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2010/03/13

十じゃなく八が基数 ? !

 ジョン・D.バロウ〈John D.Barrow〉著の『数学でわかる100のこと 』(松浦 俊輔/小野木 明恵【訳】 青土社)を読んだ。
 小生はジョン・D.バロウ(の著作)のファンで、これまでも何冊か読んできた。
(ついでながら、訳者の一人・松浦俊輔氏とは相性がいいのか、同氏の訳される本は大概、読みたくなるし、実際、何冊も手にしてきた。)
 たまたま他に読みたい本が重なっていたので、読むのが今頃になったが、まあ、楽しませてもらったのだから、早い遅いはいいとしよう。

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← ジョン・D.バロウ〈John D.Barrow〉【著】『数学でわかる100のこと―いつも隣の列のほうが早く進むわけ』(松浦 俊輔 小野木 明恵【訳】 青土社 (2009/07/15 出版))

 本書には、「いつも隣の列のほうが早く進むわけ」なんて副題が付いていることでも分かるように、「なぜ空港や郵便局で列に並ぶと、決まってほかの列のほうが早く進むように感じるのか?仲の良い二人の間にもう一人が入ってくると人間関係が崩れてしまうのはなぜ?離婚調停に双方が納得できる公平な解決策はあるのか?…ありふれた日常の出来事について、数学で考えてみる」といった趣向の本。
 百の話題が載っていて、それぞれが2頁から数頁の章で成っている。
 なので、大部の本を読んでいる片手間に読むには最適な本だった。

 …そうはいっても、もともと数学は好きだが、数式は(も)苦手な小生のこと、時折(しばしば?)理解が及ばないこともあったが、まあ、それは愛敬(?)で済ませて、とにかく数学は「数」と心得て、きちんと分からなくても、そこは想像力(憶測力?)で補う!

 参考に、目次(メニュー)の一端を例示すると、以下の通り:

今月の鉄塔
バランス感覚
あやしい仕事
独立記念日
ラグビーと相対性
車は転がる
比例の感覚
いつも隣の列のほうが早く進むわけ
二人なら仲間、三人なら仲間割れ
八にまとめて教える

 どういった話が繰り広げられるか、数式を使わない章を例にとってみてもらおう。
八にまとめて教える」の章について、脈絡を度外して一部、転記してみる(数える際、私たちは「十」を基本にするが、それは手の指(の数)を使って数えてきたからだ、云々といった前置きがある:
 昔の文化では十を基数とする数え方が広く使われていたが、中米のインディオ社会では、八を基数とする数え方が使われていた。どうしてだろう。私はよく数学者に、もっともな理由を思いつくかどうか尋ねてみたものだ。すると、よく出て来た答えでは、八には因数がたくさんあるから、二と四で割り切れるから、分数と呼ばれる新しい種類の数を作らずとも四等分できるからなどという理由で、八というのは使いやすい良い数なのだという。しかし、正しい答えが返ってきたのは一度だけだった。

 ここで、転記を中断する。
 皆さんは、「八を基数とする数え方が使われていた」のは何ゆえか、想像が付くだろうか。
 ヒント(らしきもの)は、すでに要約した前置き部分になくはない…。

 …さて、各人なりに理由を思い浮かべることが出来ただろうか。

 転記を続ける:

 大勢の八歳の子どもたちを前にしてこの質問をすると、ひとりの女の子がすぐに正解を言った。インディオは、指と指の間を数えていたのだ。指の間に、細長いものや小さなものを何かはさんでいたら、こうやって数えるのが自然だ。八を基数とした人たちも、指で数えていたのだ。


ジョン・D・バロウ関連拙稿:
ジョン・D・バロウの説く「対称性」の意味
無限の話の周りをとりとめもなく

                            (10/03/13 作)

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