モディリアーニ…ムンクあるかと見つめおり
1月23日は、サルバドール・ダリ(1989年)やムンク(1944年)らの忌日である。
ダリは、高校の時、フロイトを読み齧っていたこともあり、ちょっとかぶれかけたこともあったが、奇矯過ぎて、というわけでもないが、好きになれなかった画家である。
← ムンク「マドンナ」(「Edvard Munch Online」より)
ムンク…。1944年に亡くなったというのは、なんとなく意外な感がある。19世紀の画家という思い込みがどうしても拭いきれないのだ。
それ以上にしっくり来ないのは、ムンクが80歳以上という長生きだったということ。
まあ、小生が勝手にこのような不安と狂気にギリギリ接していた画家が長生きが可能だったことに不思議がっているだけなのだが。
ムンクについては、高校以来、気になってならない画家なので、特に上京してからは展覧会へも何度か足を運んだし、図録を含め画集も何冊も所蔵している。
あまり心情的に身近すぎて、直接、彼を巡っての雑文さえ、ほとんど綴っていない。
「番外編「山焼く」」が唯一かもしれない。
この中では、「ノルウェーの画家エドワード・ムンクが代表作「叫び」の背景を赤く描いたのは、火山噴火のせいで本当に空が赤かったから?」という話題を巡って、あれこれ綴っている。
ムンクが友人との散歩中に血のように赤い空を見たこと自体は、ムンク自身の言葉もあって、事実のようだ。問題は、その背景であり、その空を見ての感じ方の如何なのである:
夕暮れ時、私は二人の友人と共に歩いていた。すると、突然空が血のような赤に染まり、私は立ちすくみ、疲れ果ててフェンスに寄りかかった。それは血と炎の舌が青黒いフィヨルドと街に覆い被さるようだった。そして、自然を貫く果てしない叫びを感じた。
→ ムンク「叫び」(「エドヴァルド・ムンク-叫び-」より)
今日もムンクに付いては、自分の思い入れを書くのを自制しておく。
「エッセイの卵」の中の、「エドヴァルト・ムンク」という頁が、絵の選択の趣味や、絵に付したコメントも含め、小生には好ましいので紹介しておく。
これらの絵も含め、ムンクの絵の数々を、実物を、そして画集で、ポスターで、どれほど眺めたことだろう。
「叫び」はもちろん、「マドンナ」、「嫉妬」などの作品を眼前にして、あるいは脳裏に浮かべつつ、何篇かの小品(創作)を書いたことがあるのは言うまでもない。
さて、今日、1月24日は、小生がむかし惚れた女性の誕生日である、ってのは素通りする。
漫画家の里中満智子氏の誕生日だとか。
一昨日だったか、ラジオで同氏の話を伺うことが出来た。もう少し、じっくり聞き入っていたら、メモなどして、ブログにて扱えたはずだが、残念ながら、話の大半を聞き逃している。機会を設け、後日、是非、あれこれ書いてみたいと思っている:
「里中満智子 オフィシャルサイト」(表紙の絵は、誰が描いたのか知らないが、ちょっと無理があるのでは……。いえ、ありません!)
← モディリアーニ「青い目の女」(「20世紀の絵画」の中の、「モディリアーニ」より)
24日は、画家(彫刻家)のアメデオ・モディリアーニの忌日だという(1920年)。
(学生時代に読んで好感というか尊敬の念を抱いてしまった大逆事件で有名な無政府主義者の幸徳秋水の忌日でもあるが、今回はパスする。)
モディリアーニの絵に初めて接したのは、中学生の時だった。美術の時間に、というわけではなく、「中学時代」だったか「蛍雪時代」だったか、名称は忘れたが、旺文社発行の中学生向けの月刊誌を購読していて、その付録に毎月、欧米の有名な画家の絵の複製画が挿まれていたのである。
→ Anette Kruszynski /Amedeo Modigliani 著『Amedeo Modigliani: Portraits and Nudes』 (Pegasus Library Paperback)……さすがに、「蛍雪時代」の付録にはこうした絵は選ばれていなかった! 残念!
小生は、これが楽しみで、これら複製画を雑誌から切り離し、集めていたのを懐かしく思い出す。
ゴッホなどと共に、モディリアーニのあの有名な女性の画が含まれていたのだった。
← モディリアーニ「背中を見せて横たわる裸婦 (Nu couche de dos)1917年」(「モディリアーニ-TOPページ-」より)
小生は、モディリアーニの絵の不思議なエロティシズムに当惑していた。エロチックというと、ヌードの写真にしろ(当時はなかなか見つからなくて、十数巻の百科事典を目を皿にして検索していた!)、漫画の中の裸にしろ、リアルであるのが前提条件のはずだったのに、この絵はどうしたものか。
着衣だし、目だって、眼球がないかのような。且つ、無表情ですらある。なのに、ダイレクトな像でなければ受け付けない鈍な小生をも惹き付ける。
モディリアーニの絵との出会いは、ある意味、ゴッホ以上に衝撃的だった。
訳の分からないものが飛び込んできたのだった。
→ 中学生だった小生に衝撃を与えたモディリアーニの画「黄色いセーターを着たジャンヌ・エビュテルヌ」(「無題ドキュメント」より)。彼の絵は、まさにカルチャーショックだった。
そう、下手すると人間をデフォルメしたに過ぎないもの(小生にはそうとしか思えなかった)が芸術足りえることの驚きが小生を絵画世界へ導いていったとも言えるのかもしれない。
「エコール・ド・パリの画家の中でもいち早く名声を得たモディリアーニだが、本格的に画業を取り組み始めたのが1914年からで、死去をするのが1920年ということを考えると、充実した制作期間を送ったのはわずか6年あまりだった。享年36歳」という(「モディリアーニ-TOPページ-」より)。あまりに若すぎる死だ。
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