加藤文元著『物語 数学の歴史』から数学の凄みを知る
加藤文元著の『物語 数学の歴史』(中公新書)を読んだ。
物語と銘打ってあるが、随所に出てくる数式などを読解するには大学の数学科に在籍する学生でもちょっと無理で、大学院レベルの素養と訓練などが必要だろう。
それを高校三年の夏に理系への進学を断念した小生が読むのは無理がある。
でも、雰囲気は楽しめる。
→ 加藤文元著『物語 数学の歴史』(中公新書)
所詮は、外野…どころか球場の外で歓声を聞いている程度の数学の力もない小生だ、何となく臨場しているという雰囲気さえ味わえたら十分なのである。
ガキの頃は漫画家、やがて中学生の一時期、数学に魅入られた小生、数学への決して満たされることのない渇望、数学のセンスを持つ人間への羨望、もっと言うと、数学(的思考)でしか表現も想像も存在も考えられない世界があることに、ただただ驚異の念を抱き続けている。
本書は、出版社の説明によると、以下の通り:
古代バビロニアで粘土板に二次方程式の解法が刻まれてから四千年、多くの人々の情熱と天才、努力と葛藤によって、人類は壮大な数学の世界を見出した。通約不可能性、円周率、微積分、非ユークリッド幾何、集合論―それぞれの発見やパラダイムシフトは、数学史全体の中でどのような意味を持ち、どのような発展をもたらしたのか。歴史の大きなうねりを一望しつつ、和算の成果や19世紀以降の展開についても充実させた数学史決定版。
上記したように、物語と銘打っても、相当に高度な内容である。
それでも、新書版とはいえ、数学の歴史を和算を含め、中国など東洋の数学をも視野に入れて、幅広い観点から展望を試みていることは、おぼろげながらも感じられる。
中学の頃、数学といっても、幾何学に魅せられていた。
補助線を一本引くだけで、幾何学の問題に一挙に明るい展望が開けて解けてしまう…というより、解くための鍵が見えてくる、光明の閃きを感じ取る、その一瞬の昂奮がたまらなかった。
当時、初歩的な数学史や簡単な数学の問題集を読んで夜毎楽しんだものだった。
当然、或る日、平行線の定理の問題にぶつかる。
古代エジプトのギリシア系哲学者エウクレイデスの著書『原論』に由来するユークリッド幾何学で、
「ユークリッド幾何学は、いうなれば直感的に納得できる空間の在り方に基づく幾何学である。直線はどこまでも伸ばせるはずであるし、平面は本来はどこまでも果てのないものが想像できるし、どこまでも平らな面があるはずであった。また、平行線はどこまでも平行に伸びることが想定された。それは、現実世界の在り方として、当然そうであると言う前提であった」…。
そう、小生にとっても当たり前過ぎて、疑う余地などありえるはずのない常識…あるいはそれ以前の真理そのもののはずだった。
が、やがて、「ユークリッド幾何学は永くにわたって「唯一の幾何学」であったが、『原論』の 第五公準 (平行線公準)に対する疑問から始まった研究の流れはついに19世紀に非ユークリッド幾何学を生んだ」のである!
『原論』での第五公準とは、以下のようなもの:
1 直線が 2 直線に交わり、同じ側の内角の和を 2 直角より小さくするならば、この 2 直線は限りなく延長されると、2 直角より小さい角のある側において交わること。
確かに冗長ではあろうが、一本の直線に平行な線は一本しか引けないに決まってるじゃん、では済まないのだった。
ロバチェフスキーやルジャンドル、ボーヤイ父子らの苦闘、かの数学の巨星ガウスの存在、リーマンの登場。
この辺りの数学の歴史は、素人たる小生にも物語として、昂奮を呼ぶものだった。
本書によれば、「西洋数学の精神が非ユークリッド幾何学を最終的に発見するまでの過程は、大局的数学観の優位、つまりギリシャ数学から綿々と受け継がれてきた、西洋的精神特有の内的でまんべんなく等質的な整合性を持ったまとまりに対する鋭い感性が、本質的困難にぶつかり、長い時間をかけてついにはこれを克服するというストーリーなのだ」!
ユークリッド幾何学も正しければ、非ユークリッド幾何学も同等に正当性を以て成立する、そのことの驚異(目の前の空間がただならぬものに思えてならなかったっけ)。
何気なく見つめている空間の不可思議を絵画的に象徴的に表現したのがエッシャーだろう(本書でも加藤氏は扉絵に使っている)。
「部分部分で見る限り、全く自然で何の不思議もない。そこに流れを認めるならば、全く自然な流れというものであり、ギリシャ彫刻の部分部分がスベスベで、何の変哲もないのと同じである。それどころか、そこには日常の生活や、全く生き生きとした水の流れなどがあ」るばかりである…。
が、「視点を画面全体に向けてみると、全く様相は違ってくる。これは明らかに、この地球上の我々が普段見ている外界的空間にあるものではない。水路に沿って下っていると感じていたミクロレベルでの認識は、その全体的な構図にダマされていたとも言えるだろう」!
「言わば、エッシャーの絵には、「この世ならぬ」世界の存在を、我々に発見させるものとしての意義がある」。
「ここで注意したいのは、この発見というのが、論理や理屈によって証明される類いのものではない、ということだ。ここで発見されるべき新しい世界の意義は、(中略)画面の部分部分を丹念に検討していくという局所的な観察では、全く理解できないようなものである」。
「言ってみれば、このようなこの世ならぬ世界を思い描く想像力は、真にマクロレベルの認識能力に属するものなのだ。逆に言えば、大局的な価値認識がなければ、このような絵を見ても人間は何も感じない、もしくは全く相手にしないはずである。非ユークリッド幾何学の発見という事件にも、これと非常によく似たことが言える」。
中学の頃の思い出というと、ちょっと悔しいような苦いものがある。
数学好きの友達がいて、学校帰りに一緒になったので、お喋りに興じていて、最初は漫画の話だったのが、いつしか数学の話になっていった。
その中で彼が「今、話題になっているのは、抽象代数ながやぜ」なんて言ったのだった。
抽象代数。
代数といっても、中学の授業や、自分が自宅で読み齧る面白い数学式の本では全く出てこない数学がある。
それを尤も身近に居る友が知っている、そのことに驚いた。
というより、愕然としてしまった。
やられた! といった感じだった。
当時、その彼がどの程度、抽象代数に通じていたのかは知らないが、非ユークリッド幾何学の驚異といい、有り触れたはずの世界の不可思議に圧倒されたのだった。
本書で改めて整数論の歴史など眺めて、内容の理解には到底、及ばないものの、数論への遥かな感懐を抱かされた。
← エッシャー(1898-1972)『滝』 (画像は、「Nikon 光と人の物語 脳がつくる見る世界」より。エッシャーについては、拙稿「 ケルト…エッシャー…少年マガジン」や「エッシャーの迷宮に今目覚めけり」などを参照願いたい)
本書の最後では、「点」が扱われている。
「点」の『原論』での定義は、「点とは部分に分割できないものである」だった。
それが、今や、「トポスに代表されるような、20世紀後半の空間概念のトレンドにおいては、空間における「点」の役割が非常に変化した。要するに、現代的な空間の視点においては、点の概念はもはや空間に必要不可欠なものではないという」のである!
「そもそも物が基本的な単位である点の集まりと考えられるとういこと自体が、本来は多くの可能性の中の一つの見識にすぎないはずである」!
まあ、とにかく、本書の内容はほとんど小生の素養も能力も超えていたのだが、それでも雰囲気を味わうことはできたと自己満足している。
(10/01/19 作)
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