竹内栖鳳作「大獅子図」にライオンを観る
日曜日、車中での待機中、ワンセグテレビを見ていたら、「竹内栖鳳 ~日本画に革命を起こした男~|NHK 日曜美術館」(再放送)だった。
番組でも説明されていたが、実力の割に、必ずしも高名ではない、少なくとも教科書などに載ることは少ない画家のひとり。
← 竹内栖鳳作『班猫(はんびょう)』 1924年(大正13年) 栖鳳が沼津に滞在していた際、八百屋の店先で猫を見て「そうだ、猫を書こう」と思い立ったという。そして八百屋のおかみと交渉して猫を譲り受け、画室に自由に遊ばせながら丹念に観察して作品に仕上げた。(画像や文章は、「竹内栖鳳 - Wikipedia」より) 「絹本彩色、山種美術館蔵、重要文化財 作品名は、画家自身の箱書きによるとのこと」 本作については、「KIRIN~美の巨人たち~ 竹内栖鳳・作『班猫』」を参照のこと。
といっても、美術にも疎い小生ながら、名前ぐらいは知っている。
作品の幾つかは、画集か何かの折に観てはいる。
しかし、一時間弱であれ、竹内栖鳳作品にじっくり向き合ったことは、恐らくない。
車中という制約された空間だからこそ(幸か不幸か、仕事も暇だったし)、竹内栖鳳の世界のほんの一端に接することができたわけである。
番組で紹介される絵のリアルさは、ワンセグでも伝わってくる。
→ 「【特別展】 没後70年 竹内栖鳳―京都画壇の画家たち―」 展」(於:「山種美術館」(日本画の専門美術館)) 昨年は、「2012年は、「東の大観(たいかん)、西の栖鳳(せいほう)」と並び称された日本画家・竹内栖鳳(1864-1942)の没後70年にあた」っていた。本展については、 「「竹内栖鳳展」 弐代目・青い日記帳」や「「竹内栖鳳 京都画壇の画家たち」 山種美術館 - はろるど」「遊行七恵の日々是遊行 二つの「竹内栖鳳展」をみて・山種美術館」などを参照のこと。
「竹内栖鳳 - Wikipedia」によると、「竹内 栖鳳(1864 - 1942)は、戦前の日本画家。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家である。帝室技芸員。第1回文化勲章受章者」で、「動物を描けば、その匂いまで描くといわれた達人であった」という。
番組でも、一度ならず、「動物を描けば、その匂いまで描くといわれた達人であった」といったコメントが。
それしにしても、「竹内栖鳳 - Wikipedia」に示される情報の少なさ。
これが、今の日本での彼の扱い、位置付けなのだろうか。
何故だか、人気がないのか。
弟子の育成にも力を注ぎ、彼の画塾からは、「上村松園や西山翠嶂をはじめ、西村五雲、土田麦僊、小野竹喬、池田遙邨、橋本関雪ら名だたる俊英を多数輩出している」というのに。
↑ 竹内栖鳳作「虎・獅子図」(1901(明治34)年 紙本墨画淡彩 166×371 ) (画像は、「三重県立美術館 - 所蔵品検索 - 虎・獅子図」より)
参考のため、「竹内栖鳳 ~日本画に革命を起こした男~|NHK 日曜美術館」での趣旨を一部、転記しておく:
光琳、若冲、応挙。世界が認める天才絵師を輩出してきた京都。先人たちが築き上げてきた技法や描写力・・・その才すべてを手中に収めた画家がいた。日本画に革命を起こした男、竹内栖鳳(たけうち・せいほう1864-1942)。「栖鳳の前に栖鳳なし、栖鳳の後に栖鳳なし」と称賛された近代日本画の大家である。描く端から作品は飛ぶように売れ、アトリエには絵を注文する行列が絶えなかったという。栖鳳は、これまでの日本画になかった陰影表現や写実など、西洋の技法を次々と取り入れ、誰も見たことのない日本画に挑戦し続けた。「獣を描けばその体臭までも表す」とまで賞された並外れた描写力。得意とする動物画は今にも動き出しそうな躍動感で迫り、見る者の視線をくぎづけにする。そこには優れた技巧だけでは生み出せない執念の観察力があった。奔放な発想力で、描く対象を絵の中に「生け捕ろう」とする栖鳳の制作方法とは一体どんなものだったのか?さらに、一昨年、80年ぶりに発見された幻の大作から、円熟期の栖鳳が目指した、さらなる挑戦が明らかになってきた。誰も見たことのない日本画を・・・日本画に革命を起こした画家の生涯と、作品の魅力に迫る。
← 竹内栖鳳作「大獅子図」(1902年) (画像は、「企画力をみせつけるサントリー美の‘鳳凰と獅子’展! 絵画 いづつやの文化記号」より) 竹内栖鳳は、ヨーロッパを旅行し、本物のライオンを観察した。そこは、円山応挙とは違うところ。番組では、本作に焦点を合わせ、「獣を描けばその体臭までも表す」とまで賞された並外れた描写力を紹介しつつ、「一昨年、80年ぶりに発見された幻の大作から、円熟期の栖鳳が目指した、さらなる挑戦が明らかになってきた」という筋書きだったのだが、生憎、仕事が入って、番組の肝心の幻の大作を観ることはできなかった。小生には、ホントの幻に終わった!
関連記事:
「「竹内栖鳳展」 弐代目・青い日記帳」
「「竹内栖鳳 京都画壇の画家たち」 山種美術館 - はろるど」
「KIRIN~美の巨人たち~ 竹内栖鳳・作『班猫』」
「遊行七恵の日々是遊行 二つの「竹内栖鳳展」をみて・山種美術館」
「企画力をみせつけるサントリー美の‘鳳凰と獅子’展! 絵画 いづつやの文化記号」
「目を見張る描写力 竹内栖鳳 正直ばあさん記」
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コメント
こっちにもコメントを。
Takさん、はろるどさん、馴染みの面々。
斑猫は、渋谷の山種美術館の所蔵ですから、しょっちゅう観られますけど、この画家が東京の画家じゃないのか、情報量少ない理由かも。
画壇ではどの流派に属してましたっけ?これも重要ですね。
投稿: oki | 2013/03/11 22:33
okiさん
こちらでもコメント、ありがとう!
サンバレポートを書かなくなって、やや閑古鳥のサイトになりつつある?
「東の大観、西の栖鳳」と並び称された日本画家・竹内栖鳳なのに、大観の高名の陰に埋もれたような。
西洋の手法を取り入れた、その画風が、ぼかし風な描法が好きな日本の趣味性に合わなかったのでしょうか。
投稿: やいっち | 2013/03/13 21:47