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2010/02/27

瓜南直子twitter展覧会

Twitter(ツイッター)」にて見つけた強烈な個性を感じさせる画家・瓜南直子(かなん・なおこ)。
 思わず、我がブログにて掲載したいとお願いしたところ、快諾していただけました。
 瓜南ワールドを堪能してください。

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← 雨上がりの今日のお昼、玄関の戸を開けたら、庭先に白っぽいものが。梅の木が開花! 思わず庭に出て撮影。開花したのも多いけど、芽吹きつつある花の可憐さに見惚れてしまった。今年も梅酒ができるかも。


 付した言葉は、絵を引き立たせる背景、壁紙です。決して瓜南直子の言葉ではありません。
 絵に付いても門外漢の小生が何を語ることもありません。
 ただ、感じるのは、瓜南直子ワールドの大らかさ。異質なもの、異世界のものもそのままに受け入れてしまうような度量の大きさ、です。

 やや不明な言葉については、末尾に註を施しました。
(例によって敬愛の念を籠め、敢えて敬称は略させてもらっています。)

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2010/02/25

柴田一成著『太陽の科学』を読む

 宇宙論も、細胞の科学も、医学も、そして地球や太陽の科学も近年、急展開を見せている。
 ガキの頃、太陽や地球についての科学書(啓蒙書、入門書)の類いをポチポチと読んできたが、折々、松井孝典氏の本を読んだりはしても、太陽を巡る本はあまり読んでこなかった。

 あくまで小生の中のイメージだが、子供の頃や学生の頃、教科書や啓蒙書に書いてある太陽像と、それほど理解の進化が見られたようには感じられなかったのだ。

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→ 「通常の機材で撮られた写真だが、夕日の中央に肉眼黒点が確認できる (画像は、「太陽黒点 - Wikipedia」より)

 しかし、近年は違う!

 図書館の新入荷本のコーナーで本書を見つけ、パラパラと捲ると、謳い文句には、「人工衛星「ようこう」「ひので」などの最新成果により、太陽は爆発を繰り返すダイナミックな天体であることがわかった」とか、「磁場の作用で、パチンコのようにプラズマが射出するメカニズムや、それが磁気嵐となって地球に影響を及ぼすプロセスを解明する」などとあり、「太陽研究の基礎から最先端の成果まで詰まった、知的興奮の書」とまで言い切っている。
 まあ、宣伝なのだから、それくらいは書くのだろうが、実際、本書を読んで、「太陽は爆発を繰り返すダイナミックな天体」であることを痛感させられた。

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2010/02/19

シートン著の『オオカミ王 ロボ』を読み直す(後篇)

 小生は、西部開拓時代の、白人によるインディアン…先住民族の大虐殺を重ね合わせて読まざるを得なかったのだ

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→ Ernest Thompson Seton (drawing from 「100 Years of Illustration Ernest Thompson Seton 1860-1946」)

 先住民族の地の利を生かした戦いも、白人の側の狡猾さと約束をことごとく破る卑劣さの故に、リーダーらも含め、大量虐殺の憂き目に遭ってしまう
(同時に、都の貴族達に騙まし討ちに遭った、先住民族のリーダー阿弖流爲(あてるい)の悲劇をも重ね合わせて読んでいたのだった。北米大陸には、ロボに匹敵するような知恵のある優れたオオカミが複数居たらしいが、先住民族のリーダーも何人もの名前が史書に載っている。彼らもことごとく殺されていった。)

 まさかこんな読み方、感じ方をするとは思いもよらなかった。

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2010/02/18

シートン著の『オオカミ王 ロボ』を読み直す(前篇)

 ひょんなことから、とても懐かしい物語、シートン著の『オオカミ王 ロボ』を読む機会を得た。
 昨夜半近くに読了した、ジョージ・エリオット著の『ミドルマーチ』を借り出し期間内に読みきれず、延長の手続きに行った際、隣りの児童図書の新入荷本のコーナーに本書を見い出したのだ。

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← アーネスト・T・シートン 文・絵『オオカミ王 ロボ』(今泉吉晴 訳・解説 童心社) 「シートンがアメリカ・ニューメキシコのクルンパを支配するオオカミのロボに挑んだ壮絶な物語。シートンは、メスのオオカミ・ブランカに対するロボの深い愛情に感動と後悔を抱く。新しいシートン動物記第1弾!」だって。

 手続きが順番待ちで手間取ったので、ぶらりと覗きに行ったら、そこにこの本があった、というわけである。
 子供の頃、この物語を読んで、悲劇のヒーロー像に胸焦がれる思いをした、そんな遠い記憶がある。
 憧れというわけではないが、孤高の、しかし心優しいヒーローのあまりに哀れな末路に思い入れを強くしてしまって、本の挿絵をせっせと真似て描いたものだった。
 その絵は一つくらいは今も残っているはずである。
 
 だから、読むというより、絵への懐かしみという気まぐれでついでのつもりで借り出したのだ。

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2010/02/17

『マグネシウム文明論』は注目に価する

 別に我輩如きがエコ論議に口を出すつもりもないが、野次馬根性だけはあるので、関連の話題にはつい目が行ってしまう(らしい)。
 過日、図書館へ返却のため、寄った。
 今、ジョージ・エリオットの大著『ミドルマーチ』を読んでいる最中で、ほとんどかかりきりなので、他の本を読む余裕などない。
 なので借りるつもりはなかった。

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← 矢部 孝/山路達也 著『マグネシウム文明論』(PHP新書 PHP研究所)

 …のだが、音楽CDだけは返却のついでに新規に借り出した。
 すると、そのカウンターの近くに新入荷本が陳列されている。
 中に、ちょっと気を惹く題名の本がある。
 題名が大仰(に思えた)で、際物(きわもの)的な本かとも思ったが、好奇心には勝てず、手に取ってしまった。

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2010/02/15

マイルス・デイヴィスの絵画へ(後篇)

 本書を読んで、ジャズやロックなどいろんな音楽家のデイヴィスとの関わりを知ることができて面白かったが、ある意味、小生が本書で一番、関心を呼び起されたのは、「絵画における共同制作者」という副題の付された「ジョー・ゲルバード」の章だった。
 まず、このジョー・ゲルバードという画家・宝石商なる女性が謎めいている。

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→ テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault)『エプソムの競馬』 (画像は、「テオドール・ジェリコー - Wikipedia」より。本画像を掲載する理由に付いては、本稿転記文を参照のこと。とはいっても、小生は平野の説明を読んでも『メデューズ号の筏』で有名なジェリコーを引き合いに出す必然性は今ひとつ、よく理解できなかったが…)

 が、その前に、マイルスが、一九八〇年頃から絵に凝り出し、コレクターでもあったのはともかくとして、トランペットを吹くか絵を描いているか、といった状態になったという事実が気になる。
 マイルスがどんな絵を描くのか。
 彼に影響を与えたジョー・ゲルバードとはどんな女性であり、どんな絵を描くのか。

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2010/02/14

マイルス・デイヴィスの絵画へ(前篇)

[本稿は、「マイルス・デイヴィスの絵画へ(序)」の続きです。]

「マイルス・デイヴィスは、常に新しいジャズを創造し、同時に多くのミュージシャンを育てた、まさに“ワン・アンド・オンリー”の存在であ」り、「パーカー、コルトレーン、ハンコック、ジミ・ヘンドリックス、マイケル・ジャクソンら、21人から迫る」ことで、「「帝王」の真実」」を浮かび上がらせようという本。

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← 小川隆夫/平野啓一郎【著】『マイルス・デイヴィスとは誰か―「ジャズの帝王」を巡る21人』(平凡社新書 (2007/09/10 出版)) (画像は、「小川隆夫のJAZZ blog 『 Keep Swingin' 』 2007-08-29 9月の新刊(その2)~『マイルス・デイヴィスとは誰か』」より)

 マイルス・デイヴィス像を当人にフォーカスするのではなく、外堀から埋めていくことで、自然にマイルス・デイヴィス像を掘り出していこう、削りだしていこう、というわけである。
 ジャズにもロックにも(クラシックにも)疎い小生だから、読み話、紹介されるエピソードの数々はひたすら興味津々だった。

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