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2010/03/27

『敗北を抱きしめて』雑感(5)

 終戦直後に限らないのだろうが、大概の左翼のエリート意識というのは、胡散臭くてならなかったものだ。しかもそのエリート意識というのは指導層の連中が持っているだけではなく、大組織の末端構成員でさえ、組織外の連中に対して持っていた。組織内の階層構造が、奇妙に歪んだ形で外部に投影されたのだろうと、察するに難くない。

 前衛という意識。そういう名称の雑誌さえある。ある種の教条があって、その枠組みからは髪の毛一本ほどの乱れも許されなかった(きっと、今とは実情が違うのだろうけれど)。「左翼あるいは共産主義者が考える前衛という発想自体が、まさに、大衆は後ろ向きで、上からの指導が必要であるという前提に立っていた。この点において、左翼のエリート意識は、天皇の庇護と威光の下で権力を保持しようとした保守主義者や占領軍と大きな違いはなかった」(p.318)

「マッカーサーの指導下にあるGHQと、改革の課題に不本意ながら従っていた保守派の有力者たちと、日本の「進歩的文化人」や日本共産党は、それぞれ形は異なっていたものの、ともに天皇制民主主義の実践者であった」(p.318-319)

 知識人が共産党にたいして抱いていた忠誠心には、「悔恨共同体」に特有の心理的な理由があった。多くの知識人は、戦前に自らの信念を曲げて軍国主義に迎合し、国家の圧力に抵抗できなかったため、個人的に罪の意識を感じていた。だからこそ彼らは、二度と同じ過ちを繰り返すまいとして、党中央委員会の見解に厳しい支持を要求する戦後の共産党に、忠誠を尽くしたのである。マッカーサーやGHQと同じように、共産党も自らが描いた民主革命への正しい道のりにたいして党員に無条件の服従を要求したのである。このような規律・統制は、共産党内部での批判を抑え、ひいては「悔恨共同体」に属する多くの人々を、新しい教義と権威の信奉者へと変貌させてゆくことになった。(p.319)

 日本人は、忠誠を尽くす対象は戦前と戦後と変っても、一部の指導者の教条的な服従要求に素直に従うという構造は、まるで変ってはいないようだ。自分の頭で考えるということが、いかに厳しく困難なことかを思えば、致し方ないのかもしれないが、近年に至るまで、こうした性癖は変っていないのかもしれないことを思うと愚かしいというより、悲しいと感じてしまう。ダメよダメよと言いながらも、無理強いされた、仕方ないかと従ってしまう。そこには責任感とか、自己が決定に対して参画したという自覚が生まれようはずがない。で、時代の雰囲気が変わるとシャッポを変えることで、何かが変ったような気にさせられる。

 実は、自分への厳しい問い掛けから決断がなされない限り、何一つ変るわけもない。

 それにしても、戦後の軍国主義から民主主義への(占領軍主導民主主義への)「改宗ゲーム」(p.321)の中、例えば占領軍への対応の仕方に示される愚かしいほどの無邪気さ、親切さ、浅薄さは眼を覆いたくなるものがあった。
「たとえば原爆が投下された長崎においてさえ、住民は最初に到着したアメリカ人たちに贈り物を準備し、彼らを歓迎したのである(贈り物はガラス・ケース入りの人形で、放射能の影響を調査に来たアメリカの科学チームの責任者に贈呈された)。
 またそのすぐ後にも住民たちは、駐留するアメリカ占領軍人とともに「ミス原爆美人コンテスト」を開催したのである」(p.321)

 悲しいかな、戦後の上からの民主主義、強制された民主主義は、いつまで経っても空々しい裃(かみしも)でしかなかった。当然といえば、当然過ぎる話なのかもしれない。ヨーロッパに源泉を持つ民主主義がどれほどの血を流し犠牲を払うことで確立されてきたか、鍛え上げられてきたかを思うべきなのだろう。それでも、ヨーロッパに強固な階層性が居座っているのである。

 上に弱く下に強いという日本の国民性は、日本だけの国民性なのかどうかは、分からない。が、いじめの横行を見ると、とにもかくにも今も不可視の(しかし実は見ざる言わざる聞かざるが故の、見て見ぬ振りを装う結果としての不可視の)構造としての面従後言、面従腹背の性癖はまだまだ続くのだと思うべきなのだろう。

 つまりは実は、民主主義も一つの仮のシャッポに過ぎず、遅かれ早かれ別のシャッポが賑々しく喧伝されると見切っているということなのかもしれない。それまでは、建前として民主主義を標榜しておくということなのだろう。

                           (02/04/21

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