瓜南直子作『寝目物語』
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← 清水 幾太郎【著】『倫理学ノート』(講談社学術文庫)(小生は岩波書店版で読んだ。)
雑感(8)で、小生は、以下のように記述している:
この無責任と無自覚は、東京大学、そしてその総長である南原繁も同じだった。一九四六年三月、戦没した東京大学の学生と職員のための慰霊祭が行われ、そこで南原が総長として述べた追討の辞の全文が、「戦没学徒に告ぐ」と題されて『文藝春秋』に掲載されている。
この中で、国民的罪悪に対する贖罪の犠牲者と戦没した学徒を呼んだ。正義に負けたのではなく、「理性の審判」に負けたのだというのだ。
南原は、「日本による侵略の犠牲になった者たちについて語らなかったし、アジアのほかの民族にもいっさい言及しなかった。今こうして糾弾している軍国主義、超国家主義の推進にこの大学が積極的に加担していたことについても立入らなかった」(p.319)
南原(に限らないが)の「転向の基盤にあったのは、彼が語りかけ悼んだ、真実を追究した学徒ともども、日本の指導者たちに欺き導かれたのだ、という確信だった」(p.320)のである。なんという、強弁だろう。なんという、ご都合主義なのだろう。これが日本の最高学府の総長の姿勢なのだ。
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5月1日付け朝日新聞夕刊に評論家(で漫画の原作者でもある!)大塚英志氏による "「戦後史」すら与えられた国で "と題された一文が掲載されていた。どうやら憲法記念日を前にということでの小文のようだが、副題として「理念に忠実でなかった僕たち せめて国際仲介役できないか」とある。この副題は誰が付けたのか、分からない。新聞社の編集部のほうで付されたのだろうか。
小生は大塚英志氏のことは、あまり知らない。昨年、ひょんなことから『「彼女たち」の連合赤軍』を読んだことがあるだけである。
彼は朝日での一文の冒頭、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』が話題になった時、書評を求められたが、結局書かなかった、それは「一読して感じた生理的ともいえる不快さを払拭できなかったからだ」と記している。
その不快さを彼は次のように説明している:
ぼくが感じた嫌悪はだから同書の欠点に対してではなく、戦後史さえも「彼ら」に書かれてしまった自分たち自身への深い忸怩に他ならない。(大塚氏)
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今、俗に「太平洋戦争」などと呼び習わしている、日本が関わった戦争の名称。小生は、いつも、どう呼べばいいのか、迷ってしまう。「第二次世界大戦」というと、どこか世界史っぽいし、どこか欧州での戦争に焦点が絞られているようで、日本が関わったという印象が薄れてしまう。まさに、世界の歴史の中に埋没してしまいそうに感じてしまうのだ。
もちろん、日本が世界の歴史の流れの中にあって、余儀なく戦争への道をひた走った面もないわけじゃない。が、今は、その点には触れない。
さて、ほかに「大東亜戦争」とか、「十五年戦争」とか、いろいろありそうである。
ところで、戦争に関するSCAPによる検閲政策のなかに、用語の変更に至るものもあったようである。
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日本国憲法がアメリカ当局の強い意志によって成立した面があることは、否めないだろう。当初は、日本の政治家達も、明治憲法の手直しで乗り切れるという目論見があったことは、確かだとしても。
かの天皇機関説の主張で迫害された美濃部達吉、降伏前の日本で「自由主義」憲法の理論家としてもっとも有名だった美濃部にしても、憲法改正論争に加わる機会を与えられた際、憲法の改正には消極的な所見を発表した。
「明治憲法の改正を急ぐ必要はない。どんなことがあっても、国が外国の占領下に置かれている時期に、憲法改正を行うことは不適切である、と。近年の諸問題が生じたのは、明治憲法の欠陥によるものではなく、憲法の真意が曲解されたことによるというのが、美濃部の考えであった。(美濃部は、明治憲法下の天皇の地位を問題視することはなかった。西洋の憲法でも「神聖な」とか「不可侵の」君主という言葉を使っていると指摘した)」(p.122)
それでもアメリカ当局の新憲法制定の意志が断固たるものと分かり、やがて日本の当局も、日本の意志を加味するよう戦略を立てたわけである。
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今回からジョン・ダワー著『敗北を抱き締めて』の下巻に入る。
従って以降の引用頁数は、特に断らない限り下巻であることを予め明記しておく。
さて、マッカーサーの占領政策が終戦直後は勿論、中には今に至るも影響力を持つに至ったことはもっと知られていいだろう。中には今では空気のように当たり前になっていて、その歴史的経緯などすっかり忘れられているものもある。
ところで、マッカーサーの占領政策が、我々誰しもが予想されるように、戦中、そして終戦直後の日本の状況を見て決定されているのではないことは、興味深い。マッカーサーの占領政策を決定する上で大きなウエイトを占めたのは、「マッカーサーの軍事秘書官であり、心理戦の責任者であったボナー・F・フェラーズ准将」だったという。
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終戦直後に限らないのだろうが、大概の左翼のエリート意識というのは、胡散臭くてならなかったものだ。しかもそのエリート意識というのは指導層の連中が持っているだけではなく、大組織の末端構成員でさえ、組織外の連中に対して持っていた。組織内の階層構造が、奇妙に歪んだ形で外部に投影されたのだろうと、察するに難くない。
前衛という意識。そういう名称の雑誌さえある。ある種の教条があって、その枠組みからは髪の毛一本ほどの乱れも許されなかった(きっと、今とは実情が違うのだろうけれど)。「左翼あるいは共産主義者が考える前衛という発想自体が、まさに、大衆は後ろ向きで、上からの指導が必要であるという前提に立っていた。この点において、左翼のエリート意識は、天皇の庇護と威光の下で権力を保持しようとした保守主義者や占領軍と大きな違いはなかった」(p.318)
「マッカーサーの指導下にあるGHQと、改革の課題に不本意ながら従っていた保守派の有力者たちと、日本の「進歩的文化人」や日本共産党は、それぞれ形は異なっていたものの、ともに天皇制民主主義の実践者であった」(p.318-319)
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「A級戦犯の裁判も終わりに近づいた一九四八年、犠牲者意識の問題をまるで万華鏡のようにさまざまに追求した三冊の本がベストセラー入りした。一冊は太宰治の『斜陽』であり、もう一冊はドストエフスキーの『罪と罰』の翻訳であった。そして三冊目は永井隆の『この子を残して』である」
最後の『この子を残して』というのは、「占領軍が許可した原爆投下に関連する書籍の最初期のものであった」。
また、「放射線病で死の床にあった長崎の若い科学者・永井は、核による破壊とその後の救いに関する深い考察をつづって、日本中を魅了した」という。
彼は、長崎に多数居るキリスト教徒の一人だったが、一九五一年に四三歳で死亡した。
占領下にあった日本において、原爆の投下や核に関する話題はタブーであり、出版や言論も許されていなかった。
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前回は、「悲しいかな日本の指導層は、軍部官僚も実業家も右翼も保守層の政治指導家も末端の役人にいたるまで、ほとんど誰も戦争責任など考えなかった」と、戦後の日本の中枢部の無責任ぶりを指摘した。
今回は、それをさらに具体的に指摘する本書の記述を、以下に引用しておこう(頁数はすべて上巻である)。
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前回に引き続きジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて 上・下』をもとに多少の考察を試みたい。
が、その前に多少の訂正がある。本書は「上・下」の二分冊となっている。上巻は前回の冒頭で示したように、訳者は、三浦陽一・高杉忠明の両氏でいいのだが、下巻は三浦陽一・高杉忠明に加えて田代泰子氏の三氏による共訳になっていることに、あとになって気付いたのである。申し訳ない。
何しろ、前回を書いた時点では、本文にさえ入れないまま、ざっと捲ってみて受けた印象で好感を覚え、その上で「日本の読者へ」という筆者による日本版が出るに当たっての挨拶文でもう、ちょっと言及なり引用なりしてみたく思ったのだった。今回は本書の「序」のなかのあるくだりで気になる記述があったから、その点を紹介するつもりである。この分では、下巻に辿り着くのはいつになることやら、である。
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昨年、読み残した本は多数あるが、その中の一冊、ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて 上・下』(三浦陽一・高杉忠明訳、岩波書店刊)をようやく今になって読み始めることができた。
← ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて 上 増補版』(三浦陽一・高杉忠明訳、岩波書店刊)(小生が読んだのは、増補版ではない。)
本書は、小生の狭い歴史関係(現代史・戦後史)の読書体験の中で比較評価するのも、気が引けるが、実に中身の濃い歴史書であることは、間違いない。資料の浩瀚なる渉猟と、当然、アメリカ人ということも無関係ではない客観性、それでいて長く、日本の戦前・戦中・戦後史に関わった学者としての、テーマ性とが相俟って、実に面白く読めている(実は、まだ数十頁しか読んでいない)。
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過日、図書館へ返却と新規に借りる本やCDの物色に。
と、新入荷本コーナーの平棚に、気を惹く題名の本が2冊も。
一冊は、ジョージ・エリオット著の評論・書評の本。彼女がこんな仕事もやっていたこと自体が意外だったが、そんな本が出るなんて思いも依らなかった。
まあ、小生は彼女のファンで、先月も『ミドルマーチ』という大作を読んだばかり。
無条件で借りる。
← エヴァリン・ゲイツ(著) 『アインシュタインの望遠鏡 (Einstein’s Telescope)』(野中 香方子(訳) 早川書房)
残りの一冊は、エヴァリン・ゲイツ著の 『アインシュタインの望遠鏡』(野中 香方子訳 早川書房)である。
副題が、「最新天文学で見る「見えない宇宙」 」となっている。
もう、出版社も心得ていて、題名にアインシュタインの名が冠せられていたなら、物理学ファンや理系の本好きならずとも手を出すと考えておられる。
安易である。
が、小生、あっさりその手に乗ってしまった。
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先週、本の返却と借り出しに図書館へ行った。
受付カウンターの手前に新入荷本のコーナーがあり、返却の前にザッと眺めたら、寺田寅彦という名前が目に飛び込んできた。
彼の著書ではなく、彼に付いての本。
借りるかどうかは別にして、とりあえず、ゲット(…じゃなく確保に過ぎないが)し、カウンターへ。
寺田寅彦(の随筆)のファンである小生、長年住み暮らした東京から帰郷のため引越しをした際にも、寺田寅彦の全随筆(全部で六巻)だけは死守したものである。
さて借りた本とは、下記である。
← 末延 芳晴 著の『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)
内容説明によると、「欧化の明治・大正・昭和になって、日本が誇る「知性」とは何か?地球物理学者としての独創的な業績によって名を轟かせ、漱石門下、その文才を謳われた巨星・寺田寅彦。今も魅了してやまない、このマルチな創造的精神の核心の秘密に、「音」「音楽」という視覚から迫る画期的論考」といった本。
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ジョン・D.バロウ〈John D.Barrow〉著の『数学でわかる100のこと 』(松浦 俊輔/小野木 明恵【訳】 青土社)を読んだ。
小生はジョン・D.バロウ(の著作)のファンで、これまでも何冊か読んできた。
(ついでながら、訳者の一人・松浦俊輔氏とは相性がいいのか、同氏の訳される本は大概、読みたくなるし、実際、何冊も手にしてきた。)
たまたま他に読みたい本が重なっていたので、読むのが今頃になったが、まあ、楽しませてもらったのだから、早い遅いはいいとしよう。
← ジョン・D.バロウ〈John D.Barrow〉【著】『数学でわかる100のこと―いつも隣の列のほうが早く進むわけ』(松浦 俊輔 小野木 明恵【訳】 青土社 (2009/07/15 出版))
本書には、「いつも隣の列のほうが早く進むわけ」なんて副題が付いていることでも分かるように、「なぜ空港や郵便局で列に並ぶと、決まってほかの列のほうが早く進むように感じるのか?仲の良い二人の間にもう一人が入ってくると人間関係が崩れてしまうのはなぜ?離婚調停に双方が納得できる公平な解決策はあるのか?…ありふれた日常の出来事について、数学で考えてみる」といった趣向の本。
百の話題が載っていて、それぞれが2頁から数頁の章で成っている。
なので、大部の本を読んでいる片手間に読むには最適な本だった。
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(「 『絶滅した日本のオオカミ』より(3) 」から続く。本稿の作成の動機などについては、ここを参照のこと。)
← 「ニホンオオカミ終焉の地碑石像」 (画像は、「ニホンオオカミ - Wikipedia」より)
オオカミ絶滅の結果(続き)
飢饉のとき百姓たちは塊茎を掘り、イノシシと命を繋ぐ食物を巡って争った。そして数千人(八戸の人口の約一割)が、八戸藩史が述べるところの一七四九年の「イノシシ飢饉」で死んだ。歴史家の菊池勇夫は小氷河期の気象、焼畑耕作、単作農業、東北地方におけるオオカミ狩なども重なって、この地区で頂点に立つ捕食者不在のなかで、イノシシの数の爆発的増加を誘発したと論じている。当時の歴史資料が事実上存在しないので、これを検証するのは難しいが、前世紀にはよく見かけたのに一八世紀にはオオカミを目撃することが稀になったと年代記編者が記録していることから、オオカミの数は少なくとも八戸では減少していたのであろう。
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(「『絶滅した日本のオオカミ』より(2)」から続く。本稿の作成の動機などについては、ここを参照のこと。)
オオカミ絶滅の結果
一九九二年七月、アメリカ国立公園局の局員たちは、非常に詳細で多岐に渡る報告書を議会に提出した。それは「絶滅の危機にある種の法」(ESA)に述べられたガイドラインの下に、オオカミをイエローストーン地区に再導入すべきか否かに関するものだった。「イエローストーンにオオカミを?」というタイトルのこの報告書は、イエローストーンにオオカミがいた歴史的事実、オオカミの再導入に伴う社会・経済問題から将来のオオカミの管理、広域イエローストーン地区の生態系とオオカミの相互作用などの問題に触れている。オオカミは、連邦のハンターが彼らを滅ぼし駆逐するまでは昔からこの地区に棲み、有蹄類はこの「頂点に立つ肉食獣」の帰還を十分支えるだけの数がいると、この報告書は状況設定している。牧場主やハンターはイエローストーン地区へのオオカミ再導入に反対したが(その大多数はいまでもそうだ)、他の人々は違った。そのため報告書はイエローストーンへのオオカミ再導入の初期段階への道を拓いた。
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(「『絶滅した日本のオオカミ』より(1)」から続く。本稿の作成の動機などについては、ここを参照のこと。)
オオカミを理解し支配しようという人類の試みに関する私のアイボに触発された説を、少しばかり時代遅れの研究が後押ししてくれた。人と動物の関係に興味を持つ学者、スティーブン・ケラーは野生動物に対する人間の態度について、米・日・独の比較をした。彼が調査した八分野の態度において、この三つの産業大国のなかで日本人はもっとも「否定的」(無関心・嫌悪・恐れのために基本的に動物を避ける傾向)で、「支配的」(動物を征服し、支配することに基本的関心を示す)だった。さらに、日本人の動物に対する態度のなかで文化と美学の部分に重点を置いた一例では、「日本人の動物に対する評価は、ある非常に整えられた環境下で独特の美学的、文化的魅力のある種に概して限られている」ことをケラーは発見した。ケラーの質問に応じた一人の回答者は「日本人は動物や自然に関する実体験よりも人工的、かつ高度に抽象化された象徴的なものを好む」と答えた。さらに「動物に関する知識」についての一連の質問に対して、日本人は最低点を記録したが、人間にとって実用的価値を持つ動物についてはよく知っている傾向があり、「お気に入りの生き物」もよく知っていた。
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こんな機械仕掛けの愛玩物(ソニーのイヌのロボット・アイボ)に接して、私は皮肉な気持ちで、そのうちすぐに自分たちの周りに本当の生き物はいらなくなるのだろうと思った。日本でオオカミ縁(ゆかり)の場所への旅は、まだ頭のなかにまざまざと残っていた。血と肉を持った日本のオオカミの悲しい運命をもう一度思い返し始めた。機が上昇するにつれて(著者は、日本でのオオカミ関連の調査旅行を終えて飛行機で帰国の途についているという想定)私は想念の世界に沈んで行った。そこは、オオカミに似たアイボのような生き物が、ぎごちなく不自然な動きで這いまわり、また、その生き物たち全てが人間の主人に絶対的に従うという日本の風景であった。アイボは反オオカミ、私たちの科学技術的想像力を集約した悪夢のような産物であり、人が創り出した三峯の大口の真神、加賀藩の「大犬」「山犬」を超える巨大な一歩であると私は見る。ついに、すっかり皮肉な気持になって、一部の日本人は、大多数の世界の人類の夢を悟って、それに従って自然を破壊し、機械化し、このうえなく従順な風に模倣し、人に似せた感情世界まで与えて(科学技術で命を吹き込み)、究極的に自然を支配したと言い張るのかと思った。実際に、人類の歴史は、多くの環境歴史家から見ると、多かれ少なかれ、自然世界を解明し、支配し、膨張し続ける栄養とエネルギーの需要を満たすために、自然の改造・改装を企ててきた物語である。私たちは、一生物種として、私たちのあらゆる要求に屈しようとしない自然に対して、もはや我慢ができないところまで来てしまったのだ。六〇億余の生存がそこにかかっている。
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→ ズジスワフ・ベクシンスキー Zdzislaw Beksinski 『??』(画像は、「Zdzislaw Beksinski」より) 何処かフリードリッヒを想わせるかのよう。けれど、徹底して乾いた絶望という名の詩情が漂うのみ。
ズジスワフ・ベクシンスキーは、「私の絵に定義づけ、意味を問う行為は無意味だ。私自身意味は分からないしね。そのうえ、理屈にはサッパリ興味が無いんだ」と言う。
だからなのか、彼の作品のほとんど(あるいは全て?)は、「無題」のようである。
末尾でも示すが、「editions treville - from é.t.art lab - エディシオン・トレヴィル - アート ラボ - ベクシンスキー アーカイブ」は、覗くだけの値打ちはある。
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「「furiae」の周辺」なる稿を書くため、関連情報をネットで渉猟していて、「ファンタジーアートの世界~美麗系&CG系アーティスト」なるサイトに遭遇。
どのアーティストも興味深いが、小生の嗜好もあってか、ベクシンスキー(Zdzislaw Beksinski)という名の世界に特に惹かれた。
ベクシンスキーのHP:「Zdzislaw Beksinski 」(Official web site presented by Belvedere Gallery)
→ ズジスワフ・ベクシンスキー(Zdzislaw Beksinski)著 『ベクシンスキー』(永瀬唯・解説 エディシオン・トレヴィル・発行 河出書房新社) 「死、腐敗、損壊。言い知れぬ寂寥感と恐怖に支配され永遠の廃墟と化した時空。それでも画幅にはエロスの魂だけが虚ろに木霊している。先頃刺殺体で発見されたポーランド孤高の画狂ベクシンスキーの日本唯一の作品集、追悼復刻版!」とか。
「ズジスワフ・ベクシンスキー - Wikipedia」によると、「ズジスワフ・ベクシンスキー(Zdzislaw Beksinski、男性、1929年2月24日 - 2005年2月22日)は、ポーランドの画家、写真家、芸術家」として、さらに以下の説明を見出す:
作品では、死、絶望、破損、廃退、終焉などが描かれ、それは不気味さや残酷さと同時に荘厳な美しさを感じさせる。独特の世界観から多くの支持を得た画家である。
[来歴]
ポーランド南東サノク出身。少年時代にナチスのポーランド侵攻を経験している。
祖父や父が建築関係者ということで、クラクフ工業大学建築設計学部に入学、卒業後は建築業務で現場監督をするも不満を抱き、芸術の道へ進む。
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図書館へCDを返却、当然ながら新たに物色して借り出しに行った。
カウンターを過ぎてCDのラックへの途中に新入荷本のコーナーがある。
今、やや大部の本を読んでいるので、合間に読む(重さや大きさの点で)軽めの本を物色。
すると、興味深い本を発見。
← 渡邊大門著『奪われた「三種の神器」 皇位継承の中世史』(講談社現代新書)
それは、渡邊大門著の『奪われた「三種の神器」』(講談社現代新書)なる本。
副題が「皇位継承の中世史」となっている。
出版社による内容紹介では、「壇ノ浦の合戦、南北朝の対立、皇位奪還を狙う後南朝──。鏡・剣・玉という、歴代天皇の皇位継承のシンボルを求めて繰り広げられた争奪戦を通して、中世期の神器をとらえなおす1冊」となっている。
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