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2010/03/27

『敗北を抱きしめて』雑感(3)

 前回は、「悲しいかな日本の指導層は、軍部官僚も実業家も右翼も保守層の政治指導家も末端の役人にいたるまで、ほとんど誰も戦争責任など考えなかった」と、戦後の日本の中枢部の無責任ぶりを指摘した。
 今回は、それをさらに具体的に指摘する本書の記述を、以下に引用しておこう(頁数はすべて上巻である)。

 八月二〇日、マニラの米軍は日本の降伏使節に「一般命令第一号」を手渡し、日本軍の全資産は手を付けず保管せよと命じた。東久邇宮新内閣は、この命令を無視した。マッカーサー元帥が到着する予定日の二日前、日本政府は前述の秘密の処分命令(注)を取り消したが、すでに処分された資産の所在を確認し回収しようとする努力はまったく行われなかった。当然のことながら、これらの物資の所在に関する記録は、もはや簡単には入手できなくなっていた。これと同じ時期、日本銀行は「平和的」な生産に転換させるという表向きの目的の下に、軍需関係の業者に対して膨大な融資を行うことに力を注いでいた。後日行われた調査記録を読むと、影響力をもつ人々の非常に多数が、天皇の放送が行われた後の二週間の混沌の間に軍の倉庫から勝手に物資を持ち出し、軍事予算や日本銀行から急いで代金を支払ってもらえるよう軍需業者や旧友のために手を打ったり書類を破棄することに、目が覚めている時間のほとんどをあてていたとの印象は拭えない。日本史上最大の危機のただ中にあって、一般民衆の福利のために献身しようという誠実で先見性ある軍人、政治家、官僚はほとんどいなかった。旧エリートたちからは、賢人も英雄も立派な政治家も、ただの一人も出現しなかったのである。  (注)「八月十四日、総辞職直前の鈴木貫太郎内閣の最後の仕事は、すべての軍需物資の処分を地方部隊の司令官の手に委ねると決定した」これは「翌日、陸機三百六十三号という秘密命令として、軍内部で発令された」(p.132-133)
 その後の調査によれば、帝国陸海軍が保有していた全資産のおよそ七〇%が、この戦後最初の略奪の狂乱のなかで処分された。……その総価値はおよそ1000億円と見積もられたが、これらの資財もすぐにほとんど跡形もなく消えうせた。 ……これらの資財がどこに行ったのかといえば、無数にあった隠し場所に置かれたか、または直接闇市に流れたかのいずれかであった。(p.133-134)
 こうした軍需物資の大量横流しは、衆議院議員で内務政務次官であった世耕弘一が一九四六年に非公式に調査にとりかかるまで、きちんと調査されることはなかった。軍需物資の横領という国民の負託に対する裏切り行為が、いかに規模の大きいものかが広く知られたのは、一九四七年後半になってからのことであった。案の定、調査にあたった担当者たちは、事件の調べが進むにつれ、上は内閣、中央官庁にはじまり、あれこれの代議士、札つきの政治の黒幕たち、「新興成金」、そして下は地方の下っ端の官吏や警察官まで、あらゆるレベルから「著しい反発」を受けていると嘆いた。実際、闇市で横領品を売りさばいて儲けた金のかなりの部分が、政治活動の資金になっていた。その関係者にはとくに保守政党と結びついた政治家が多かったが、けっしてそれに限られていたわけではない。(p.137)

 本来は国民の財産であるべきものを、「一部の地位と特権にめぐまれた者たちが横取り」したわけである。こうした物資というのは、「長期の決戦に備えて、本土防衛の膨大な兵力に供給するために貯蔵されていたものだった」「そのなかには無期限に隠匿できる物資も多かった。たとえば愛国婦人たちが戦争に協力しようと寄付した、膨大な量のダイヤモンドや個人所有の宝石類も盗まれてしまった。海外から持ち帰った薬物や、チタンのような希少金属も盗まれた」(p.138)という体たらくだったのだ。

 そうした犯罪者たちは、ほとんど追究されることはなかった。実際には戦中においても戦後においても特権を享受していた連中が大半だったから、追及する立場にあるものも追究される立場にあるものも同じ穴の狢だったのである。

 ……隠退蔵物資に関する国会の特別委員会の報告書は、多くの人々がなぜ長い間、肉体的・精神的な疲弊から抜け出せなかったのかについて、かなりうまい説明を提供している。…(略)…物資横領で利益を得た有力者たちは「民主主義の仮面をかぶってはいるが、一度はげば、国家経済をいつまでも混乱させておこうとする闇商人」であり、経済の混乱が長引くなかでどんちゃん騒ぎをしているのだ、と。(p.140)
 こうした状況の下では、日本人のあいだに被害者意識が根を張り、この戦争の最大の犠牲者は自分たちだと多くの者が思ったとしても驚くにはあたらなかった。皇軍が遠い異国で見知らぬ民を襲って町や村を廃墟にした話などよりも、自分自身の惨めさの方がはるかに身近で感覚的にわかりやすかった。(p.140-141)

 小生には第二の敗戦とも称されるバブル経済の破裂後の日本の状況をどうしても重ねてみたくなる。垂れ流しの公共事業費も、多くの不良債権を抱える銀行や不動産・流通・土木関係に吸い込まれるだけで、一向に末端の民間におカネが流れる形跡がない。
 それは、不況が長引くことで、政府などからカネを思いっきり呑み込める構造ができているからなのだろう。だから、不況は長く続けば続くほど、ありがたいというわけである。不況の脱出を名目に、公的資金などを誘導できる仕組みがあるわけで、そのうまみを逃す手はないわけだ。

 さて戦後の混乱の中、食糧不足は慢性化しており、子供たちは、それでもしたたかに新しい遊びを作り出していた。それはまさに世相を正直に映し出すものだった。戦中は、戦争ごっこが男の子の遊びの中心だったが、戦後は、「闇市ごっこ」「パンパン遊び」「デモ遊び」「引揚げ列車遊び」「ルンペンごっこ」「手錠ごっこ」「泥棒ごっこ」「買出しごっこ」などが存在したという。(p.128-131)

                              (02/04/06

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