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2010/03/27

『敗北を抱きしめて』雑感(6)

 今回からジョン・ダワー著『敗北を抱き締めて』の下巻に入る。
 従って以降の引用頁数は、特に断らない限り下巻であることを予め明記しておく。

 さて、マッカーサーの占領政策が終戦直後は勿論、中には今に至るも影響力を持つに至ったことはもっと知られていいだろう。中には今では空気のように当たり前になっていて、その歴史的経緯などすっかり忘れられているものもある。

 ところで、マッカーサーの占領政策が、我々誰しもが予想されるように、戦中、そして終戦直後の日本の状況を見て決定されているのではないことは、興味深い。マッカーサーの占領政策を決定する上で大きなウエイトを占めたのは、「マッカーサーの軍事秘書官であり、心理戦の責任者であったボナー・F・フェラーズ准将」だったという。

 フェラーズは戦争の10年も前から日本人の心理分析を始め、『日本兵の心理』という研究報告をまとめている。その中では驚くべきことに「日米開戦を四年以上も前に予測していた。しかも戦況が悪化すれば日本は神風特攻隊のような戦術を採用するだろうとさえ予測していた」というのである。
 彼は、「第一次世界大戦で米兵の脱走率が高かったことと比較して、日本人の忠誠心と日本兵の規律正しさが際立っていることに感銘を受けた」のだ。

 その彼も当初は「裕仁は天皇として、そして国家元首として知られた人物であった以上、戦争の罪は回避することはできない。天皇は太平洋戦争の一部であり、太平洋戦争の煽動者とみなされなければならない」と報告書にも明記していた。

 が、戦争後半に、マッカーサー司令部(つまりはフェラーズたち)は、「天皇が日本の降伏だけでなく戦後の変革の鍵も握っていると考えていた」のである。
 そこで、戦略として:

 フェラーズと部下たちの表現によれば、「軍国主義のギャングたち」は日本人をだましただけでなく、聖なる君主も裏切ったのだと日本人を説得し、それによって軍部と天皇(およびその臣民)とのあいだに「くさびを打ち込む」ことが重要なのだった。(p.10-11)

 つまり、「天皇は日本軍の完全な降伏を実現するうえで不可欠であるだけでなく、平和的傾向をもった戦後の日本政府の精神的中核としても必要である」と考えるようになったのである。

 以下は、「天皇制を維持するだけでなく裕仁個人を追放しないことを、マッカーサーが正当化するのにも役立った」フェラーズの見解である。
 尚、文中に出てくる冷静な日本の保守派とは、「軍国主義者たちが権力を握る以前に国家を掌握していた上層貴族層と、爵位をもつその子孫たちなど、いまや高齢となった保守的エリート」だとフェラーズは考えている:

 東洋に恒久平和を樹立するには、日本を完全かつ無条件に降伏させることが不可欠である。軍事的に完全に壊滅し、その結果、すさまじい混乱を経験してはじめて、日本人はみずからが他に優越した民族であり、アジアの盟主たるべく選ばれた民であるという狂信的な刷りこみから醒めることができる。痛恨の敗北と巨大な損失があってはじめて、軍国主義体制の打倒が可能であること、軍の狂信的な国策が日本人を破滅の道へと導いたことを、人々ははっきりと理解することができよう。
 肉体的にも精神的にも、日本人は頑強な人々である。しかし、このような非常な苦痛を日本本土の人々が経験するうちに、いつか冷静な日本の保守派が、ほんの一瞬の光明を見出し、手遅れにならないうちに自分自身を救う時が来るかもしれない。
 圧倒的な軍事的敗北は、軍国主義者のギャングたちが国民をだましたことを、誰にとっても明らかにするだろう。
 それだけではない。軍国主義者のギャングたちが神聖不可侵なる天皇の信頼を裏切ったことを、大衆は実感するであろう。軍国主義者たちが、帝国の神聖な統治者たる天子を没落の瀬戸際に追い込んだのだ。天皇をだます者は、日本に存在してはならない。そう理解できたとき、これまで長い間表面に出られなかった保守的で寛容な勢力が真価を発揮する可能性が出てくるであろう。彼らが先頭にたって政府を握り、彼らの手に残った日本列島と日本人と天皇を救うために必要な譲歩を行うかもしれない。天皇が和平を裁可すれば、全員が納得するであろう。そうすれば、日本を完全な廃墟にするほかなくなる前に、対日戦争は終結する可能性がある。
 休戦条件については、われわれはけっして弱腰であってはならない。しかしながら、天皇の退位や絞首刑は、日本人全員の大きく激しい反応を呼び起こすであろう。日本人にとって天皇の処刑は、われわれにとってのキリストの十字架刑に匹敵する。そうなれば、全員がありのように死ぬまで戦うであろう。軍国主義者のギャングたちの立場は、非常に有利になるであろう。戦争は不必要に長引き、われわれの損害も不必要に増大するであろう。
 (略)
 アメリカは状況を主導すべきであって、後追いするべきではない。時機を選んで、われわれは一方に天皇と日本人を、他方に東京の軍国主義ギャングたちを置き、両者の間にくさびを打ち込むべきである。われわれは、敵をはっきりと理解し、敵を賢明に取り扱うことによって、何年にもわたる流血の事態を回避できる。日本は完全に打倒されるべきである。そしていったんそれが実現したら、アメリカの正義が道となり光とならねばならない。
 天皇にだけ責任を負う独立した軍部が日本にあるかぎり、それは平和にたいする永久の脅威である。しかし、天皇が日本の臣民にたいしてもっている神秘的な指導力や、神道の信仰があたえる精神的な力は、適切な指導があれば、必ずしも危険であるとは限らない。日本の敗北が完全であり、日本の軍閥が打倒されているならば、天皇を平和と善に役立つ存在にすることは可能である。
 日本の政府については、権力を分散させ、それら相互のあいだにチェック・アンド・バランスの仕組みを持たせる必要がある。天皇の側近は、すべて非軍人のリベラルな指導者でなければならない。武装組織は、非軍人の責任者に従う国内治安用の警察だけに限定しなければならない。(中略)
 東京の軍国主義のギャングたちが息絶え、日本軍が破壊され、リベラルな政府が天皇の下に樹立されたとき、悲しみを深め、人数も減りはしたが、より賢明になった日本人たちは、生活の再建をはじめることができる。(p.10-13)

 一九四五年春、マッカーサー司令部は、マニラで開いた会議で、天皇を利用する「くさび」政策が承認された。この会議でもっとも熱弁をふるったのは、フェラーズの信頼する同僚の一人であるシドニー・マッシュビル大佐だったという。
 彼の発言についての記録によれば、「二五〇〇年におよぶ生物学的涜神行為(近親結婚)のたんなる産物にすぎない天皇を殺したところで、愚の骨頂だ。イエスの神性なくしてキリスト教はありえないが、それと同じくらいに真実なのは、天皇を殺しても日本人の天皇崇拝はなくならないということだ(天皇は日本人の祖先崇拝の体系の一部にすぎない)」(p.14)

 これほどの日本人および天皇に対する認識があったのなら、日米間に戦争が起きる前に、天皇および日本人と、軍国主義のギャングたちとの間にくさびを打てなかったものかと疑問に思うが、やはりその時点では、どこかしらに無理があったものなのだろうか。
 そして「アメリカの正義が道となり光とならねばならない」という強固な信念の底抜けの傲慢さと無邪気さ! 

                           (02/04/28

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