美術エッセイ・レポート

2008/05/08

デューラー『メランコリア I』の周辺

 帰省して図書館事情が貧相で、本の借り出しも侭ならず、郷里に辛うじて残っている本をちびりちびりと読む日々である。
 その中の一冊に若桑 みどり 著の『イメージを読む』(ちくま学芸文庫)がある。93年の刊行。

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← 若桑 みどり 著の『イメージを読む』(ちくま学芸文庫) 但し、小生が所蔵しているのは、「プリマーブックス 69」のもの。

 15年ぶりに読むとほとんど初めて読むような、でも読み出してみると、ああそういえばそんなこと書いてあったっけ、なんて思い出されてくる。
 中には、おや? こんな記述、あったっけ、という件があったりする。

 それは、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer, 1471年5月21日 - 1528年4月6日)の銅版画『メランコリア(Melencolia)』についてのこと(ちなみに、『メランコリア(Melencolia)』は、日本語では『メレンコリア』とも表記されるようだ)。

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2008/05/06

クリス・クゥクシ(Kris Kuksi)

 ひょんなことから「クリス・クゥクシ(Kris Kuksi)」という存在を知った。
 何処かで見たことがあるような気がするのは、ギーガーを思わせる雰囲気があるからか、芸術新潮か美術手帖の特集を垣間見たことがあったからか。

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→ 『Church Tank Type 5A』 (画像は、「kuksi.com」(Official Website of Kris Kuksi)より)

 既にネットの世界でも注目を浴び始めているようだ。
A. Kris Kuksi」(2007.03.10)では、「バロック建築を思わせる超過剰装飾」とか「ギーガーを思わせる陰鬱な雰囲気」、そして「ヒロエニムス・ボシュを尊敬しているらしい」などと書いてある。

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2008/04/19

死の画家ティスニカル(4)

 今も相変わらず引越しの後片付けが続いている。
 納屋にあった古い家具や器具、書籍などが庭先に山積みになっている。
 その上にビニールシートを被せている。

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← 東京での我が部屋。東京を去る最後の日の朝の室内の様子。

 そのうち、業者に回収してもらうつもりでいたが、おカネがないので粗大ゴミの類いを解体しバラバラにして、燃えるゴミ・燃えないゴミ・金属・プラスチックなどに分類し、それぞれのゴミの日に少しずつ出していくことにした。
 この作業、週末に細々とやっていくので、二ヶ月は掛かりそう。

 本稿も、これまで同様、徳田良仁著の『芸術を創造する力』(紀伊國屋書店)からの転記であり、「死の画家ティスニカル(3)」に続くもの。
 今回が最後。

 === === === === 

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2008/04/18

死の画家ティスニカル(3)

 今日の昼過ぎはトイレ(男子用)掃除。過日は液体洗剤を塗布。今日は、鍋の焦げ付きを磨くタワシでゴシゴシ。深長にやったつもりだけど、やっぱりトバッチリを少々。

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→ 画像の真ん中の黒い点。実は我が家の庭を横切る近所の猫。黒猫に見えるが、濃いグレー。毛並みがいい。これ以上、近寄れない!

 本稿は、「死の画家ティスニカル(1)」「死の画家ティスニカル(2)」につづくもの。前回に引き続き、徳田良仁著の『芸術を創造する力』(紀伊國屋書店)からの転記である。
 では、さっそく続きを。

  === === === === ===

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2008/04/15

死の画家ティスニカル(2)

 本稿は、「死の画家ティスニカル(1)」の続き。「チンドン大パレード」関連の記事が予想外に大作(?)になって、十日ほども間が空いてしまった。

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← 富山の市街地にて。4月6日、チンドンパレードへの途上で発見・撮影。

 チンドンコンクールと死の画家ティスニカルとの世界のあまりの違い! 
 でもどちらもこの世の営みに他ならないのである。

 では、早速、「死の画家ティスニカル」の世界へ。
 前回に引き続き、徳田良仁著の『芸術を創造する力』(紀伊國屋書店)からの転記である。

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2008/04/06

死の画家ティスニカル(1)

 夜はアルバイトで、帰宅が夜中の三時前後。洗い物したり、茶の間の片付けしたり、チラッとネットを覗き、本を片手に四時ごろ就寝(ほとんど読めず)。
 朝は八時過ぎに起きて、また三食の準備やら片付け、買物、掃除、合間にネットと居眠りと本(久しぶりにフロイトの文学論・芸術論……やはり疲れていて読めない)。
 近所でバードウォッチングと洒落込みたいが、庭先に来たスズメを撮るのがやっとの惨状である。
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→ 「全日本チンドンコンクール」 今日(6日)で終わる。

 昨日の午前はトイレ掃除。この前は男子用トイレ。今回は大のほう。小生が用を足すたびトイレットペーパーで拭いたり、ブラシで擦ったりしていた。それで十分かなと思っていた。
 油断だった。甘かった! 快晴の日中の明るい光が入り込むと便器(ウォシュレット)の汚れが目立つ!
(ちなみに、ここだけの話、我が家にウォシュレットが設置されて、帰郷する楽しみが増えた! と思ったものだった。癖になりそう(癖になっている人、異次元の悦びに目覚めた人もいるんだろうなー))。

 せっせせっせと洗いましたとさ。
 誰にも気付かれないけど、まあ自己満足。
 親戚の者も来るし、トイレは綺麗にしておかないと。

 こんな日々が続く中、ネットでの美を求めてのサーフィンがほとんど唯一の息抜きであり楽しみである。バッハやショパン、モーツァルトのCDを聴きながらってことが多い。
 たくさんあった音楽テープやレコード盤は、引越しの際、全て捨ててきた。
 カセットも本も何も当分、買えそうにない。十数枚のCD(半分はサンバ関係)だけが友であり頼りである。

 さて、閑話休題。本題に入ろう。

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2008/04/01

キアズマ

 ここ数年のことだと思うのだが(小生が気づいてから数年なのかもしれないが)、「キアズマ」という言葉をたまに見聞きする(哲学では浅田彰あたりが異種交配的意味合いで使っている)。
 と思ったら、「ステファニー・バレンティン:顕微鏡下の美」なる記事をつづる際にも、この言葉に際会。
 せっかくなので、ちょっと気になるこの専門用語と思われる言葉「キアズマ」を巡って若干のメモを試みる。

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→  山下洋輔トリオ『キアズマ』 (アーティスト), 山下洋輔 (演奏), 坂田明 (演奏), 森山威男 (演奏)  「坂田明,森山威男を擁する伝説の山下トリオの,75年のドイツでのライヴ・レコーディング」! 75年だって。さすがにミュージシャンの感性は鋭い。文末参照。

 その名も「キアズマ」(ホームページ:「横浜国立大学大学院 環境遺伝子工学研究分野」)という頁がネット検索で上位に浮上した。
 そこには、「相同染色体にとって大切な”絆”」とした上で、以下のように説明されている:

新しい遺伝的組合せを作るためには、相同染色体同士が一部交叉することが必要です。交叉によって生じた”結び目”が、キアズマです。交叉は、ほとんどの生物において、2個の相同染色体を別々の娘細胞の核へと正しく別れさせます。キアズマは両親それぞれから1本ずつの相同染色体を減数第1分裂後期までまとめておく役割を果たしています。

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2008/03/22

ルイス・ウェインの猫(その2)

 この本を手にする前の年、大岡信著の『抽象絵画への招待』(岩波文庫刊、1985年)を買って読み、抽象絵画やアール・ブリュ、アンフォルメルのアートへの関心を抱き始めた。

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→ Louis Wain "Untitled" - c.1933, watercolour & bodycolour, 9 x 7.5 ins (画像は、「Henry Boxer Gallery presents Louis Wain」より)  これもウェイン本人にしてみれば、愛情タップリに猫を描いているつもりだったのか。

 正常と非正常との敷居などあってなきが如し。
 しかし、同時にそこには牢固たる壁があるのも事実。
 心が壊れる恐怖。後戻りできない蟻地獄。

 当時の心境などを数年前の記事に綴っている。転記する:

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2008/03/21

ルイス・ウェインの猫(その1)

 郷里に出戻りして、生活のスペースを確保する意味もあり、本や雑誌を含めて家の中の不用な諸々をドンドン廃棄している。
 一応、東京から持ち帰った荷物は整理までには至らないものの、とりあえず廊下の隅っこやら納屋などに蔵置はできた。

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→ Louis Wain "Ginger Cat" - c,1932, Crayon, 9 x 7 ins (画像は、「Henry Boxer Gallery presents Louis Wain」より) 

 となると、片っ端から捨てていた古い本だが、段々捨てるのが惜しくなる。
 古い本の山が崩れていってしまうと、はて、引越し荷物の収納も暫定的ながら済んでいるのに、これ以上なにゆえ捨てる必要がある…などと思えてきたのである。

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2008/03/20

ジャン=レオン・ジェローム (2:ヌードを描く光景の淫靡さ)

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← ジャン=レオン・ジェローム『ローマの奴隷市場』 (画像は、「19世紀の画家達」より) かのオディロン・ルドンもジェロームに弟子入りするが、数ヶ月で彼のもとを去った。

 余談が過ぎた。
 話をジャン=レオン・ジェロームに戻す。

 思うのは、ジェロームの絵、特にヌードのモデルが画家(彫刻家)と共に描かれている絵をその構図を併せ眺めると、淫靡ささえ感じる。
 それは小生がゲスな人間だから? でも、ジェロームは一般大衆のそこの心理は冷静に読みきり計算に入れて描いているってのも確かなようだし、その舞台裏を臆面もなく晒しているようでもある。
 この辺りのことは作品の数々を見れば歴然としていると思う。

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2008/03/18

ジャン=レオン・ジェローム (1:ヌードを描くアトリエを嫉視する?)

 絵に魅入ってあれこれ妄想が勝手に逞しくなっている間に記事が長くなってしまった。
 二回に分けて掲載する。

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← ジャン=レオン・ジェローム『Phryne before the Areopagus』(1861年) (画像は、「ジャン=レオン・ジェローム - Wikipedia」より) 「ジャン=レオン・ジェロームの『Phryné devant l'Areopage(アレオパゴス会議でのフリュネ)』も、フリュネの美貌にインスパイアされたもの」だという。でも、価値観も主体の在り処も全く転倒している…。

 ピーター・ゲイ 著の『快楽戦争 ブルジョワジーの経験』(富山 太佳夫訳 青土社)読んでいたら、ジャン・レオン・ジェロームという画家の名前が出てきた。
 どこかで聞いたことがある。
 でも、すぐには思い出せない。
 上掲の本には数知れない事項や名前が出てくるので、一々調べてられないのだが、ジャン・レオン・ジェロームは調べよ、という直感がある。

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2008/03/16

ジョージ・グロス

ねじ釘の画家・柳瀬正夢」なる記事を書いていて、ゲオルグ・グロッスという人物に出会った。
 柳瀬正夢はゲオルグ・グロッスに傾倒したというのだ。
 ゲオルグ・グロッスとは一体、いかなる人物なのか。
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→ 『Grosz』(TASCHEN) 「ジョージ・グロス(1893-1959年)は、ベルリン・ダダを代表する風刺画家として知られるが、後にニューヨークへ移住し、才能をますます開花させた。イラストから水彩、油彩まで、グロスの代表作を紹介」

 しかし、画家として人形作家として、あるいは写真家としても知られる、小生が学生になりたての頃から偏愛していた(はずの!)ハンス・ベルメールのプロフィールなどをチラッとでも覗けば、画家ゲオルグ・グロッスとの深い関わりに気付かないはずがなかったのだが:
ハンス・ベルメール」(ホームページ:「アート・遊」)
 

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2008/03/11

モンドリアン(追記2:世界を干拓する描写)

 ここまでがある意味、導入部。能書きにもならない前書き。
 まあ、駄弁として読み流されるのがオチの一文なのだろう。

 が、タイモン・スクリーチ著の『江戸の身体を開く』(高山 宏訳 作品社)を読んでいたら、気になる記述を見つけた。
 といっても別にモンドリアンについての言及があるというわけではない。
 モンドリアンがオランダ生まれだということに留意して以下に転記する記述を読んでみると面白い。

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2008/03/07

モンドリアン(追記1:世界を干拓する描写)

ピエト・モンドリアン(後篇:抽象性に宇宙を見る)」において、小生はややモノローグ風に以下のようなことを書いている:

 オランダ生れのモンドリアンがパリへ出たのは案外と遅い。39歳前後。チーズ、チューリップ、風車で有名なオランダだが、同時に、リベラルな気風や風土、そして「堤防により囲まれた低地」という土地柄もモンドリアンの画風の基本にあるような気がする。

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→ Floris Claesz van Dijck(1575-1651) 『チーズとバターと果物のある静物画』(部分図 1613) (画像は、「Floris Claesz van Dijck - Wikipedia」より) 「食物を口にし消化することが象徴する消費一般をいおうとしている。もっともこれはどちらかといえば貧しい人間のテーブル風景である。切られていない果実ですら、茎からちぎられてできるくぼみがこちら向きになるように置かれていて、中をのぞける感じを与える。ガラス器も中が透けて見える」(タイモン・スクリーチ著『江戸の身体を開く』より)

 大方の(?)日本人が抱いている…大地という感覚はオランダ人にはあるのだろうか。

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2008/02/22

ジョゼフ・ライト…科学・技術をも照らす月の光(後篇)

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← ライト、ジョセフ Joseph Wright of Derby  『亡夫の武具の番をするインディアンの族長の寡婦 The widow of an Indian chief watching the arms of her deceased husband』(1785 Oil on canvas, 101.6x127cm, Derby Museums&Art Gallery ダービー美術館) (画像は、「アート at ドリアン ジョセフ・ライト」より) 下で掲げてある『Le soldat mort』の画像と併せてみると興味深い。(ラ・トゥールはともかく)カラヴァッジョに学んだことを感じさせるのだが。二人の女性共に胸まで肌蹴(はだ)ているのは何故?

 ジョゼフ・ライトについては、(ネット上では)英語での情報は、さすがに豊富:
Joseph Wright of Derby - Wikipedia, the free encyclopedia
Joseph Wright of Derby Biography

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2008/02/19

ジョゼフ・ライト…科学・技術をも照らす月の光(前篇)

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← Joseph Wright of Derby 『Rydal Waterfall, dated 1795』 oil on canvas, 572 x 762mm) (画像は、「Derby Museum and Art Gallery」より) このサイトは本稿をほぼ全て書き終えてから発見した。ひと目見て気に入ってしまった。ジョゼフ・ライト作品画像については(も)、一番、充実している。拙稿「森の中のフリードリヒ」の末尾に掲げたフリードリッヒの『昔の英雄たちの墓碑』と比べてみるのも面白いかも。

「天体の図像学」の周辺」や「天体を風景画の中に」に続き、藤田治彦著の『天体の図像学』(八坂書房)を読んでその存在を知った画家をミニ特集する。
 今回は、ジョゼフ・ライト(Joseph Wright of Derby (1734-1797))である。

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2008/02/17

天体が風景画の点景に

 本稿でも、「「天体の図像学」の周辺」に引き続き、藤田治彦著の『天体の図像学』(八坂書房)を読んで得た知見を元に、幾つかの画像を掲げ、西洋における風景画の変遷の様子の一端を辿ってみる。

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← アールト・ファン・デル・ネール(Aert VAN DER NEER 1603/04-1677)(画像は、「Aert van der Neer prints & canvases - Bridgeman Art On Demand」より) ファン・デル・ネールは、「17世紀に黄金時代を迎えたオランダ絵画の担い手の一人」であり、「画家としての彼の技量は、冬景色、川や運河の眺め、赤々とした光に染まる建築などに十分発揮された。月光や夕日の効果を生かし、メランコリックな感情をたたえる彼の絵画がひろく注目されるようになったのは、ウィリアム・ターナーやカスパル・ダーヴィト・フリードリヒの風景画が大きな共感を呼んだ19世紀ロマン主義の時代であった。アムステルダムで没」とのこと(「静岡県立美術館【主な収蔵品の作家名:アールト・ファン・デル・ネール】」より)

 藤田治彦著の『天体の図像学』(八坂書房)によると:

 少数の例外を除くならば、地球以外の天体が西洋絵画において写実的に描かれるようになるのは十七世紀のことである。それはアルプスの北と南における西洋風景画の確立と時を同じくした現象であった。例えば、ほぼ同世代のオランダの風景画家アールト・ファン・デル・ネールにとっては月が、そしてクロードにとっては太陽がそれぞれの風景画の重要なモティーフとなる。

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2008/02/11

「天体の図像学」の周辺

 藤田治彦著の『天体の図像学』(八坂書房)を読んだ。
 感想文を書く余裕はないので、実に羨ましい機会に恵まれた片のブログ記事を参照する:
I my me gallery blog 「天体と宇宙の美学」展(滋賀県立近代美術館)その2……講演会「天体の図像学」

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← 『天体と宇宙の美学』展ポスター 07年秋に開催されていた。(画像は、「sLab 銀猫亭 天体と宇宙の美学」より) 「滋賀県立近代美術館」によると、「地球上の生命の源である太陽。満天の夜空に輝く星と月。広大無辺の空間に漂う銀河系。人間の魂を魅了して止まない宇宙の謎と神秘は、美術の中にどのように表されてきたのでしょうか。天体や宇宙をテーマにした様々な美術作品の中に、芸術家たちが思い描いた宇宙像や夢を探ります」という。

 藤田治彦著の『天体の図像学』(八坂書房)は、内容紹介によると:

古代ギリシア・ローマから20世紀モダン・アートに至るまで、ヨーロッパだけでなく西アジアや新大陸までを視野に置きつつ、太陽・月・星・地球などの天体が、絵画や彫刻などにどのように描き表わされてきたかを、200点以上の豊富な図版でたどり、独自の鋭い視点で考察する。

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2008/02/10

ジョン・ラスキン追記

 拙稿「ウィリアム・ターナー(後篇:悲劇のロマン派画家)」は、決してラスキンを扱った文ではないのだが、たまたまこの稿をアップしようとしたとき、ジョン・ラスキン著『風景の思想とモラル―近代画家論・風景編』(内藤 史朗【訳】 (京都)法蔵館)を読み終えた直後で、(期待が過大だったせいか)本書に失望し、ややラスキンを貶めるかのような記述を末尾に付け足してしまった。

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→ ジョン・ラスキン 「早くから聖書と詩にめざめていたが、少年ラスキンをとりこにしたのは鉱物だった。天保2年の12歳のころ、鉱物に熱中して一人で鉱物事典を自作している」という。(文章・画像ともに、『松岡正剛の千夜千冊『近代画家論』1・2・3 ジョン・ラスキン』より)

 が、彼の描く絵は断固、素晴らしい(称揚し擁護したターナーには比べるべくもないが)。
 中途半端なままにラスキンほどの人物を通り過ぎるわけには行かない。なので、本稿で若干の補足を試みるものである(無論、彼の全貌など小生には到底、展望しきれるはずもない)。

 ラスキンについては、「空と山を眺め描くのみ…ラスキン」の中で、幾つかの作品を載せつつ多少の紹介を試みている。
 是非、ラスキンの手になる作品を見てもらいたいものである。

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2008/02/09

ケーテ・コルヴィッツ:才能は、同時に使命である

 ピエト・モンドリアンの初期の頃のある絵を見ていて、ドイツの彫刻家というか版画家と呼ぶべきか、ある表現者のことを連想した。
 でも、すぐに名前が出てこない。名前もジャンルも分からないではネット検索の遣りようもない。
 ドイツ、版画、彫刻、労働者の悲惨、どこかゴッホ的…。
 これじゃ、検索のキーワードにもならないと思った瞬間、ケーテ・コルヴィッツという名前を思い出した。

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→ 2年前に開催された「ケーテ・コルヴィッツ展」のチラシ。まさにケーテ・コルヴィッツの真骨頂を示す絵が選ばれているので、掲げさせてもらった。(画像は、「企画展 ケーテ・コルヴィッツ展」より)

 ピエト・モンドリアンの初期の頃のある絵とは、「ピエト・モンドリアン(前篇)」なる拙稿の二番目(あるいは三番目)に掲げた版画である。
 ピエト・モンドリアンは後期の作品ばかりがクローズアップされる。
 それは仕方がないのかもしれない。若い頃は試行錯誤があったようだ。それが途中から急激に変っていく。
 一方、ケーテ・コルヴィッツはその意味では一貫しているとも言える。

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2008/01/31

ステファニー・バレンティン:顕微鏡下の美

 未だ冬真っ盛りで春は気分的にも遠く、寄る年波で春が待ち遠しいのだが、春の到来を待ち受けているのは小生のようなロートルばかりではない。
 そう、花粉のほうは春を待ちきれないとばかりに飛散し始めているようだ。

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→ 「様々な花粉の電子顕微鏡像」 (画像は、「花粉 - Wikipedia」より)

環境省 報道発表資料-平成20年1月24日-平成20年春の花粉総飛散量等の予測(確定版)について(お知らせ)」(平成20年1月24日)によると:

 平成20年春の花粉総飛散量は、昨年春に比較すると、東日本で1.5倍から3倍と予測され、西日本はほぼ昨年並みになると予測されます。また、スギの飛散開始日は例年に比較して5~10日程度早くなるものと予測されます。

 ということで今日は花粉の話。
 といっても、小生ならでは(?)の変則的なものだけど。

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2008/01/28

ルーク・ハワード(後篇:雲と風景画と)

 気象への関心が高まった、そんな折りしも気球が発明され実用化の一歩を踏み出していた。
気球 - Wikipedia」によると、「熱気球が発明された1783年以降19世紀までフランスを中心にヨーロッパで気球ブームが起き、遊覧飛行や冒険飛行が頻繁におこなわれた」という。
 冒険や遊覧にしか気球が使われないってことはないだろう。
 熱気球がブームとなった頃、海の向うではアメリカが独立し、ヨーロッパでは革命が起き、激動の時代を迎えていた。

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← 『Landscape and cloud study by Luke Howard, c 1808-1811.』 (画像は、「Science and Society Picture Library - Search」より)

 科学の歴史については、18世紀は、「イギリスではブラックやキャヴェンディシュらが気体の研究を行い、酸素や水素が発見される。フランスではラヴォアジェ、ドルトン、アヴォガドロらを経て、19世紀に原子の考え方に行き着く」といった時代である。
 さらに、「18世紀後半から19世紀にかけて学問の分化が進む。ボルタやエルステッド、ファラデーらにより電気学が、カルノーやクラウジウス、ケルヴィン卿により熱力学が、リンネやウォルフらにより生物学の研究が本格的に始まる。ヴェーラーやリービッヒにより有機化学が始まり、染料や薬品の合成、栄養学が始まる。生物学ではラマルクやダーウィンが進化説を、シュライデンらが細胞説を提案する」。

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2008/01/27

ルーク・ハワード(前篇:雲と風景画と)

 ルーク・ハワード(Luke Howard 1772-1864)とは一体、いかなる人物か。
 一言で言うと、雲の分類を提唱し気象学を始めた人、ということになる。

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→ リチャード・ハンブリン著『雲の「発明」 気象学を創ったアマチュア科学者』(小田川佳子訳、扶桑社) 本書に付いては、拙稿「水、海、と来ると、次は雲である!」において若干、紹介している。小生が風景画を数ヶ月に渡って特集するようになった、切っ掛けを作った本でもある。いい本に出会えた。

 小生、リチャード・ハンブリン著『雲の「発明」 気象学を創ったアマチュア科学者』(小田川佳子訳、扶桑社)を図書館で手にした時、雲の分類がどうしてそんなに画期的なことか、まるで分かっていなかったので、本書にはほとんど(いや、全くかも)期待していなかった。

 雲。誰だって目にすることができるもの。
 が、雲の分類は各人が、あるいは各地域の人が勝手に行なっていて、世界に共通する用語も分類の方法もなかったのだ。
 雲だけに、雲を摑むような状態だったわけだ。

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2008/01/22

山水画…中国絵画の頂点か

 ブログでのマイブームテーマである「水」「海」「霧」「川」「雲」「空」などの延長で、長々と西欧の風景画を観てきた。多分、もうしばらくはこうした風景画という脇道・寄り道は続くものと思う。
 主に欧米の風景画を、無論、ほんの一瞥程度にしかならないが、それでもそこそこには見てきたが、日本の風景画も見ておきたいし、なんといって中国の風景画…山水画を見ておきたい。いや、観たい。
 93年だったか会社の慰安旅行で台湾へ行き、故宮博物院で中国の至宝の幾許かを観たが、小生の一番の関心事は水墨画であり山水画だった。

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← 郭熙『早春図』(画像は、「経典芸術書画」より)

 台湾(台北だったか高雄だったか忘れた)の何処かの旅行客相手の土産物店でも、物色したのは水墨画だった。無名か、それとも有名な誰かの複製品だったか、水墨画の掛け軸を一品、柄にもなく買い求めたものだった。

 しかしながら、そのとき、どれを買うかで迷ったのも事実。狭いとは言えないショップには何十点という掛け軸が吊り下げられている。その中からどれを選ぶかで迷ったわけではなかった。
 実は、直感でほとんど迷わず、これ、という作品に目が行ったのである。惹き付けられたというべきか。
 が、手元不如意で、やや予算オーバー。
 他に一点、まあまあ気に入ったのがあり、それは予算内に収まる。
 要は、予算内の山水画を求めるか、小遣いでは足りないが(一緒に買物に来ていた同僚におカネを借りて)思い切って、一目惚れした作品を買うか、その二者択一で迷ったのである。

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2008/01/21

トーマス・コール(後篇:新アルカディア幻想)

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→ トーマス・コール Thomas Cole 『Indian Sacrifice』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より)

 ネットに情報を注入しようというわけでもないが、サイモン・シャーマ著『風景と記憶』(高山 宏・栂 正行【訳】 河出書房新社)から、トーマス・コールについての叙述の転記を試みる(斜体部分は本文では傍点):

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← Thomas Cole 『A Scene from 'The Last of the Mohicans』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より) 「モヒカン族 - Wikipedia」によると、「アルゴンキン語族系に属するネイティブアメリカンであ」り、「ニューヨーク州のハドソン川上流、キャッツキル山地に住んでいて、狩猟や魚を捕まえたりして生活していた。18世紀に病気や戦いなどで大勢のモヒカン族が死んだが、ウィスコンシン州にストックブリッジ・モヒカン族として現在でも生き残って暮らしている」。アメリカ人には奥地であり原野であり未開の地だったのだろうが、先住民族にとっては故郷だったのだが…。

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2008/01/20

トーマス・コール(前篇:新アルカディア幻想)

 ハドソン・リバー派の画家を何人か採り上げてきた。
 今回は、「イギリスから米国へ移住し、米国風景画家の父と言われる一人で、父親の仕事を手伝いながら絵を描いていた」トーマス・コール (Thomas Cole)を特集してみたい。
 これまで扱ってきたアルバート・ビエスタッドフレデリック・エドウィン・チャーチアッシャー・B・デュランドらよりはネットでも情報が得られる。

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→ トーマス・コール Thomas Cole 『The Course of Empire Destruction 帝国の興亡』 (画像は、「トーマス・コール Thomas Cole」より。下記する)

 これまで何度か参照させていただいた「理想か自然か―ハドソン・リヴァー派のジレンマ―  生田ゆき」(ホームページ:「三重県立美術館 Mie Prefectural Art Museum」)では、「彼らはある時には第2次世界大戦後の世界の美術地図を塗り替えたアメリカ美術の開祖に祭り上げられ、別の場面ではヨーロッパの偉大な伝統の末席に連ねられ、さらには微細で執拗な細部描写にシュルレアリスムの予兆を見たりと、あらゆる側面からの再評価の声が喧しい」などと、近年再評価されつつあるハドソン・リヴァー派全般について、但し、ウィリアム・ガイ・ウォール(1792-1864頃)の《キャッツキル山脈のコータースキル滝》と、トマス・コール(1801-1848)《コータースキル滝》とを対比する形で鋭く論評されている:

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2008/01/19

アッシャー・B・デュランド

 以前拙稿で、「理想か自然か―ハドソン・リヴァー派のジレンマ―  生田ゆき」(ホームページ:「ひる・ういんど(HILL WIND)」)からの引用文を使い、ハドソンリバー派は、トーマス・コール(Thomas Cole)や「当時のアメリカでコールと双璧をなすとされた風景画家アッシャー・B・デュランド(1796-1886)」らに源流にあるようだ」というくだりで名前だけ挙げていた、アッシャー・B・デュランドを簡単にだが、採り上げてみる。

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← アッシャー・B・デュランド Durand,Asher(アメリカ1796-1886)『ドーバー平野 ダッチ郡、ニューヨーク』(アメリカ美術国立美術館) (画像は、「肉筆複製画・美術品・絵画販売 ハドソンリバー派絵画」より)

 と言いつつ、アッシャー・B・デュランドについては、(少なくとも日本語での)ネットで得られる情報は限られている(ご存知の方にはサイト情報の提供をお願いします)。
 下記するサイトがほとんど唯一の頼りである。

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2008/01/18

海洋画家アイヴァゾフスキー(後篇)

 これより以下は、画像を参照する「Ivan Aivazovsky - Olga's Gallery」(ホームページ:「Olga's Gallery」)でのアイヴァゾフスキーのプロフィール:

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← Ivan Aivazovsky. 「Meeting of the Brig Mercury with the Russian Squadron After the Defeat of Two Turkish Battleships.」 1848. Oil on canvas. The Russian Museum, St. Petersburg, Russia..(画像は、「Ivan Aivazovsky - Olga's Gallery」より)

Ivan Konstantinovich Aivazovsky was born in the family of a merchant of Armenian origin in the town of Feodosia, Crimea. His parents were under strained circumstances and he spent his childhood in poverty. With the help of people who had noticed the talented youth, he entered the Simpheropol gymnasium, and then the St. Petersburg Academy of Arts, where he took the landscape painting course and was especially interested in marine landscapes. In the autumn of 1836 Aivazovsky presented 5 marine pictures to the Academic exhibition, which were highly appreciated. In 1837, Aivazovsky received the Major Gold Medal for Calm in the Gulf of Finland (1836) and The Great Roads at Kronstadt (1836), which allowed him to go on a long study trip abroad. However the artist first went to the Crimea to perfect himself in his chosen genre by painting the sea and views of Crimean coastal towns.

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2008/01/17

海洋画家アイヴァゾフスキー(前篇)

 ひょんなことからイワン・アイバゾフスキーという海洋画家(こういう用語があるかどうか分からない)の存在を知った。
 ブログでのマイブームテーマである「空」「海」「水」「雲」「川」「霧」の一環で、誰か(少なくとも小生にとっては)目新しい、敢えて特集するに値する画家はいないかと物色していた賜物だろう。

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← Gianni Caffiero (著), Ivan Samarine (著) 『Seas, Cities and Dreams: The Paintings of Ivan Aivazovsky 』(Laurence King Pub)

 ひょんなことといっても、このところ毎日のように覗いている「Olga's Gallery」サイトの中をうろうろしていたら、「Ivan Aivazovsky - Olga's Gallery」なる頁というか画家の項に出会ってしまったのである。
 風景画…ではないが、大きくは外れていない。

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2008/01/16

エルンスト・フックス:意外と古風な宗教画?(後篇)

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← 『DANCING WITH DEATH, 1983.』(Mixed media on fiberboard, 100x150cm) (画像は、「Official Webpage of Prof. Ernst Fuchs」より)

 13歳で彫刻を学ぶが、翌年絵画に転じ、「ルーベンスに熱中」。第二次大戦の終戦とともにウィーン美術アカデミーに入学。
 ここでのちの〈幻想的レアリズムのウィーン派〉の育ての親、ギュータースロー教授に師事し(1946~50)、ウッチェロら15世紀のルネッサンス絵画やマニエリスムを研究、すでに精緻な細密技法をマスターして神童と謳われる。

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→ 『THE TEMPLE ISLAND, 1983』(Watercolor pastel) (画像は、「Official Webpage of Prof. Ernst Fuchs」より)

 ギュータースロー「教授は、シーレや幻想画家クリムトなどのすぐれた評論や小説など書いた画家兼作家で、美術家育成者としては特異な存在だった」という。

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2008/01/15