埒外のアーティストたち
以前、もう6年以上も前、「小生が好きな画家の名を一人、挙げるとなると、オディロン・ルドン、パウル・クレー、ハンス・ベルメール、ジャン=ミシェル・バスキア、それともジャン・デュビュッフェ、アントニ・タピエスかなと思いつつも、やはりヴォルスである」と書いたことがある。
→ イヴ=アラン・ボワ+ロザリンド・E・クラウス『アンフォルム―無形なものの事典』(加治屋 健司 近藤 學 高桑 和巳【訳】 芸術論叢書 月曜社)
日本にも高島野十郎などなど、そして海外にも他に好きな画家は有名無名を問わず、フリードリッヒやルドン、ムンク、シーレなどと居るが、好きというより、自分の中の自分でも捉えがたい魂の原風景に少しでも近いアーティストは、というと、やはり、上掲の画家たちとなる。
なぜか、作家でいえば『夜の果ての旅』のセリーヌに相当する(と自分では思っている)フォートリエの名が欠けているのが我ながら不可解だが。
ドストエフスキーの『罪と罰』などの諸作品もだが、『夜の果ての旅』は、我が青春の書なのである。
→ 画像は、「TOPICS クリエーターズマーケット-東海地区最大の「つくるひと」の祭典-」より
小生が小説を書き始めたころ、ジャクソン・ポロックの諸作品を目の前に置き、それらの抽象表現主義的作品を見て掻き立てられる抽象と幻想と夢想と奇想の世界を前後の脈絡もテーマも無論、ストーリーもなく、とにかくアクションペインティング風に書き散らしていたことを思い出す。
友人には文章になっていない、文章の基礎ができていないと貶されたが、自分では意図的実験なのだった。
← 画像は、「アール・ブリュットな日々」より
さて、上掲のアーティストたちは、ジャンルで云うと、アウトサイダー・アートなのか、アール・ブリュットなのか、アンフォルメル、あるいは抽象表現主義的なのか。
ジャンルなんて、どうでもいいじゃんって、考えもあろうが。
「アウトサイダー・アートとは、特に芸術の伝統的な訓練を受けておらず、名声を目指すでもなく、既成の芸術の流派や傾向・モードに一切とらわれることなく自然に表現した作品のことをいう」。
→ 画像は、「アール・ブリュット&映画「非現実の王国で」★ヘンリー・ダーガーの謎 - 銅版画制作の日々」より
アール・ブリュット(Art Brut)とは、「「生の芸術」という意味のフランス語。artは芸術、brutはワインなどが生(き)のままであるようすをいい、画家のジャン・デュビュッフェが1945年に考案したカテゴリーである」。
← 画像は、「アウトサイダー・アート - Wikipedia」より
→ チラシ:「アンフォルメルとは何か? - 20世紀フランス絵画の挑戦」(ブリヂストン美術館)
今回は、諸作品ではなく、主に展覧会のポスター画像を中心に集めてみた。
こういった世界は、とにかく目にし、ただただ感じることが大切なのだ。
本稿関連拙稿:
「菅原教夫著『現代アートとは何か』 」
「谷川晃一著『絵はだれでも描ける』」
「Shuji, Takashi 感じたことを感じたままに」
「アウトサイダーアート…あなたはもう帰れない」
「ヴォルス…彷徨う線刻の美」
「バスキアの剥き出しの詩情の傷ましき」
(13/02/03)
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