「之を楽しむ者に如かず」!
世に音楽が嫌いだという人は少ないのではなかろうか。
音楽ということで、どんなイメージや人や曲を思い浮かべるか、同床異夢ではあろうが。
← 吉田秀和/著『之を楽しむ者に如かず』(新潮社 2009/09/30刊)
小生にしたって好きか嫌いかと言えば、好きである。
というか、断然、好きである。
しかしながら、人との比較において、我輩が段違いに好きかと問われると、返答に窮する。
音楽が好きということに嘘偽りがあるわけではない。
まあ、そもそも人と音楽を享受する生活の如何を比較することにどれほどの意味があるのか、という反論もありえよう。
また、例えば、食べることが嫌いって人も少ないだろう。
その場合、食べ物の種類において好き嫌いがあるわけで、食べるものなら何でも好きという人は、むしろ少ないだろう。
その意味で、音楽だって、音楽好きを自称する人だって、音楽と名の付くものなら何でも好きってことを必ずしも意味しないだろう。
否、むしろ、そういう人こそ、音楽のジャンルや、作曲家や演奏家、歌手、あるいは音楽を楽しむ場面(生のステージか、CDなど録音か、何かのツールへのダウンロードか、野外でこそ、とか、こだわりが強い事だってありえるだろう。
小生、食べることが好きだが、食べ物の好き嫌いはある。
しかし、そんなことより、実際の食生活の如何を省みるなら、かなり貧しいものである。
今は、誰も家で料理してくれる人はなく、自分でやるしかない状況にある。
作るものは、もう、悲しいほどにワンパターンである。
且つ、懐具合も貧しいので、食材もメニューも極めて限られている(制約されている)。
いや、懐の如何に関わらず、本人の努力と工夫次第で、バラエティに富む食生活が営めないわけもないわけで、貧しいのはむしろ小生の想像力や勉強具合、工夫する意欲こそではないか、という指摘も的外れとは言いきれない。
料理にグルメがあるように、音楽にもグルメがあるのだろう。
今日、採り上げる音楽評論家の吉田秀和氏を音楽のグルメ家と呼称すると、失礼な! というお叱りを受けるやもしれない。
でも、音楽を堪能する生活のあり方の彼我の違いのあまりの大きさに愕然としてしまうのも、正直なところなのである。
食であれ、音楽であれ、美術であれ、スポーツであれ、何であれ、プロかプロでなくともプロ級の人とそうでない人の違いは雲泥の差があるに違いない。
今回、吉田秀和著の『之を楽しむ者に如かず』(新潮社)を読んでみて、改めて、生活の質、その前に楽しむ貪欲さの違いを痛感させられた。
まあ、自分なりに楽しめばいいってことなのだが。
さて、本書のタイトルの「之を楽しむ者に如かず」は(本書の冒頭でも説明されているが)、論語に由来する:
之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。(論語)
せっかくなので、やや荘重で高邁に過ぎるが、東北大学総長の説明で意味を教えてもらおう。
「総長メッセージ 東北大学総長 大学概要 東北大学 -TOHOKU UNIVERSITY-」:
論語の一節に、「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」という言葉があります。学問をただ知っているだけとい う人は、本当に好きで楽しんでいる人には決してかなわないことを表しています。仕事であれ、人生であれ、それを好きになり、その中に楽しみを見いだすこと ができるかで、自ずから生き方も変わってきます。物事はそれを「楽しむ」という境地に至ったときに、はじめてそれは自分のものとなり、自らも豊かとなり、 まさしくそれが最高の境地であるということです。
とにかく、楽しんだほうが勝ちってことである!
小生は、生活が逼迫していて、読書する時間も音楽に聴き入る時間もまともには取れない。
それでも、日に数回ある仮眠の時に、寝入る睡眠導入財代わりに、何かしらの曲(CD)を聴きながら、読書するってのがパターンになっている。
可能なら、読書なら読書、音楽なら音楽に一心にその楽しみに浸りたいが、これが現実なのだから、仕方ない。
本書は、出版社の説明によると、「音楽の持つ可能性の大きさが再び見出されている今という時代、かつて味わったことのない、何ともいえない面白い演奏にぶつかることがある。「真珠の粒を連ねたよう」ではないモーツァルト、重さから解放された軽やかなバッハ……。フルトヴェングラー、グールドからアンナ・ネトレプコまで、音楽をきく楽しみを自在に語る」といった本。
小生には初耳の識者や演奏家や評論家がこれでもか、というくらいに出てくる。
カップ麺とインスタント食品と出来合いの惣菜が並ぶ食卓での食事(但し、おコメと味噌とは一級品である!)。
日々、高級割烹や高級且つ貴重な素材を使った料理を堪能する方の楽しみぶりをヨダレを垂らしつつ(?)テレビで眺める…という比喩は不謹慎だろうが、まあ、それでも、本書を読むのも、ある意味での音楽の楽しみ方(読書の楽しみを兼ねている!)の範囲に入るのではないかと強弁しつつ、本書を読み倒したのであった。
音楽関連拙稿:
「ポオ 詩と音楽そして無限の快楽」
「『アフリカの音の世界』は常識を超える!」
「誰もいない森の中の倒木の音」
「青柳いづみこ、ドビュッシーを語る」
(09/10/30 作)
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