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2009/12/11

やっと「斎藤真一」に出会う

 もう、5年と半年余り前、「古川通泰のこと」なる記事を書いたことがある(昨年、「「古川通泰のこと」再掲」としてブログにアップした)。
 この小文に関連して、ほぼ同じ頃、「斎藤真一のこと」と題した一文をも書いた。

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← 斎藤真一「紅い陽の山脈」(油彩) (画像は、「斎藤真一(斉藤真一) 作品一覧 | 銀座画廊おいだ美術 絵画販売・絵画買取」より)

 その冒頭に、「古川通泰の油彩を見て、ある画家の絵をふと思い浮かべたのだが、すぐには名前を思い出せなかった。昨日一日、仕事をしながら、誰だったろうと、折に触れて脳裏を巡らしていた。やっと分かった。そうだ、斎藤真一だ(以下、略)」と書いている。

 この「斎藤真一のこと」なる記事を書いて以来、いつかは画集などの形ではなく、実物の斎藤真一作品を見たいと思いつつ、果たせないできた。

 そもそも、斎藤真一という画家の存在を知ったのは、学生時代、…そろそろ学生生活も終わりに近づいた頃、友人達は卒業してしまっていて、ほとんど孤立した生活を送っていた時期のことだった。
 確か、知り合いが所有していた斎藤真一の画集で彼の描く盲目の旅芸人「瞽女」 (ごぜ)の世界を知ったものと思う。
 もっと以前、仙台で下宿生活を始めて間もない頃、同じ下宿の友人が所有していた)『瞽女=盲目の旅芸人』が出会いだったような気もする。

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→ 斎藤真一「朝立ち 冬の旅」(板に油彩) (画像は、「斎藤真一(斉藤真一) 作品一覧 | 銀座画廊おいだ美術 絵画販売・絵画買取」より)

 津軽三味線が脚光を浴び始めた頃とも相前後していたような記憶がある。
 当時は小生も若く、何処まで斎藤作品の真率さに向き合えたか疑問で、むしろ何処か感傷的な気分に浸っていたような。

 あるいは、水上勉の小説を買った際、その文庫本の装丁に斎藤真一の油彩作品が採用されていた…、だから気付かないうちに出会っていたのかもしれない。

  斎藤真一の作品を、実物を見たい、その願いがようやく叶う日が来た。
 それも、我が富山で。
 実に三十数年ぶりに悲願を果たしたことになる。

 先月末、「木版画家・鈴木敦子展へ」なる小文を綴っている。
 これは、思いも寄らない発見、鈴木敦子という小生にとって初めての画家(作品)との出会いがあったので、急遽、書きおろしたのだが、実は、この展覧会が催されている会場(「Gallery NOW」)では、「異才の画家 斎藤真一・中村正義・長谷川利行展」が開催されていて、そう、言うまでもなく、後者の、特に斎藤真一の作品に会いたくて足を運んだのである(実際は、車で行ったのだが)。

 せっかくなので、旧稿を(原則原文のまま)ブログに載せておく。

                          (以上、09/12/10 記)

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← 斎藤真一「西頸城の旅」(油彩) (画像は、「斎藤真一(斉藤真一) 作品一覧 | 銀座画廊おいだ美術 絵画販売・絵画買取」より)

斎藤真一のこと

 古川通泰の油彩を見て、ある画家の絵をふと思い浮かべたのだが、すぐには名前を思い出せなかった。昨日一日、仕事をしながら、誰だったろうと、折に触れて脳裏を巡らしていた。そして、やっと分かった。
 そうだ、斎藤真一だ。但し、連想であって、世界が似ているかどうかは、朧な記憶のせいもあり、定かではなかった。

 ここ久しく彼の作品に触れていない。
 というか、そもそも直接、彼の絵画作品を目にしたこともない。脳裏に残っているのは、実は、ある小説作品の挿画や本の表紙に使われていた彼の作品の数々…、と、ここまで書いて、そうだ、小冊子の形の彼の画集を遠い昔、入手したことがあったことをやや朧気にだが思い出されてきた…。
 今となっては知る人ぞ知るなのだろうか。それとも根強いファンがいるのだろうか。早速、ネット検索。

 まず、斎藤真一の作品の幾つかを見てもらいたい:
 http://www.oida-art.com/saito_sin/
『ラマンチャの陽』を見れば、あるいは『紅い陽の村』を見れば、(絵画に疎い)小生が、微かな記憶を頼りにだとして、古川通泰の油彩を見て、ふと、斎藤真一の作品を連想しても、無理からぬものがあると思ってもらえると思う。
 が、さすがに、『赤い舞台』となると、まして、『西頸城の旅』や『赤い道』となると、似て非なる世界を斎藤真一が追求し描き続けたことが分かってくる。 初見の人も、彼の画を見て分かるように、暗い画風が漂っている。その世界とはどんな世界か。

 次に下記のサイトを見てもらいたい:
財団法人出羽桜美術館分館 斎藤真一心の美術館

「二本木の雪」という素晴らしい作品に出逢えたことだろう。

 また、以下のような斎藤真一自身の言葉にも出会える:

 人間は、哀しみを抱えて生きている。
 素朴にものを見つめると、この世に存在するということすら涙するほど 愛しいものです。
 花は傷つき散って行くが故に美しいのだと想います。
 私は絵かきだが、表面だけの奇麗事より、生命の哀しさと喜び、そして、 尊さを一歩でも掘り下げて内なるものを見たいと何時も思っています。

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→ 斎藤真一「赤い道」(油彩) (画像は、「斎藤真一(斉藤真一) 作品一覧 | 銀座画廊おいだ美術 絵画販売・絵画買取」より)

 彼は、1922(大正11)年、岡山県に生まれた。「尺八の大師範を父にもち、幼少の頃より芝居、浄瑠璃、浪曲といった日本古来の芸能に興味をもつ」というプロフィール冒頭の記事が目を引く。「岸田劉生の作風に惹かれてデッサンの勉強に励」み、「1959年、パリ留学」。留学中に藤田嗣治に知遇を得たことが転機の一つになったようだ。

 下記のサイトを見ると、それを実感できる:
「没後10年 特別展斎藤真一 初期名作展<第11回遺作展>」
 http://www.shinobazu.com/exhib/0309-02.htm

 「風車(オランダ)」(1959)、あるいは)「巴里の窓」(1959)などは、如実に藤田嗣治風に思える。が、その前の「公園風景」(1958)を見ると、後の斎藤真一の画風の面影を読み取るのは、必ずしも深読みとは言えないと感じる。
 彼も揺れていた、迷っていたのだろう。
 それにしても、「河畔に佇む乙女」(1963)は不思議な画風だ。アンリ・ルソーのような、しかし、自分の行末を見出しかねているような、一度見ると印象に残る作品だと感じる。

 やがて彼は「帰国後、津軽三味線の音色にひかれ、東北地方を旅するうち瞽女 (ごぜ)を知る」ようになり、「1960年代から70年代にかけて津軽、北陸を旅して、盲目の旅芸人「瞽女」(ごぜ)に出会い、その後の彼の大きなテーマの一つとなった《瞽女》シリーズを手掛ける」わけである。

 あるいは、瞽女を知ったというより、女を知ったのかもしれない。

 まさに、斎藤真一が斎藤真一たる世界を見出し表現していくわけである:
 http://www.shinobazu.com/webten2003/1-02saito.htm

 これは、あくまで小生の憶測に過ぎないのだが、斎藤真一は、パリ留学の際に出会った藤田嗣治の強烈な個性と才能に圧倒されるものを感じたのではなかろうか。藤田嗣治の画風に影響を被るしかない自分に愕然としたのではなかろうか。
 帰国が、悄然たるものだったのかどうかは分からないが、やがて東北や北陸地方を旅して回るというのも、まさに自分探しの旅だったのだろうか。その際に、彼は己の出自を考えたのではないかと思う。同時に、プロフィール冒頭の記事にあるように、日本古来の芸能を改めて<発見>したのではないかと思う。

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← 斎藤真一「伊豆の海」(色紙)  展覧会では、油彩作品だけじゃなく、こうしたモノクロの作品とも出会えた。 (画像は、「斎藤真一(斉藤真一) 作品一覧 | 銀座画廊おいだ美術 絵画販売・絵画買取」より)

 画家・斎藤真一を知らなくても、映画好きならば、彼の『吉原炎上』『明治吉原細見記』を原作にした映画『吉原炎上』(五社英雄監督作品)を見たことがある人はいるかもしれない。小生も観ている。
 但し、その際、原作が斎藤真一だと認識していたかどうかは記憶に定かではない。情ないことである:
Movie Circus|吉原炎上

 さて、翻って古川通泰のことである。もう一度、彼の油彩作品の数々を観てもらおう:
 http://www.success21.com/furukawa/michiyasu/work/michiyasu2.htm

 確固とした個性を感得する。
 敢えて、何かしら物足りないものを言うなら、テーマ性ということになるのだろうか。
 斎藤真一の見出した盲目の旅芸人「瞽女」 (ごぜ)に相当するような、風土(郷土)の風景の先に(あるいは後に)ある敢えて見出し描かなければ消えゆくしかない世界を象徴する具体的な何かをもう一歩踏み込んで描いていってほしいと思ってしまう。
 絵を見る者、特に小生のような、審美眼よりテーマ性といった類いへの好奇心が先に立つものは我が侭なのである。

                             (04/05/22 記)

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コメント

弥一さん、タイムリーですね!ちょうど明日から武蔵野市立吉祥寺美術館で斎藤真一の展覧会が開かれるのですよ、しかもワンコイン100円で。斎藤については国立近代美術館の企画展示で取り上げられたことを覚えています。ところで今週の週刊朝日に、暮らしたい国、富山という全面広告が出ています。なんでも持ち家率も、就業率も、全国トップクラス、保育所の入所待ちはゼロだとか富山を宣伝しているのですがその意図がわかりません。

投稿: oki | 2009/12/11 22:05

okiさん

「ちょうど明日から武蔵野市立吉祥寺美術館で斎藤真一の展覧会が開かれるのですよ、しかもワンコイン100円で」ってのは、記事としてはタイムリーですが、小生はとても足を運べる環境にない。

okiさんがご覧になっての感想をブログで書かれるのを待ってます。


富山を宣伝している。
悲しいかな、全国的な知名度が低いが故の、苦肉の策であり、観光客を増やしたい一心でもあるのでしょう。
持ち家率が高いってのは、凄いみたいだけど、それだけ、他の地域からの流入が少ないってことでもある!

就業率が高いって、ホントかなー。
中高生の就職口が見つからず苦労しているし、不況での自殺率もトップクラスなんですよ。
間違っても、自殺率が高いなんて、宣伝はしないよね。

投稿: やいっち | 2009/12/14 21:23

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