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2010/03/10

『絶滅した日本のオオカミ』より(2)

(「『絶滅した日本のオオカミ』より(1)」から続く。本稿の作成の動機などについては、ここを参照のこと。)

 オオカミを理解し支配しようという人類の試みに関する私のアイボに触発された説を、少しばかり時代遅れの研究が後押ししてくれた。人と動物の関係に興味を持つ学者、スティーブン・ケラーは野生動物に対する人間の態度について、米・日・独の比較をした。彼が調査した八分野の態度において、この三つの産業大国のなかで日本人はもっとも「否定的」(無関心・嫌悪・恐れのために基本的に動物を避ける傾向)で、「支配的」(動物を征服し、支配することに基本的関心を示す)だった。さらに、日本人の動物に対する態度のなかで文化と美学の部分に重点を置いた一例では、「日本人の動物に対する評価は、ある非常に整えられた環境下で独特の美学的、文化的魅力のある種に概して限られている」ことをケラーは発見した。ケラーの質問に応じた一人の回答者は「日本人は動物や自然に関する実体験よりも人工的、かつ高度に抽象化された象徴的なものを好む」と答えた。さらに「動物に関する知識」についての一連の質問に対して、日本人は最低点を記録したが、人間にとって実用的価値を持つ動物についてはよく知っている傾向があり、「お気に入りの生き物」もよく知っていた。

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↑ アイボ(AIBO) (画像は、「AIBO Official Site」より)

 アイボの存在もケラーの統計も安易に過去に当てはめられるものではない。しかし、明らかに、日本人がオオカミと身近に接するようになるにつれ、近世の加賀や明治以後の北海道でオオカミが少年少女や家畜を殺すにつれ、彼らは大衆的イメージや儀式の「人工的、かつ高度に抽象化された、象徴的な」役柄と決別し、より「現実的な存在」として人間と直接競合し、そしてその状況は許容されず、こうしてオオカミは絶滅に向けて狩り立てられ毒殺(ストリキニーネ)された。日本で、オオカミや他の動物に対する理解(そして支配)を思い浮かべ、使いこなす方法は、日本社会の変化とともに変わった。だから恐らく、アイボは動物を理解し支配しようとする昔からの試みの最新の化身なのだ。日本人のオオカミについての経験は、自然を征服しようという試み(自然を解明し、支配し、場合によっては模倣までする必要)を象徴している。このアイボに触発された理解・支配論はなるほど説得力があるように思えるかも知れないが、日本の文化と社会の変化をある観点で見たもので、なぜ日本のオオカミが消えたかという話の半分も語っていない。実際、オオカミのような動物を完全に理解できると過信させてきたのは、私たちの傲慢さのなせる業に過ぎない。これまで見てきたように、日本のオオカミの絶滅は生態学的な過程の結果でもある。それはしばしば、人間が始めたものだったが、その後、制御しきれなくなったのだ。狂犬病の流行を例に取れば、それは日本のイヌ科動物群に感染し、オオカミの行動習性を変え、お互い同士あるいは人間社会との暴力的対立に押しやった。その結果、人々はオオカミに対する認識を変え、「狂った」(理解できない、扱いきれない)と烙印を押し、そして年代記作者は日本のいくつかのもっとも有名な旅ばなしにオオカミの攻撃の話を取り入れた。加賀藩の「大犬」もまた、そのような行動をした。この意味で、日本におけるオオカミの絶滅は、人類が手を下したものの、充分には管理しきれなかった、さまざまな行為の産物なのである。
 古代のシベリアオオカミがのちに日本列島となった地に足を下ろした瞬間から、彼らは変わり行く島の要求に応じて絶えず進化してきた。体が小さくなるとか、人やペットの近くに暮らせるようになるなどの進化に伴う変化が、結局は絶滅の遠因となった。人の居住地拡大とそれに続く土地開発がオオカミの棲息地を侵し、オオカミの棲む地域にイヌを持ち込み、日本のイヌ科動物同士の持続的な雑種を生むに至ったようだ。そして、この雑種化がオオカミの血統を弱め、肉体的にも遺伝子的にもオオカミを変え、状況によっては、全くオオカミらしくない行動習性を作り上げた。これらの「大犬」は真の野生オオカミよりも、人家近くの方が居心地よく、金沢近くの竹薮で仔を育てる雌が現れたりした。加賀藩などで人間に近づいたことがさらにオオカミの進化と行動習性を変えた。これらの雑種が天保の大飢饉のような激動のとき、死んだ農民や動物のやせた屍体を食べたことによって、人は彼らを崇めるどころかののしるようになった。このことは、動物の習性の病理および生態と人間の認識の文化が交差し、オオカミ殺しとのちの絶滅の一因となったことを示している。
 人間とオオカミの経済・生態面での競合が日本のオオカミの絶滅の一因となったことも論じてきた。一九世紀のエゾオオカミの絶滅で際立つ一つの要素は、利用可能な場所と食料資源を巡る日本人とオオカミの競合である。オオカミは北海道では伝統的に、シカの群れ、海岸に打ち上げられたクジラ、生きたあるいは浜に打ち寄せられた魚に依存してきた。そのために、日本人が北海道への入植という状況のなかで資源の収奪を強化し、未開地を馬牧場に変えたとき、人間とオオカミは同じ食料源を巡って競合を開始した。このため、北海道の牧場における人間とオオカミの闘争は決して偶然の出来事ではなかった。つまり、たまたま変わった仔馬がオオカミに食われたとか、猟師が一、二頭のオオカミの毒殺を試みたとかいうものではなかった。むしろ、事実上の戦争のようなものだった。オオカミは数百頭ものウマを殺し、馬飼育事業自体の基本的な存立の可能性を脅かした。牧草地の護衛者はライフルで武装し、それを撃ち殺し、家畜を守るために篝火を焚いた。一八七〇年代後半、エドウィン・ダンが「全島の生き物を殺すだけの」ストリキニーネを発注したのもそのためである。文化と生態に根源を置く、排除のための闘いは北海道全土を揺り動かしていたのである。
 しかしながら、付きまとって離れない罪の意識を和らげるためでないとしたら、なぜ私たちは日本のオオカミの絶滅を振り返るのか? この最後の疑問に答えるために、北米のオオカミの例をもう一度簡単に見てみよう。

                             (10/03/10 転記)

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