、長々と西欧の風景画を観てきた。多分、もうしばらくはこうした風景画という脇道・寄り道は続くものと思う。
 主に欧米の風景画を、無論、ほんの一瞥程度にしかならないが、それでもそこそこには見てきたが、日本の風景画も見ておきたいし、なんといって中国の風景画…山水画を見ておきたい。いや、観たい。
 93年だったか会社の慰安旅行で台湾へ行き、故宮博物院で中国の至宝の幾許かを観たが、小生の一番の関心事は水墨画であり山水画だった。

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← 郭熙『早春図』(画像は、「経典芸術書画」より)

 台湾(台北だったか高雄だったか忘れた)の何処かの旅行客相手の土産物店でも、物色したのは水墨画だった。無名か、それとも有名な誰かの複製品だったか、水墨画の掛け軸を一品、柄にもなく買い求めたものだった。

 しかしながら、そのとき、どれを買うかで迷ったのも事実。狭いとは言えないショップには何十点という掛け軸が吊り下げられている。その中からどれを選ぶかで迷ったわけではなかった。
 実は、直感でほとんど迷わず、これ、という作品に目が行ったのである。惹き付けられたというべきか。
 が、手元不如意で、やや予算オーバー。
 他に一点、まあまあ気に入ったのがあり、それは予算内に収まる。
 要は、予算内の山水画を求めるか、小遣いでは足りないが(一緒に買物に来ていた同僚におカネを借りて)思い切って、一目惚れした作品を買うか、その二者択一で迷ったのである。

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2008/01/02

宮沢賢治から昇亭北寿へ飛びます!

宮沢賢治の童話と詩 森羅情報サービス」をベースに配信している「宮沢賢治 「Kenji Review」」というメールマガジンを愛読している。
(メルマガ配信と同時に(相前後して)、ホームページにもメルマガと同じ文面が載るようだ。)
 このメルマガ(記事)の内容は、今回は特に小生にはタイムリーだった。好きな宮沢賢治の話題であり、且つ我がブログでも時折採り上げている、これまた小生の好きな(浮世絵)版画と賢治との関わりを話題の俎上に乗せてくれているのである。

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→ 昇亭北寿『江之嶋七里ヶ濱』(1818~29) (画像は、「江の島の浮世絵 昇亭 北寿」より。HP:「江の島(江ノ島)マニアック」) 以下に続くどの作品(一枚は除く)についても言えることだろうと思うのだが、現代の刷師らの手で改めて刷り直してもらったなら、さぞかし見栄えがまるで違うことだろうにと思う。画像で目にするものとは、多分、江戸の世に刷って売りに出された色合いとは随分、違うのではなかろうか。

2007.12.22 第461号(「松の針」) 」では、まず同人誌仲間である保阪嘉内宛ての手紙が紹介されている。
 この手紙の文面がまた興味深いが、ここでは勿体無いが素通りする。

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2008/01/01

前田常作:曼陀羅画に壺中天!

 明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。
 今年もよろしくお願いいたします。

 …ということで、今年の第一弾。
 多分、豊かな世界が描き示されている曼陀羅画の世界。というと、故・前田常作氏!

出来たばかりの郷里の公園を散歩した」なる記事を大晦日の日にアップした。
 話題の焦点の場所は「富岩運河環水公園」。

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→ 『浄土曼荼羅図』 (時代 鎌倉時代 世紀 14c 素材 絹本著色 寸法 H-89.8 W-41.3) (画像は、「ミホミュージアム - MIHO MUSEUM」より) 詳しくは、「解説 - MIHO MUSEUM」にて。以下、全ての画像が拡大可能です。

 郷里の家から歩いても十分ほどの公園。
 当然ながら、その公園に行ったことがあるし、写真も撮ったことがある。
 その折に撮った画像を上掲の記事に載せたい。
 が、撮り溜めた画像のファイルを覗いても元の画像が見つからない。
(多分、先月(11月)、パソコンに画像ソフトが異常な徴候を示したので、専門家のアドヴァイスもあり、多くの画像をファイルごと、ごっそり削除した、その際に、運河での夜景の写真、雪景色の写真類の元データも消滅してしまった…のかもしれない。)

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2006/01/11

五木寛之著『風の王国』

 前回(「二上山のこと山窩のこと」参照)、小生は、「奈良の二上山は、(にじょうざん)と読むが、高岡の二上山は(ふたがみやま)と呼ぶ」と書いた。
 このことに間違いはないのだが、五木寛之の『風の王国』(新潮文庫)を読み進んでいって知ったことは、奈良の二上山(にじょうざん)も、昔は、<フタカミヤマ>と呼んでいたということ。
 やはり、この読み方のほうが、雰囲気が出る。
 高岡の二上山は、「ふたつの神という意味もある」「古代から神の山と崇められて来た」山である。

 奈良の二上山(フタカミヤマ)は、どういう謂れがあるのだろう。「標高515メートルの雄岳(北側)と474メートルの雌岳(南側)の二峰」があり、悲劇の皇子である大津皇子の墓があるからなのだろうか。
「サヌカイト」、「凝灰岩」、「金剛砂」の3つの石がある特別な山という受け止め方が古来よりあったのだろう。眺望も、前稿に記したように、「山頂付近からは、日本史の数々の舞台となった大和平野が一望でき、雄岳から雌岳へ向かう途中からは河内平野と大阪湾、雌岳の向こうには葛城、金剛 の山並みを望むことができる」ということで、この地に遣って来た渡来の人々の出自の風景を強く連想させるものだったのだろう。
 ついでながら、二上山のあれこれや万葉集の中の大津皇子らの歌などを親しみやすく紹介しているサイトがあった:
 http://www4.kcn.ne.jp/~t_kankou/kanko/nijyo/main.html(削除されたのか、今はこの頁が見当たらない。06/01/11注記)

 このサイトの中の、「折口信夫 (おりぐちしのぶ)」の項を読んでいて、折口信夫(釈迢空)の小説『死者の書』が、(恐らくは)「大津皇子をモデルに描かれ」ていることを思い出させてくれた。やはり、彼の本は読まないと、古代のことも理解が深まらない。

 さて、五木寛之の『風の王国』を読み進めて、小生の不明がまた露見してしまった。小生は、「近代において、山々を遊行する人びとを時に山窩などと賎称した。明治以降、政府は、戸籍に載らない、こういった流浪の民を徹底的に弾圧したり、戸籍に組み入れて行ったりした(国の民を一人残らず把握し、税を徴収し、兵力として活用する必要などがあったのであろう)」と記し、その上で、「最終的に完遂したのは、十五年戦争当時だったとも聞いたことがある」と書いた。

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