科学一般

2010/09/22

メデューサとしてのクラゲ?

 一昨日の日記の冒頭で、「ある本を読んでいたら、「メデューサ(メドゥーサ)」という言葉に久々に出合った。ギリシャ神話に出てくる魔物である」と書いている。
 せっかくなので(?)、当該の本の関連の記述を本ブログに転記しておきたい。

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← ユージン・カプラン著の『奇妙でセクシーな海の生きものたち』.(土屋晶子◎訳 インターシフト)


 格別な意図はない。あくまで個人的な興味であり、今後のため(になるとは到底、思えないが)メモしておきたいのである。

 今、読んでいる本とは、 ユージン・カプラン著の『奇妙でセクシーな海の生きものたち』.(土屋晶子◎訳 インターシフト)である。

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2010/03/27

『敗北を抱きしめて』雑感(1)

 昨年、読み残した本は多数あるが、その中の一冊、ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて 上・下』(三浦陽一・高杉忠明訳、岩波書店刊)をようやく今になって読み始めることができた。

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← ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて 上 増補版』(三浦陽一・高杉忠明訳、岩波書店刊)(小生が読んだのは、増補版ではない。)

 本書は、小生の狭い歴史関係(現代史・戦後史)の読書体験の中で比較評価するのも、気が引けるが、実に中身の濃い歴史書であることは、間違いない。資料の浩瀚なる渉猟と、当然、アメリカ人ということも無関係ではない客観性、それでいて長く、日本の戦前・戦中・戦後史に関わった学者としての、テーマ性とが相俟って、実に面白く読めている(実は、まだ数十頁しか読んでいない)。

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2010/03/20

アインシュタインの望遠鏡:重力レンズ

 過日、図書館へ返却と新規に借りる本やCDの物色に。
 と、新入荷本コーナーの平棚に、気を惹く題名の本が2冊も。
 一冊は、ジョージ・エリオット著の評論・書評の本。彼女がこんな仕事もやっていたこと自体が意外だったが、そんな本が出るなんて思いも依らなかった。
 まあ、小生は彼女のファンで、先月も『ミドルマーチ』という大作を読んだばかり。
 無条件で借りる。

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← エヴァリン・ゲイツ(著) 『アインシュタインの望遠鏡 (Einstein’s Telescope)』(野中 香方子(訳) 早川書房)

 残りの一冊は、エヴァリン・ゲイツ著の 『アインシュタインの望遠鏡』(野中 香方子訳  早川書房)である。
 副題が、「最新天文学で見る「見えない宇宙」 」となっている。

 もう、出版社も心得ていて、題名にアインシュタインの名が冠せられていたなら、物理学ファンや理系の本好きならずとも手を出すと考えておられる。
 安易である。
 が、小生、あっさりその手に乗ってしまった。
 

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2010/03/12

『絶滅した日本のオオカミ』より(4)

(「 『絶滅した日本のオオカミ』より(3) 」から続く。本稿の作成の動機などについては、ここを参照のこと。)

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← 「ニホンオオカミ終焉の地碑石像」 (画像は、「ニホンオオカミ - Wikipedia」より)

  オオカミ絶滅の結果続き

 飢饉のとき百姓たちは塊茎を掘り、イノシシと命を繋ぐ食物を巡って争った。そして数千人(八戸の人口の約一割)が、八戸藩史が述べるところの一七四九年の「イノシシ飢饉」で死んだ。歴史家の菊池勇夫は小氷河期の気象、焼畑耕作、単作農業、東北地方におけるオオカミ狩なども重なって、この地区で頂点に立つ捕食者不在のなかで、イノシシの数の爆発的増加を誘発したと論じている。当時の歴史資料が事実上存在しないので、これを検証するのは難しいが、前世紀にはよく見かけたのに一八世紀にはオオカミを目撃することが稀になったと年代記編者が記録していることから、オオカミの数は少なくとも八戸では減少していたのであろう。

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2010/03/11

『絶滅した日本のオオカミ』より(3)

(「『絶滅した日本のオオカミ』より(2)」から続く。本稿の作成の動機などについては、ここを参照のこと。)

  オオカミ絶滅の結果

 一九九二年七月、アメリカ国立公園局の局員たちは、非常に詳細で多岐に渡る報告書を議会に提出した。それは「絶滅の危機にある種の法」(ESA)に述べられたガイドラインの下に、オオカミをイエローストーン地区に再導入すべきか否かに関するものだった。「イエローストーンにオオカミを?」というタイトルのこの報告書は、イエローストーンにオオカミがいた歴史的事実、オオカミの再導入に伴う社会・経済問題から将来のオオカミの管理、広域イエローストーン地区の生態系とオオカミの相互作用などの問題に触れている。オオカミは、連邦のハンターが彼らを滅ぼし駆逐するまでは昔からこの地区に棲み、有蹄類はこの「頂点に立つ肉食獣」の帰還を十分支えるだけの数がいると、この報告書は状況設定している。牧場主やハンターはイエローストーン地区へのオオカミ再導入に反対したが(その大多数はいまでもそうだ)、他の人々は違った。そのため報告書はイエローストーンへのオオカミ再導入の初期段階への道を拓いた。

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2010/03/10

『絶滅した日本のオオカミ』より(2)

(「『絶滅した日本のオオカミ』より(1)」から続く。本稿の作成の動機などについては、ここを参照のこと。)

 オオカミを理解し支配しようという人類の試みに関する私のアイボに触発された説を、少しばかり時代遅れの研究が後押ししてくれた。人と動物の関係に興味を持つ学者、スティーブン・ケラーは野生動物に対する人間の態度について、米・日・独の比較をした。彼が調査した八分野の態度において、この三つの産業大国のなかで日本人はもっとも「否定的」(無関心・嫌悪・恐れのために基本的に動物を避ける傾向)で、「支配的」(動物を征服し、支配することに基本的関心を示す)だった。さらに、日本人の動物に対する態度のなかで文化と美学の部分に重点を置いた一例では、「日本人の動物に対する評価は、ある非常に整えられた環境下で独特の美学的、文化的魅力のある種に概して限られている」ことをケラーは発見した。ケラーの質問に応じた一人の回答者は「日本人は動物や自然に関する実体験よりも人工的、かつ高度に抽象化された象徴的なものを好む」と答えた。さらに「動物に関する知識」についての一連の質問に対して、日本人は最低点を記録したが、人間にとって実用的価値を持つ動物についてはよく知っている傾向があり、「お気に入りの生き物」もよく知っていた。

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『絶滅した日本のオオカミ』より(1)

 こんな機械仕掛けの愛玩物(ソニーのイヌのロボット・アイボ)に接して、私は皮肉な気持ちで、そのうちすぐに自分たちの周りに本当の生き物はいらなくなるのだろうと思った。日本でオオカミ縁(ゆかり)の場所への旅は、まだ頭のなかにまざまざと残っていた。血と肉を持った日本のオオカミの悲しい運命をもう一度思い返し始めた。機が上昇するにつれて(著者は、日本でのオオカミ関連の調査旅行を終えて飛行機で帰国の途についているという想定)私は想念の世界に沈んで行った。そこは、オオカミに似たアイボのような生き物が、ぎごちなく不自然な動きで這いまわり、また、その生き物たち全てが人間の主人に絶対的に従うという日本の風景であった。アイボは反オオカミ、私たちの科学技術的想像力を集約した悪夢のような産物であり、人が創り出した三峯の大口の真神、加賀藩の「大犬」「山犬」を超える巨大な一歩であると私は見る。ついに、すっかり皮肉な気持になって、一部の日本人は、大多数の世界の人類の夢を悟って、それに従って自然を破壊し、機械化し、このうえなく従順な風に模倣し、人に似せた感情世界まで与えて(科学技術で命を吹き込み)、究極的に自然を支配したと言い張るのかと思った。実際に、人類の歴史は、多くの環境歴史家から見ると、多かれ少なかれ、自然世界を解明し、支配し、膨張し続ける栄養とエネルギーの需要を満たすために、自然の改造・改装を企ててきた物語である。私たちは、一生物種として、私たちのあらゆる要求に屈しようとしない自然に対して、もはや我慢ができないところまで来てしまったのだ。六〇億余の生存がそこにかかっている。

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2010/02/25

柴田一成著『太陽の科学』を読む

 宇宙論も、細胞の科学も、医学も、そして地球や太陽の科学も近年、急展開を見せている。
 ガキの頃、太陽や地球についての科学書(啓蒙書、入門書)の類いをポチポチと読んできたが、折々、松井孝典氏の本を読んだりはしても、太陽を巡る本はあまり読んでこなかった。

 あくまで小生の中のイメージだが、子供の頃や学生の頃、教科書や啓蒙書に書いてある太陽像と、それほど理解の進化が見られたようには感じられなかったのだ。

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→ 「通常の機材で撮られた写真だが、夕日の中央に肉眼黒点が確認できる (画像は、「太陽黒点 - Wikipedia」より)

 しかし、近年は違う!

 図書館の新入荷本のコーナーで本書を見つけ、パラパラと捲ると、謳い文句には、「人工衛星「ようこう」「ひので」などの最新成果により、太陽は爆発を繰り返すダイナミックな天体であることがわかった」とか、「磁場の作用で、パチンコのようにプラズマが射出するメカニズムや、それが磁気嵐となって地球に影響を及ぼすプロセスを解明する」などとあり、「太陽研究の基礎から最先端の成果まで詰まった、知的興奮の書」とまで言い切っている。
 まあ、宣伝なのだから、それくらいは書くのだろうが、実際、本書を読んで、「太陽は爆発を繰り返すダイナミックな天体」であることを痛感させられた。

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2010/02/17

『マグネシウム文明論』は注目に価する

 別に我輩如きがエコ論議に口を出すつもりもないが、野次馬根性だけはあるので、関連の話題にはつい目が行ってしまう(らしい)。
 過日、図書館へ返却のため、寄った。
 今、ジョージ・エリオットの大著『ミドルマーチ』を読んでいる最中で、ほとんどかかりきりなので、他の本を読む余裕などない。
 なので借りるつもりはなかった。

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← 矢部 孝/山路達也 著『マグネシウム文明論』(PHP新書 PHP研究所)

 …のだが、音楽CDだけは返却のついでに新規に借り出した。
 すると、そのカウンターの近くに新入荷本が陳列されている。
 中に、ちょっと気を惹く題名の本がある。
 題名が大仰(に思えた)で、際物(きわもの)的な本かとも思ったが、好奇心には勝てず、手に取ってしまった。

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2010/01/19

加藤文元著『物語 数学の歴史』から数学の凄みを知る

 加藤文元著の『物語 数学の歴史』(中公新書)を読んだ。
 物語と銘打ってあるが、随所に出てくる数式などを読解するには大学の数学科に在籍する学生でもちょっと無理で、大学院レベルの素養と訓練などが必要だろう。
 それを高校三年の夏に理系への進学を断念した小生が読むのは無理がある。
 でも、雰囲気は楽しめる。

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→ 加藤文元著『物語 数学の歴史』(中公新書)

 所詮は、外野…どころか球場の外で歓声を聞いている程度の数学の力もない小生だ、何となく臨場しているという雰囲気さえ味わえたら十分なのである。
 ガキの頃は漫画家、やがて中学生の一時期、数学に魅入られた小生、数学への決して満たされることのない渇望、数学のセンスを持つ人間への羨望、もっと言うと、数学(的思考)でしか表現も想像も存在も考えられない世界があることに、ただただ驚異の念を抱き続けている。

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