『光琳カルタで読む百人一首ハンドブック』で正月気分
正月だから、だろうか、今月上旬、図書館に寄ったら、新入荷本のカウンターに久保田 淳【監修】『光琳カルタで読む百人一首ハンドブック』(小学館)があった。
うむ。確かに正月である。元旦とは言いかねる日と相成っていたが、正月には違いない。
たまには、床しい和歌を詠んでみるのもいい。
← 久保田 淳【監修】『光琳カルタで読む百人一首ハンドブック』(本文執筆:鈴木宏子/谷知子 写真協力:太田真三/片山虎之介/中田昭/フォトオリジナル/宮地工 小学館 (2009/12/19 出版)) (画像は、「紀伊國屋書店BookWeb」より)
俳句もだが、和歌はもっと苦手なジャンル。
だけど、詠むのは嫌いじゃない。
というか、折々、和歌に関係する本も読むし、関連の日記(記事)を仕立てたりもする。
「百人一首」!
遠い昔、思い出せないくらい遠い昔、一度だけ何処かで百人一首カルタ取りの対戦に参戦したことがあったような、思いっきり朧な記憶がある。
あるいは、勘違いかもしれない。
小生には、あまりに不似合いな営為である。
学校の授業の一環でやらされたのかもしれない。
記憶が曖昧なのは、あまりに悲惨な結果で、思い出したくないのか、いずれにしても、嫌々参加したに違いないのであろう。
→ 柿本人麻呂(人麿) (画像は、「尾形光琳筆 金箔「小倉百人一首」特別豪華版:I・E・I オリジナルショップ - アートギャラリー」より)
カルタ取りやコマ回し、凧揚げ、羽根突きなどなど、子供の頃は、近所でも当たり前にこういった光景が見られたものだ。
子どもが多かったから?
子どもが塾通いなどで忙しいってことはなかったから?
まあ、もう、こういった光景は、決められた特定の場所でしか望めない光景なのだろう。
失われた光景の数々。
正月など、テレビのニュースなどで、カルタ取り(競技カルタ)の対戦の模様が映されることがある(特に、クイーン戦など。今年は生憎、全く見る機会に恵まれなかった)。
もう、真剣勝負であり、緊迫した空気が部屋に満ちる、まさに対戦そのものだ。
言うまでもないが、本書でも紹介されているのは、藤原定家撰によるもので、俗に(あるいは正式な通称なのか)「小倉百人一首」と呼称される「百人一首」である。
悲しいかな、百人一首の中の歌は、幾つかはそれなりに耳に(あるいは目に)しているが、一首たりとも全文を自信を持って暗唱できるものはない。
しかし、下手の横好きって奴で、詠めばそれなりにこの我輩も感興を催す。
← 紀貫之 (画像は、「尾形光琳筆 金箔「小倉百人一首」特別豪華版:I・E・I オリジナルショップ - アートギャラリー」より)
駄文(日記)を長々しく綴っても仕方がない。
上掲のサイトで紹介されている歌を転記しておこう:
天智天皇 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ
持統天皇 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山
柿本人麻呂 あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
山辺赤人 田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
猿丸大夫 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
中納言家持 鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける
安倍仲麿 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
喜撰法師 わが庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり
小野小町 花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
蝉丸 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂の関
まとめて和歌を詠むなんて、小生には滅多にないことなので、本書は二週間を費やして、毎日、数首ずつ詠んでいった。
簡潔な鑑賞文や紹介があって、束の間とはいえ、時代を空間を超えた体験ができたように思う(思いたい)。
(10/01/24 作)
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コメント
弥一さんおはようございます。冷泉家の展覧会を観たのですが、定家いなければ、源氏も現在に伝わらなかったということで定家は冷泉家では神格化されているそうですね。現在の和歌が、私とあなたは違うという視点で詠まれるのに、古典和歌は、私とあなたは同じという視点で詠まれるとか。自然との一体化ですかね。ところでうちの母は、久方の光のどけき春の日にしず心なく、花の散るらむ、の和歌が気にいってましてね、歌の中に母の名前しずこが入っているからという
投稿: | 2010/01/26 07:30
名前がないので、どなたか分かりません。
最初、スパムかと思って、ドキドキしましたよ。
okiさんなんですね。
安心しました!
先祖に定家のような人物がいたら、その後の歴史が仮に凡庸なものであっても、ご先祖様の定家を崇めるのは、まあ、人情なのかもしれないですね。
我が家の系譜はほとんど分からないだけに、江戸どころか鎌倉を遡り、さらに平安時代にまで系譜を辿れるなんて、想像を超えます。
それはそれとして、定家の功績は大きいのでしょう。
和歌の歴史を語るのに、避けて通るわけには行かないし。
>ところでうちの母は、久方の光のどけき春の日にしず心なく、花の散るらむ、の和歌が気にいってましてね、歌の中に母の名前しずこが入っているからという
ってのは、微笑ましい!
小生はあるクラシック(ワルツ)の曲名が気になる。我輩の苗字が(音だけですが)入っているから、という単純な理由で。
我が母は、ある焼き物のブランドと同じで、テレビなどでその関係の陶器が出てくると、ちょっと気になります。
投稿: やいっち | 2010/01/30 17:06
名前をいれわすれて、失礼しました。東京も雪が、降っています。明日の新聞配達は大変ですね。それよりちょうど中学入試で交通機関の麻痺が心配ですね。弥一さんは雪の新聞配達慣れましたか?今月は来週月曜日が、新聞休刊日ですね。図書館が、嫌なのはマナーを守らない人がいること。図書の紛失を防ぐためにセキュリティシステム導入しても、本や雑誌の一部を切り抜く輩がいる。新聞はセキュリティシステムに対応出来ないからやはり持ち去る輩がいる。うちの近くの図書館ではなぜか東京新聞が、かなり持ち去られているとか。悪いこと考える頭があるなら、別のことに使ってほしい
投稿: oki | 2010/02/02 00:35
okiさん
東京は、二年ぶりの<大雪>だったようですね。
東京の雪も、たまにだったら、仕事などに支障がない限り、いいものかもしれないですね。
受験とか、あれこれ困る人も多いのでしょうが。
雪の中の配達、慣れた気はします。
少なくとも数十センチの積雪だったら、脅威には感じなくなりました。
ただ、仕事が終わって帰宅しても、休めなくて、すぐに雪掻きしないといけないってのが、辛いです。
図書館でのマナーの悪さは、痛感します。
東京在住当時、最寄の図書館で、特に物理学関連の書籍の被害がひどかった。
どんな被害かというと、奥付けの頁が破られている本が何十冊も見受けられたのです。
小生が借りたい、読みたいと思うような本が、そんな状態だから、借りにくい。
本を破るなんて、考えられない。
新聞はともかく、図書館でゆっくり雑誌を読みたいなー。
何十種類も雑誌があって、これらを物色するだけでも一日があっという間に過ぎそうです。
そんな余裕というか、ゆとりのある生活、夢のまた夢です。
今日は病院へ。
で、母の食事の介助の帰り、中心街の商店街へ買物に行ったのですが、書店はやはり避けました。
目移りするだけで、買えないのでは寂しすぎるし。
本はやはり買って、座右の書として読みたい。
投稿: やいっち | 2010/02/04 14:55