小笠原洋子著『フリードリヒへの旅』を巡って
小笠原洋子著『フリードリヒへの旅』(角川学芸出版)を読んだ。
読んだし、楽しませてもらった。
← 小笠原洋子著『フリードリヒへの旅』(発売日:2009年 09月 10日 角川学芸出版)
同時に、ちょっと羨望というか嫉妬めいた気持ちを抱きつつ、本書を手にしていた。
出版社による内容紹介によると、「風景を素材とした内省的で静謐な崇高の美を謳うドイツ・ロマン主義の画家フリードリヒ。その作品を訪ね歩き、モチーフとなった現場に立ち、重なり合う共感をベースとして、画家の足跡と芸術性を描き出す美術評論」といった本なのだが、特に、「その作品を訪ね歩き、モチーフとなった現場に立ち、重なり合う共感をベースとして、画家の足跡と芸術性を描き出す」といった部分に惹かれたし、羨ましくも思ったのである。
本書については、新聞の書評欄で刊行を知った。
読みたいと思った。
でも、富山の図書館では、仮に入荷しても先のことだし、そもそも入荷してくれるかどうかも、怪しいものだと思っていた(すみません)。
が、ある日、図書館へ返却に行った際、新入荷本のコーナーを習慣として眺めた際、あるではないか! というわけだった。
嬉しかった。
まるで競争しているかのように(実際には競る相手は誰も居なかったのだが)、慌てて本書を手にする。
他はともかく、本書は借りる!
← Caspar David Friedrich 「The Wanderer above the Mists 1817-18」 (画像は、「Caspar David Friedrich - The complete works」より)
著者の小笠原洋子氏は、「1949年東京都生まれ。東洋大学文学部卒。京都・日本画・現代陶芸画廊勤務、東京・弥生美術・竹久夢二美術館学芸員を経て、フリー・キュレーター。美術エッセイスト」といった経歴の方。
少女の頃の日記に、フリードリヒの作品「海辺の僧侶」と同じ構図の絵を描いていた、という。
本書はフリードリヒ(Caspar David Friedrich)について、専門的な新たな知見を与えてくれるというより、上記したように、「その作品を訪ね歩き、モチーフとなった現場に立ち、重なり合う共感をベースとして、画家の足跡と芸術性を描き出す美術評論」といった性格の本なので、下手な感想など、書く必要などないだろう。
ただ、筆者と一緒に、あるいは筆者に導かれて、フリードリヒの辿った道や、見た風景や、そしてフリードリヒの作品をその所蔵している美術館で見ているという、実感を少しでも共感できたらそれでいいのだろう。
また、さすがに、小生がこれまで美術館で、あるいは図録では見たことのない作品(画像)が載っていて、とても楽しめた。
→ Caspar David Friedrich 「Monk on the Seashore」 (画像は、「Caspar David Friedrich - The complete works」より)
本書の中の筆者の言葉で印象に残ったのは下記だった:
フリードリヒが身の奥底に潜めていた崩壊という意識は、個人的な生(なま)の感覚であり、時代感覚や思潮より実存的だったといえる。そういう傷を埋め込んでいた彼の存在自体が、むしろドイツ・ロマン主義の構成要素だったのではないか。だから彼はロマン主義の流れのうえにあたのではなく、むしろその源泉だったのだ。
「13歳の時、河でスケート遊びをしていたところ、氷が割れて溺れ、彼を助けようとした一歳年下の弟・クリストファーが溺死してしまう。フリードリヒはこの事で長年自分を責め続け、うつ病を患い自殺未遂を起こした事もあった。その後、姉や母も亡くし、これらの事が彼の画風や人格に大きく影響を与えていると言われている」(「カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ - Wikipedia」より)といった、フリードリヒを語るなら触れざるを得ない過去(の傷)と併せ鑑みる必要はあろうが、まずは穏当な見解だろう。
フリードリヒへの小生の傾倒ぶりについては、このブログでも幾度となく書いている。
比較的最近の拙稿だけでも、「フリードリッヒ…雲海の最中の旅を我は行く」や「森の中のフリードリヒ」などがある。
← Caspar David Friedrich 「Woman at a Window 1822」 (画像は、「Caspar David Friedrich - The complete works」より)
例えば、「フロイト事始、あるいはダリやキリコから」では、以下のようなことを書いている:
この数年前(多分、大学の教養部の頃)からドイツロマン派の画家フリードリッヒに(エゴン・シーレとともに)惹かれ始めている。フリードリッヒの絵画では、風景を描く際にも人物が点景として配置されていることが多いのだが、一見すると奇妙なことに、その人物の大半が画面の中では背を向けているのである。つまり画面を眺める我々観察者と同様の視線で画面の奥、あるいは風景の彼方に見入っているのだ。月の放つ、何処か怪しげで微妙な光に照らし出された世界の遠い果てに何かがあるに違いない、という幻想に彼(ロマン派)の絵画の命と思想があるらしいのである。
小生のような感性の鈍い人間でも、フリードリッヒの特異な世界や彼の絵に共通する構図には気づかされる。
最初に見た(知った)のはいつのことか分からないが、本の中の写真の絵で見ただけだが、その瞬間から魅入られてしまった。
学生時代の数年、いつか本物を観たいと思い続けていたが、意外な形で夢が実現した。
→ Caspar David Friedrich 「Dolmen In The Snow」 (画像は、「Caspar David Friedrich - The complete works」より)
「『ドイツ・ロマン主義の風景素描』を巡って」で以下のように書いている(この拙稿では、素描家としてのメンデルスゾーンや、フリードリヒとゲーテとの交流についても触れている):
小生が上京した78年に、まさしくこの国立西洋美術館において、『フリードリッヒとその周辺』展が開催されていたのだった。まるで東京にやってきた小生を歓迎するかのようだった。4月の下旬だったと思われるが、確かその日も、シトシト雨いが降っていて、美術館の休憩所で一休みし余韻を楽しみながら、雨の中庭の風景などを眺めていたことを覚えている。
上京したその年の四月に、フリードリヒ作品の現物に出会えるなんて、自分にとって最高に至福の時だったし、最高の歓迎に思えた(相前後して、エゴン・シーレの作品とも出会っている)。
← Caspar David Friedrich 「Cemetery At Dusk」 (画像は、「Caspar David Friedrich - The complete works」より)
推奨サイト:
「フリードリヒ~ドイツ・ロマン派~」
「ヴァーチャル絵画館 フリードリヒ (ロマン派)」
「Caspar David Friedrich - The complete works」
関連拙稿:
「初詣の代わりの巨石文化?」
「『ドイツ・ロマン主義の風景素描』を巡って」
「フロイト事始、あるいはダリやキリコから」
「フリードリッヒ…雲海の最中の旅を我は行く」
「森の中のフリードリヒ」
(09/10/15 作)
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