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2010/11/15

クレーをめぐって

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→ 「忘れっぽい天使」(1939)…「日本パウル・クレー協会

 今日という日には、江角マキコ、小雪、伍代夏子、布施明、池田理代子、スティーヴン・スピルバーグと錚々たる人物が生まれている。

 小生としては小雪が、じゃなくって、1879年に生まれた画家のパウル・クレー(Paul Klee)にどうしても目が行く。
 好きな画家は少なからずいる。

 絵画関連エッセイも数知れず書いてきた:
ヴォルスに捧げるオマージュ
『狩野探幽展』探訪記
ヴォルス…彷徨う線刻の美
三人のジャン…コンクリート壁の擦り傷
ブレスダン…版画と素描と
田中恭吉の版画に再会する
清宮質文の周辺
画家三題(オディロン・ルドン、ゴッホ、アンリ・ルソー)
保田義孝個展へ
フロイト事始、あるいはダリやキリコから
ゲルニカと原爆と現代日本の文学/美は混沌の海に
アウトサイダー・アートのその先に
 きりがないのでこれだけにしておく。

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← 「さえずり機械」(1922年)…「音楽とペーパーバック」より。

 時期によって多少、揺れるが、最後の最後に辿り着くのは、パウル・クレーである。
 というか、パウル・クレーを主軸に、時期によって様々な作家に揺れてきたというべきか。
 彼への思い入れが深いだけに、逆にパウル・クレーについては語るべき言葉がない。彼の絵を前にすると言葉を失う。
日本パウル・クレー協会」の表紙を飾るクレーの絵、あるいは、「パウル・クレー」(ホームページは、「Over the Horizon!」)なる頁の冒頭に掲げられている絵を見てほしい。
「老いるにつれて子供に還る老人のものかもしれない」「あどけなさ」!
 この単純極まる線描。「忘れっぽい天使」(1939)と題されているこの画の至純にして無垢なる世界。にも関わらず、そこはかとなくユーモラスでもある。決して、観るものを美で黙らせない。至福に満ちた沈黙のあたたかい海にゆったりと漂わせてくれる。
 パウル・クレーの絵にはある種の音楽に満ちている。リズミカルでもある。童子の戯れているような遊び感覚がある。
パウル・クレー - Wikipedia」の冒頭に記してあるように、「1879年、スイスの首都ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーに生まれた。父は音楽教師、母も音楽学校で声楽を学ぶという音楽一家であった。クレー自身もプロ級のバイオリン奏者であり、1906年に結婚した妻もピアニストであった」のである。

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→ 「高いC音の勲章」(1921)…「音楽とペーパーバック」より。

「最晩年は手がうまく動かない難病にかかるが、背もたれのある椅子に座り、白い画用紙に黒い線を引くことにより天使などの形を描いては床に画用紙を落とす事を繰り返したという」が、その彼は1940年に亡くなっている。
 上記した「忘れっぽい天使」は、1939年の作品なのである。

 小生は、日曜日(17日)、久しぶりに図書館に行ってきた。二週間ほどの区の図書館が全館、システムの都合で休館だったので、これだけの期間、開いたのである。
 さて、入館して図書室のある二階へ向おうとしたら、エントランス脇の特設コーナーで小学生の絵の展示会(発表会)が催されていた。
 中学や高校はともかく、幼児や小学生の絵には惹かれるものを感じてならない小生、若い奥様方や子どもらの間に混じって、しばし鑑賞(間違っても、奥様方を鑑賞するためにこのコーナーへ紛れ込んだのではない! まあ、惹かれる人は何人かいたが…)。

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← 「町の前に立つ子供たち」(1928)…「音楽とペーパーバック」より。

 幼児や低学年の小学生の絵を見ていて思うのは、その<天才性>である。技術や経験が未熟なのは仕方がないとして、その描かれる作品の中に、時折、びっくりするような作品に出会うことがある。クレーやミロを思わせるような、突拍子もない、だけれど未熟で感性の皮膚が薄く柔らかいが故の、現実の世界を生のままに感じ描いたとしか思えない作品を目にすることがあるのだ。
 以前、もう、7年ほど前のことになるが、それまで区役所として使われてきた建物が老朽化したこともあり、区役所が新しい場所に移転することになった。
 当然、古い建物は解体され、今の図書館をふくむ情報センターが出来たのだが、その工事の間、工事現場の周りがフェンスで囲まれていた。

 実は、そのフェンスに多分、近所の小学校の生徒の作品なのだろうが、(コピーなのか、あるいは実物が防水されていたのか)何点かの絵が飾られていた。
 通勤の際、あるいは買い物で通りかかった際に、その絵の数々を観た。
 正直、そのほとんどの作品は傑作だと思った。今のようにカメラを持っていたら、間違いなく撮影していたに違いない!

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→ 「喜歌劇「船乗りシンドバッド」からの戦いのシーン」(1923)…「音楽とペーパーバック」より。

 そう、あどけないし、拙いけれど、そこには生な感性が息衝いていた。まだ学校教育で技術を、つまりは常識を習得する前の、いい意味での感性の脆さと危うさがあった。
 技術と常識という、生き育つためには余儀ない硬化した膜が張り付く前の感性が現実と交歓していた。

 拙い絵…。
 でも、運動神経って幼児のほうが俊敏なのではないのか。
 もしかして、幼児は現実をまさにそのままに描いているってことはないのか。
 大人は、幼児の頃に眼にし耳にし心に感じ取っていた現実を成長と共に綺麗に忘れ去り消し去っていくのではないのか。
 感性も、蛹が蝶に変態するように、以前の形態、以前の感覚を完璧に失ってしまうのではないのか。幼児と大人とは、それどころか小学生の高学年とでさえも、まるで宇宙人と人間ほどに異質な世界に住んでいるのではないのか。
 
 けれど、そうした感性は小学校の高学年になるとほとんど消滅してしまう。いかにも、技術を学び、このように描けば褒められる絵になるというパターンが見え見えになってしまう。

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← 西田秀穂『パウル・クレーの芸術 -その画材と技法と-』(東北大学出版会)

 確かに成長している(また、成長して欲しい)。技術の上達が見られる。
 でも、凝り固まった常識というスクリーンが、現実との間に、しっかり下りてしまっている。
 生きるためには、傷口は癒えないといけない。膿がいつまでもジクジク滲み出してもらっては困る。傷口は瘡蓋(かさぶた)となり、やがて自然に剥がれ落ち、幼児のぷくぷくした肌が大人の肌へと変貌していく。
 感性も同様なのである。
 そして、幼児の感性のままに大人になるのは、辛い。むしろ、異常でさえある。世界を見る目は、隣の誰彼と基本的には同じであり、色合いを共有しないと生きられない。
 その代わり、失うものも多いし大きい。
 失うだけではなく、忘れ去る。
 思い出さえも、虚構の中に、というより虚構の彼方霞んでいき、変貌を遂げ、思い出という名の別個の物語の海に沈み去っていく。

 けれど、この世には稀有な存在がいる。
 高度の技術を習得し大人としての成熟を観つつも、純な、生の感性をそのままに息衝かせ、世界と裸の心で交歓できる人がいる。
 そう、その一人がパウル・クレーなのだと思う。

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→ 『クレーの詩』(コロナ・ブックス)

 クレーの作品は、「KLEE GALLERY」で幾つか見ることができる。

 クレーの本というと、まずは『クレーの日記』(南原実訳、新潮社)だろうか。
swissinfo - パウル・クレーの詩的な世界へ」によると、「日本パウル・クレー協会では『クレーの日記』の新しい翻訳を準備中」とのことだが、もう刊行されたのだろうか。
ART MUSEUM パウル・クレー」(ホームは、「音楽とペーパーバック」)を覗くと、彼の紹介と共に関連する著作が紹介されている。
日本パウル・クレー協会」の「トピックス」なる頁にも、パウル・クレー新刊案内情報が載っている。

クレーさん創造の神の贈り物」(2006/12/18)

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