グーグルじゃなくグーゲル!
会社の同僚と焼肉店で、焼肉三昧してきた。外食で焼肉の店に入ったのは、十数年ぶりではなかろうか。
チェーン店のようで、若い客が圧倒的。我々ロートル組は肩身が狭い。でも、肉はうまくて、たっぷり喰った。
← Ryuugokuさんによると、「ファビウス・フォン・グーゲル(1910〜2000)による「夢幻風景」(1981年)。ドイツのシュルレアリスムの画家。 レオノール・フィニやジョルジョ・デ・キリコらと面識がありました」とか。
店へは自転車で。みんな車だし、糖尿病の人もいて、お酒は御法度だったので、車にするか自転車にするか、迷った。曇天で雨が降りそう。車にしようか。でも、健康のためには自転車がいい。夜道なので、ヘッドライトを点燈する。だから、ペダルへの負荷も日中とは大違いで、運動になりそうなのだ。
空を眺め上げつつ、雨は真夜中過ぎまでは降らないと願い、ペダルを漕いだ。
ところが、現地に着く直前に雨滴がポツポツと…
連休だったということもあり、二百頁ほど残っていた、閻連科著の『愉楽』(谷川毅訳 河出書房新社)を一気に読み終えた。
→ Ryuugoku さんによると、「ファビウス・フォン・グーゲルによる「アフリカのジャグラー」(1981年)。 グスタフ・ルネ・ホッケはグーゲルを、マニエリスムの範疇で捉えてい」るとか。
ツイッターにも書いたけど、「フランツ・カフカ賞の作家・閻連科著の『愉楽』 、読了。連休だったので、残りの二百頁を一気に。とんでもなく腕力と筆力の物語。(ヘンリー・ミラーやカフカなどと共に影響を受けた)ガルシア=マルケスの『百年の孤独』はもちろんだが、ドノソの『夜のみだらな鳥』とつい比べてしまった」よ。
感想文を書くかどうか分からない。
← Ryuugoku さんによると、ファビウス・フォン・グーゲルによる「狩り」(1980年) 「〈凝結状態〉を溶解しようとする傾向ははっきり見てとれるが、〈中心的な自然形態〉はまだ支配的機能として健在で、〈緊張〉をつくっている」(ホッケ『迷宮としての世界』)
今は、「書評:愉楽 [著]閻連科 - いとうせいこう(作家・クリエーター) BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト」や「愉楽 閻連科著 深い絶望こもる現代中国の寓話 :日本経済新聞」など参照。「閻連科。とんでもない腕力の作家である。もちろん創作が人間という大地を掘る力であり、想像という砲丸を限りなく遠くまで届かせる力のことだ。ユーモアが起こす笑い声の大きさ、あるいは泣き声が震わせる範囲の広大さ、共にケタ外れと言っていい」に尽きる ! ? とだけ記しておく。
→ Ryuugoku さんによると、スティーブ・アクスフォードによる作品だとか。偶然、見つけたのだが、ちょっと面白かったので、せっかくだから(?)、載せておく。
昨日未明読了したグスタフ・ルネ・ホッケ著の『迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術』 (岩波文庫) にて、いろんな画家の存在を知った。
今日も一人、ミニ特集しておく。ファビウス・フォン・グーゲル(1910〜2000)である。
詳細は分からないので、画像だけ載せておく。
なお、グスタフ・ルネ・ホッケ著の『迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術』 (岩波文庫) については、下巻も近々車中で読んでいくつもりだが、上下巻共に読了したとしても、感想文など書けそうにない。
← 閻連科著『愉楽』(谷川毅訳 河出書房新社) (画像は、「asahi.com:朝日新聞社の書評サイト」より)
松岡正剛が(「千夜千冊」において述べるように)、「こういう本はさかしらに批評するものではない。批評などしてはいけない。ひたすら読みこみ、ひたすらこのテキストに惑溺するのがよい」のだし、「グスタフ・ルネ・ホッケがそのことを該博な言葉と華麗な文脈において体現できた稀有な観察力と省察力をもった表現者であったことに感謝するべきだ」ろう(「1012夜『迷宮としての世界』グスタフ・ルネ・ホッケ松岡正剛の千夜千冊」)。
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