「とめはねっ !」の代わり(?)の石川九楊著『書』
テレビでは、河合克敏による書道を題材とした日本の漫画作品を原作としたテレビドラマ作品『とめはねっ ! 鈴里高校書道部』(書道監修は武田双雲)が1月7日からNHKで放映されている。
原作の漫画は読んでいないし、NHKのドラマは話題になっているようで、気になるのだが、生憎時間帯が小生には悪く、テレビを見ることのできる環境にない。
← 石川九楊著『近代書史』(名古屋大学出版会) さすがにこの本を手にすることは当分、なさそう。
だからというわけではないし、テレビドラマの「とめはねっ !」を予感したわけではないが、まあ、正月だからだろうか、たまたま年初に図書館に寄って、美術書のコーナーを物色していたら、本書を発見。
但し、手にしたのは、第36回大佛次郎賞を受賞した、「日本の近代の書表現の歴史を、大きなスケールと具体的な作品分析で解説する」石川九楊氏の評論『近代書史』(名古屋大学出版会)ではなく、同じく石川九楊氏の著書である『書―筆蝕の宇宙を読み解く』(中央公論新社 (2005/09/10 出版))だった。
本をパラパラ捲って、読み応えがあると直感。即、借りることに。
百人一首などの和歌もだが、「書」も、正月らしい題材だし、とにかく興味が湧く。
といっても、小生は生来の不器用と不精で実際に書く書道は苦手中の苦手。
書道でなくとも、普通に字を書くこと自体にコンプレックスがある。
小学校以来、答案用紙に答えを書いても(一応は答えらしいことが分かって書けても)、その字が金釘流で誰にも読めなかったりする。
先生もだが、自分でもあとになると何て書いたか判読不能になってしまうことがしばしばだった。
→ 「2001年9月11日晴――垂直線と水平線の物語(I上)」 「おぐにあやこの行った見た書いた 記事84◆書家、石川九揚さんのインタビュー記事」によると、「「垂直線」は空にそびえ立っていた世界貿易センタービル。「水平線」は2機の飛行機が青空に残した航跡だ。キリスト教を背景とする市場原理主義と、イスラム原理主義との宗教対立をも象徴しているという」。実物を見ることができた人が羨ましい。 (画像は、「垂直線と水平線の物語 番長帳」より)
にもかかわらずなのか、だからこそなのか、「書」への憧れはある。
上手い字を書きたいという切なる思いもある。
何かのパーティの入口での署名とか、そんな大袈裟な場合でなく、日常の仕事上で筆記するに際しても、格好のいい字をさらさらと書く場面に遭遇すると、ただただ見惚れるし、羨ましいし、とにかく書いている人がひとかどの人物に違いないと思えてくる。
絵画に関心を持ち、その中でも版画や銅版画に、あるいはポロックのドリッピングアートなどを見て回った時期がある。
あるいは骨董というわけではないが、陶器や磁器の展覧会を見て回ったり、やや敷居が高いと感じつつも、そうした店に飛び込んで備前焼の器などに見入って感心することも柄にもなく、あったりする。
そのうち、ハタと気付く。
詰まるところ、小生は、地に刻む営為が好きなのではないか、田圃に苗を植えていくように、石の盤面に文字を刻み込むようjに、ちょうどそのように白い紙面に黒い墨で書を書く。
その刻み込む手応え、描き込む感覚をこそ追い求めていたのではないか。
その典型であり原初の営為が「書」にあるのではないか。
西欧の文字の歴史もあるが、何と言っても中国を中心とする東洋で、甲骨文字や亀甲文字、象形文字の長い歴史の延長に漢字が生まれ、漢字文化圏が築かれてきた。
日本も仮名文字を生んだりもしたが、基本は漢字の文化圏の端っこに位置する。
小生は、こうしたブログなどの日記(記事)は、当然ながらパソコンのキーボードを使って書いている。
しかし、15歳の頃から書き始めた日記は今も手書きである。他に手帳もあれば記録文書の類いもある。こうした文書は全て手書きだ。
前にも書いたが、特に日記については、生来の下手糞な文字を、事情もあって意図的に誰にも読めないような文字で書いている。
手書きへのこだわりが強いつもりでいる。
パソコンに文字を打ち込む場合でも、創作などの場合は特に、白い紙面(画面)は、田圃を想定して(家が代々の農家だったからだろうが)、ひと枡ひと枡に文字(活字)という苗を植える感覚を脳裏の端っこに、それとも指先にバーチャル的に感じつつ、というのを忘れないように心がけているつもりである。
← 石川九楊著『書 筆蝕の宇宙を読み解く』(中央公論新社 (2005/09/10 出版))
まあ、小生のことなどどうでもいい。
著者の石川九楊氏は、「5歳で木村蒼岳塾に学」び、「8歳で杉本長雲に入門」、「中学で垣内楊石に師事。1字をもらい、九楊と号」し、「福井県立藤島高等学校では、選択科目で書道を第一志望とした」といった人物で、そもそもの人間の育ちが違う。
書道家として筋金入りの人物なのだ。
氏の論を小生が代弁するなど論外だが、(本書でも縷縷、力説されているが)「石川九楊 - Wikipedia」によると、「今や出来上がりが手本に似ていればよいというお手本産業界にすぎない日本の書壇では、芸術的な真の個性の自由な発露をめざす石川は、当然、「常識」はずれの異端的な孤独な存在である」という。
よって、「「書道界で生きていけなくしてやる」と脅迫されたのも或る意味で当然である」!
(10/01/29 作)
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