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2009/10/01

「南桂子と谷川俊太郎展」の周辺

南桂子と谷川俊太郎展」が18日、上市町郷柿沢の西田美術館で始まっていることでもあり、南桂子(の版画)について、ちょっと触れてみたい。
(この展覧会は、「高岡市出身の銅版画家、南桂子さん(明治44~平成16年)による銅版画と、詩人の谷川俊太郎さんの詩集の挿絵として描いたペン画を谷川さんの詩とともに紹介している。10月25日まで。西田美術館、北日本放送、北日本新聞社主催」というもの。詳しくは、「北日本新聞社 富山のニュース 詩の世界を表現 上市・西田美術館「南桂子と谷川俊太郎展」」を参照のこと。)

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← 南桂子「花束を持つ少女」(1980) (画像は、「南桂子 Keiko Minami / ギャルリー宮脇」より)

 南桂子の版画については、名前までは知らなくても、作品を見ると、ああ、どこかで見たことがある、柔らかく、暖かかで、郷愁の念を掻き立てるようでもあり、とても親しみやすい…といったような印象を少なからずの方が持たれたのではなかろうか。
(以下、例によって敬愛の念を籠め、敬称は略させてもらう。)

 小生自身は、同氏の作品世界に愛着の念を覚えたりしていても、作者の名前を認識したのは、そんなに前のことではない。
 まして、同氏が富山(高岡市)出身の方と知ったのは、帰郷してからではなかったか。

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→ 南桂子「サボテンの塔」 (画像は、「南桂子 Keiko Minami / ギャルリー宮脇」より)

 実際、我がブログで同氏のことを採り上げたのは、「富山を描いた絵画の数々(2)」の中で、「花束を持つ少女」(1980)なる作品を紹介しているのみ(のはず)である。

 同氏については、たとえば、下記が肝心の絵の画像も載っていて、参考になる:
南桂子 Keiko Minami / ギャルリー宮脇

 冒頭に、「南桂子はメルヘンチックな少女やお城、お魚や鳥たちの絵で有名な人気画家/銅版画家です。繊細な線による素朴な造形性、そしてなによりそこには詩情あふれる優しい世界が広がっています」とあるが、まさにその通りである。

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← 南桂子『bonheur ボヌール』(デザイン:服部一成 リトルモアブックス) 南桂子の「銅版画作品の他に、紙版、水彩、生前に書き下ろした童話等作品85点をオールカラーで収録。谷川俊太郎氏による南桂子に宛てた詩「銅のフェティシズム」や、南と交流の深かった朝吹登水子氏の書いた「版画家 南桂子」など生前の南を物語る作品を再収録し」たという。

 同上頁に、「南 桂子  短歴」が載っている。
「1911年富山県高岡市生まれ。母は文学、芸術に造詣深く歌人でもあった。祖母はアドレナリンを発見した科学者・高峰譲吉の妹」とか、「、小説家・佐多稲子の紹介で壷井栄に師事し童話を学ぶ」と、経歴もなかなかのものだが、「油絵を習っていた森芳雄のアトリエで、後の夫となる浜口陽三と出会い版画の面白さを知る」というのが、彼女の版画家としての飛躍や成長の大きな契機だったように思われる。

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→ 「南桂子と谷川俊太郎 展」(西田美術館 2009年9月18日(金)~10月25日(日))

 また、「1970年谷川俊太郎との詩集「うつむく青年」の装丁挿絵を担当」など、童話や詩の世界とも馴染み深く関わっていったようである。
企画展示品紹介:西田美術館 南桂子と谷川俊太郎 展」によると、「谷川は今から半世紀以上前、東京の画廊で南の作品を初めて目にしたとい」うから、二人の関わりは、浅からぬという以上のものがあるようだ。

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← 作品名? 「南桂子 追悼展 鳥と樹と少女-銅版詩の世界」にて展示された作品らしい。(画像は、「南桂子 追悼展とAmulet-sopo -フィンランド語の話ことばで可愛いの意味-」より。このサイト主の方によると、「ギャラリーには銅版画の他に点画も展示されていて、葉っぱの一つ一つにもエッチングと同じく細かな模様が描かれ、外国での暮らしが長かったせいか、風景はどこか遠くの名も知らない国という雰囲気が漂っている」という。小生のように、富山の人間は身びいきというか、どうしても我田引水的に富山(高岡)に関連付けたくなるのだが、なるほど、同氏の人間として、銅版画家としての成長や外国生活の影響も決して小さくはないと思うべきなのだろう。ただ、それでも、ついどうしても、「鳥と樹と少女」となると、少女時代の南桂子の高岡での日々への追懐の念が色濃く反映されていると思いたくなるのである。)

 以前も書いたが、南桂子の「作品は、富山の風景を描いたものかどうかは分からないけど、心象風景としての富山(での思い出)が漂っているのでは」と思われてならない。
 彼女自身が、戦後、東京で定住するようになるまでの富山(高岡)での若かりし日のことをどう回想されているのか、版画の中で、どう生きているのか(どうか)、知りたいものである。

                             (09/10/01 作)

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