ディラン・トマスあるいは愚者の夜
以下に示すのは、19歳のとき、ディランは、ある詩が新聞紙に掲載された。同紙である人物が詩の大賞を受賞した。この書簡はディランが受賞を祝う手紙を書き送った、その一部である。
一二、僕の人生。一段落の感動的な自伝
僕は、グラモーガンの別荘で、初めて日の光を見て、ウェールズ訛とメッキ工場の煙突から立ち上がる煙の恐怖の真只中で育ち、愛らしい赤子となり、早熟な子どもとなり、反抗的な少年となり、病的な若者となりました。僕の父は教師でした。これほど寛容な人を僕は未だかつて知りません。母はカマーゼンシャーの奥まった農村の出です。未だかつて会ったこともない、理屈を並べ立てる女性です。僕のたった一人の姉は足の長い女生徒らしさ、丈の短いドレスを着たお転婆らしさ、社会的俗物根性の段階を経て、落ち着いた結婚生活に入りました。僕は小学校の低学年で初めてタバコ(ボーイ・スカウトの大敵)を知り、中学校の上級生の時にアルコール(魔王)を覚えました。詩(オールドミスの友)が初めてそのヴェールを取り去って自らの姿を僕に晒したのは、僕が六、七歳の時でした。彼女は依然として僕のところにいます。時には、彼女の顔に古い受け皿のようにひびが入っていることもありますが、二年間、僕は新聞記者をしており、霊安室、自殺のあった家々――ウェールズでは自殺がとても多いのです――、そしていくつかのカルバン派の「礼拝堂」を毎日訪問していました。二年で十分でした。僕は物を書く以外は何もせず、時折『いかにして演じないか』という演劇の解説で、わずかばかりのお金を得ています。ある人間嫌いの医師は、僕の眉毛の整え方が気に入らなかったらしいのですが、僕に余命四年を宣告しました。あなたのあのひどい表現をお借りして――実際にはあなたの表現ではありませんが――彼の耳元で「まさか」とささやきたいものです。
念のために断っておくが、この書簡が本書簡集の中で傑出して素晴らしい事例として紹介しているわけではない。
あくまでディランが自分をどのように自己紹介しているかを示しただけである。
← 病院のあるフロアー(の通路)にあった絵。題名は「帰郷」だったか「引揚」だったか、情けなくも忘れた。
せっかくなのでこの書簡に続く件(くだり)を転記してみよう。
これまた本書簡集の中で抜群に優れた、印象的な箇所というわけではない(といっても、十分に印象的だが)。
むしろ、まだ本書簡集の冒頭の数十頁を読んだだけなのだが、このような鮮烈な印象を残す叙述が当たり前に続く、その意味で典型的な箇所だ、と言うべきである:
一三、感動的な経験
あなたへの前の手紙を書いた後で――ウェールズの丘の小屋の失望から書かれたものですが――僕はタバコを切らして、一番近い村スランスティーヴンまで三マイル歩いて買いに行きました。
愚者の夜でした。雲はロバの耳でした。月はタウィ川を、次々と星を産出することを期待するかのように、掘り起こしていました。それから星はと言うと、天上の冗談をめぐって互いに肘で突き合っている何百もの輝く目をしたハリネズミでした。スランスティーヴンまでは遠い道のりで、木々と、酪農場で働く恋人の女たちの乳房を艶かしく押し付けられた農場の若い男たちに囲まれていました。しかし、遠くまで歩けば歩くほど、あたりは一層寂しくなりました。僕は夜の狂気が偽りの狂気であること、そして空の広大なバカ騒ぎがもっと広大なシンボルであることがわかりました。まるで夜が叫んでいるようでした。己の無様な説明を大声で叫んでいるようでした。僕の周りすべての方角に、足元に、頭上に、夜のさまざまなシンボルが動き、そのどれもが翻訳されるのを待っていましたが無駄でした。あの夜の木々は預言者の指のようでした。空の馬鹿者であったのは、すべて雲の中でも一番賢い雲でした。それはある記号化された曲を激しく奏でる非常に音楽好きの亡霊でした。賢者のような夜でした。そのおかげで僕は自分の愚かささえも許したのです。
もちろん、スランスティーブンにはタバコの販売機は一台もありませんでした。
→ ヒロ・ヤマガタ作「 101匹わんちゃん 」(シルクスクリーン) 同じく、病院の受付フロアーにあった絵の一つ。「ここ」で大きな画像を見ることができる。
とにもかくにも、こんな記述が続いていく。
常に清新で感性の想像力が裸のままに自然に触れている、そんな文章。
この先、読み続けるのが楽しみではないか!
(せっかくなので、ディランの「一三、感動的な経験」と、拙稿「死に損なっている何か」とを読み比べてみる?)
(このメモを書いた数日後、本書を読了した。残念ながら本書の後半は、やや散文的。プロの書き手になり、詩的な仕事は公表された活字に投入され、書簡は、おカネの無心などの生活の実際を表すのみになっていく。(10/06/22 アップに際し、記す))
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