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2012/01/22

「甲斐庄楠音」に再会す

 栗田勇著の『花を旅する』(岩波新書)を寝入る前、パラパラと捲っている。
 するとその「七月 百合」の章で「甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと)」なる名を久しぶりに目にした。
「大正七年頃、「日本創画会」でデビューした、得意な女人を描いた」画家である。

 彼の描く女人の画は、一度目にしたら印象深く刻印されてしまう。
 但し、個性(アク?)が強く、好印象が残るとは限らない。

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← 岩井志麻子著『ぼっけえ、きょうてえ』(角川ホラー文庫)  表紙の絵は、作品名「横櫛」。

 小生が甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと、明治27年(1894年)12月23日 - 昭和53年(1978年)6月16日)の存在を、というか絵を初めて目にしたのは、岩井志麻子著の小説『ぼっけえ、きょうてえ』(角川ホラー文庫)で、発表当時、評価も高く評判を呼んだもので、当時既に我輩の生活が困窮に瀕していたにも関わらず、敢えて単行本を買って読んだものだった。

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「教えたら旦那さんほんまに寝られんようになる。…この先ずっとな。時は明治。岡山の遊郭で醜い女郎が寝つかれぬ客にぽつり、ぽつりと語り始めた身の上話。残酷で孤独な彼女の人生には、ある秘密が隠されていた…。岡山地方の方言で「とても、怖い」という意の表題作ほか三篇。文学界に新境地を切り拓き、日本ホラー小説大賞、山本周五郎賞を受賞した怪奇文学の新古典」ということだが、表題作に特に感心したのは言うまでもない。

 また、本の表紙の絵がまた彼女の小説世界を深めるようであり、象徴するようでもあり、岩井志麻子の作品と甲斐庄 楠音とが相俟って、相乗効果を生み、独特の世界を深めていると感じた。
 この本が刊行されてからか、その前だったか覚えていないが、一時期、甲斐庄 楠音の絵がブレークしたようで、ネットでも話題の的になったことがあったと記憶する。

甲斐庄楠音 - Wikipedia」によると、「甲斐庄 楠音は、大正時代の日本画家、昭和20年代-30年代の風俗考証家であ」り、その「甲斐庄氏は楠木正成末裔を自称した一族」だという。
「1940年(昭和15年)、溝口健二と知り合ったことで映画界に転身」し、「1953年(昭和28年)には自身が風俗考証を担当し、溝口が監督をした「雨月物語」がベネチア映画祭銀獅子賞を受賞する」とある。

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→ 『雨月物語』 「美のウェブマガジン | きもの 結美堂 溝口健二と甲斐庄楠音、もしくは「奇跡の日常」」の記述がとても参考になる。 (画像は、「雨月物語 角川映画」より)

 彼については、特に「画風」という項がわざわざ設けられ、以下のように説明されている:

土田麦僊に「きたない絵」と言われたのは先述したが、岸田劉生には「デロリとした絵」と評された。それまでの日本画とは異なる暗い色調でグロテスクであり、ややもすればリアルを通り越してモデルの欠点を強調する傾向は、確かに人によって好きずきの分かれる画風である。大正時代末期の暗い風潮を象徴するデカダンス画家の代表であろう。

 上掲の栗田勇著の『花を旅する』(岩波新書)では、甲斐庄についてやや詳しく記している。
 一部、転記して示す:
(前略)先頃も一九九七年に、京都の国立近代美術館で大展覧会が開かれ、評判になりました。大正モダニズムとデカダンスの中で、日本画の美しさを世界的に見直そうと努力がなされたり、文学でいえば、芥川から白樺派の文人が、西欧モダニズムを熱心にとりこんだりしていたのですが、村上華岳の弟分だった甲斐庄は、モダンなものと江戸歌舞伎趣味を融合して、大正モダニズムの女性の肉体と生理を描いたということから、最近はとても注目されています。一口でいえば、ロダン、ムンクなどとシュルレアリズム、ミケランジェロの裸婦をとりいれた怪奇的な作品群です。その作品の中に「白百合と女」という小品がありますが、他の大作を別にしてその姿が目に浮かぶのです。一つの謎と言ってもいいでしょうか。
 甲斐庄は京都の裕福な宮侍の出身ですが、江戸末期の歌舞伎のデカダンスと、ミケランジェロやウィリアム・ブレイクの神秘的な幻想リアリズムといった世界に、日本と西欧と大正という現実の生きた真実の人間を見よう、創造しようとしました。それが裸婦の追及となりますが、彼は干からびた京菓子のような作り物ではだめだと宣言しています。彼の描いた裸婦は、豊満で水々しく、生理的エロティシズムがグロテスクにみえるぎりぎりの線で、霊と肉の一致、男女の一致を描きました。彼自身、幼少の頃からホモセクシャリストで、女装を好んでいました。ふつう、ホモセックスはバラで表しますが、甲斐庄にはその象徴がユリの花だったのではないでしょうか。大正モダニズムは日欧という雌雄同体のユリの花で象徴される文化の花といえそうですね。

 せっかくなので、ここで栗田勇の説く「百合」について、多少なりとも示しておかないと、この転記文を味読できないのだが、余裕がないので割愛させてもらう。
 せいぜい、創造(妄想)してもらいたい。

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← 『甲斐庄楠音画集―ロマンチック・エロチスト』(甲斐庄 楠音【著】 島田 康寛【監修】 求龍堂 (2009/03/29 出版)) 「愛されたいのは男、描くのは女の官能、禁断極めれば厳粛。没後30年にして初画集。誇り高きナルシストの全貌を伝える唯一の画集」 「【書評】甲斐庄楠音:甲斐庄楠音画集―ロマンチック・エロチスト【ブックレビューサイト・ブックジャパン】」参照。

 栗田 勇には『女人讃歌―甲斐庄楠音の生涯』(新潮社 (1987/08/20 出版))なる本があるらしいが、今は絶版だとか。
 惜しい!

 なお、「甲斐庄楠音研究室」にて多数の作品(画像)を見ることができる。
 裸婦(の絵)を見ても、少しもエロティックじゃないって、初めての経験。

                                (10/03/30 作

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