フローベールからオディロン・ルドン作「聖アントワーヌの誘惑」へ
← Pieter Bruegel the Elder - The Temptation of St Anthony (画像は、「Pieter Bruegel the Elder - The Temptation of St Anthony - WGA3339.jpg - Wikimedia Commons」より)
フロベール作品の収められた、『世界文学全集 (17) ボヴァリー夫人・聖アントワヌの誘惑・三つの物語』を30年ぶりに読了した。
結構、時間を費やして、じっくりと。初めて読んだ頃よりは、少しは読書体験、さらには創作体験も重ね、当然ながら昔よりは味わって読めたと思う。
→ ブリューゲル「聖アントニウスの誘惑」 (木版画 画像は、「ブリューゲル「聖アントニウスの誘惑」(ブリューゲル版画の世界 その1) - 足立区綾瀬美術館 annex」より)
本巻所収のどの作品も、やはり素晴らしい。「ボヴァリー夫人」は、つくづく隙のない作品だと感じる。
解説も非常に参考になった。文学史上でも、画期的な作品だったのだと納得させられた。
徹底して冷徹なまでのリアリズム。ボヴァリー夫人が自殺を遂げたあとも、延々と叙述が続く。
ある種、自業自得の果ての自殺とはいえ、主人公の死なのに、その悲惨をまるで俯瞰するように、周囲の深刻と滑稽などが諧謔的に描かれる。
← Anonymous artist (follower of Pieter Brueghel the Elder (1526/1530–1569)
三つの物語のどの作品も味わい深い。とは言っても、『ヘロデア』は今一つ。
一方、『純な心』は佳品だし、『ジュリアン聖人伝』は、『聖アントワーヌの誘惑』につながるとも思える、テーマ的に通底する作品だと思えた。
→ ジャック・カロ 「聖アントニウスの誘惑(第2作)」 (1635年 国立西洋美術館蔵) (画像は、「ジャック・カロ展 - the Salon of Vertigo」より)
思い返せば、世界文学全集の中の本巻を入手したのは、『聖アントワーヌの誘惑』を読みたくて、だった。『ボヴァリー夫人』は、当時でも文庫本で入手できたからだ。
あるいは、当時にしても、『聖アントワーヌの誘惑』は文庫本に入っていたのかもしれない。
さて、吾輩の関心を強く惹いたのは、今回もやはり、「聖アントワーヌの誘惑」だった。
← 「ヒエロニムス・ボス作 祭壇画中央部分 1500-05年頃」 (画像は、「聖アントニウスの誘惑の絵画8点。お色気作戦で堕落を迫る悪魔と、耐える爺さん メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-」より。この頁には、数々の同テーマの作品が紹介されている。)
「聖アントワーヌの誘惑 - Wikipedia」によると、「『聖アントワーヌの誘惑』(La Tentation de saint Antoine)は、ギュスターヴ・フローベールの文学作品。着想から30年近い歳月をかけて1874年に刊行された」。
「紀元3世紀の聖者アントワーヌ(アントニウス)が、テーベの山頂の庵で一夜にして古今東西の様々な宗教・神話の神々や魑魅魍魎の幻覚を経験した後、生命の始原を垣間見、やがて昇り始めた朝日のなかにキリストの顔を見出すまでを絵巻物のように綴っていく幻想的な作品で、対話劇のかたちをとった散文詩のような形式で書かれている」。
→ オディロン・ルドン 「聖アントワーヌの誘惑」第三集 ⅩⅩ. 死神:私のおかげでお前も本気になることができるのだ。さあ抱き合おう (画像は、「岐阜県美術館|所蔵品作品詳細|「聖アントワーヌの誘惑」第三集 ⅩⅩ. 死神:私のおかげでお前も本気になることができるのだ。さあ抱き合おう」より)
解説にもあるが、「もともとこの主題は幼少時に人形劇を見るなどしてフロベールが親しんでいたものであったが、直接の着想は1845年、ジェノヴァのバルビ宮殿でピーテル・ブリューゲルの手による『聖アントニウスの誘惑』を見て感銘を受けたことで得られたものであった」。
ということで、下手に感想をメモるのも野暮なので、好きな絵画で関連するテーマを扱った作品を幾つか物色してみた。
ただ、「当時の批評家からの評価は芳しくなく、各紙でゲーテの『ファウスト』の二番煎じであるといった酷評に晒された」というのは、意外だったとだけはメモっておきたい。似て非なる、である。
← フロベール (著)『世界文学全集 (17) ボヴァリー夫人・聖アントワヌの誘惑・三つの物語』(菅野 昭正 (翻訳) 集英社) 発売:1976/05 吾輩の本は、昭和61年の第四刷。確か、当時、文庫本では「聖アントワヌの誘惑」が見つからず、この箱入りの本を買った。当然ながら、所収の作品は全部、読んた。
「聖アントニウスの誘惑の絵画8点。お色気作戦で堕落を迫る悪魔と、耐える爺さん メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-」にあるように、西欧において、このテーマの絵画は数々ある。セザンヌさえ、扱っている。
吾輩としては、ボッシュなどもいいが、上にて掲げた、オディロン・ルドンの作品が一番、誘惑への強い引力が感じられる。
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