『匂いの人類学』の周辺を嗅ぎ回る
エイヴリー ギルバート著の『匂いの人類学―鼻は知っている』(勅使河原 まゆみ訳 ランダムハウス講談社 (2009/07/23 出版))を読んだ。
図書館で新入荷本の棚を物色していて発見、即、手に取った。
← エイヴリー ギルバート著『匂いの人類学―鼻は知っている』(勅使河原 まゆみ訳 ランダムハウス講談社 (2009/07/23 出版))
嗅覚障害を持つ小生には、「匂い」を扱う本となると、単なる好奇心で読み流せるものではない(嗅覚の鈍さの故に死に損なったことも!)。
今、ずっと文学系の本(大作)を読んでいるので、自分の中のバランス感覚で、少しでも自然科学系の書籍を浩瀚な文学書の購読の合間に息抜きで(上記と矛盾するようだが)読みたいという思惑もあった。
著者のエイヴリー ギルバートは、「カリフォルニア大学卒業後、ペンシルベニア大学で心理学の博士号を取得。心理学者であると同時に、嗅覚専門の認知科学者、企業家の肩書きも持つ」といった方。
小生は同氏の本を読むのは初めてである(名前を知ったこと自体、初めて)。
出版社側の謳い文句によると、「匂いの専門家である著者は、香水からペットの糞尿まで様々な匂いを研究してきた。五感の中で最も研究が遅れているといわれる嗅覚を、徹底分析の上で、知覚心理学者として科学する」といった内容なのだが、「フレグランス関連企業で人間の嗅覚の研究を指揮するほか、匂いに関する画期的な研究を科学雑誌に掲載したり、有名ブランドの香水の開発に参加するなど、多彩な活動を行う」という筆者の強みを存分に生かした内容(香水など実際の業界での<匂い>の実状を教えてくれたり、など)になっている。
小生は以前、以下のようなことを書いたことがある:
犬の記憶力がいいのかどうか、分からない。あるいは劣るのかもしれない。が、少なくとも匂いについては、一度嗅いだ匂いのことはずっと忘れないのではなかろうか。会った人、犬、猫、食べ物などはクンクン嗅いで、嗅覚の中枢にしっかり収められるのではなかろうか。
数分子の匂い成分でも残っていたら、嗅ぎ分けることができる。単なる視覚だけだと、人間にはあるいは敵わないのかもしれないが、嗅覚という能力で見られた世界の広がりという点では、人間は犬から見たら全くの鈍感野郎に過ぎないのだろう。視覚的には視角となる角を曲がった先の人や動物、一昨日、この道を通り過ぎた猫、何処かの家に勝手に入り込んだ奴の匂いの痕跡。
こういった犬の嗅覚(による追跡)能力の一端をでも、人間が何らかの科学的な手法で我が物に出来たら、犯罪捜査(浮気調査にも!)などに役に立つに違いない。
犯罪があったら、それが室内だったら、部屋の中の匂いの類いを徹底して吸収し収拾して分析する、匂いは極めて個人的なものであり、個人と密接に関わる性質を持つから、犯人特定や追及の大きな手掛りになる可能性を秘めている…。
夢物語だったものが、本書を読むと、いよいよ現実味を帯びるかのようにも思えたりする。
時間がなくてせっかくの本なのに、丁寧な紹介ができない。
なので、心苦しくも、例えば、「【レビュー・書評】匂(にお)いの人類学―鼻は知っている [著]エイヴリー・ギルバート - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)」を参照させてもらう。
「ワイングラスのかたちは嗅覚よりむしろ視覚に訴えるものだとか、母親は自分の子のうんちをよその子のよりいい匂いと感じるとか」も興味深いが、プルーストの『失われた時を求めて』についても、「ふつうの科学書ならマドレーヌの匂いをもとに大長編を仕立てた作家の感性を褒めそやすだろうが、この著者はプルーストの小説に実は嗅覚や味覚の描写が少なく、もっぱら視覚描写であることを指摘し、しかも嗅覚記憶の科学はいまなお途上だとしてプルーストの持ち上げすぎに釘(くぎ)を刺す」と、なかなかシビアーである。
なるほど、少なくとも小生は、「マドレーヌの匂いをもとに大長編を仕立てた」のをほとんどすんなり読み流すばかりで、「匂いが記憶を呼び覚ますことを「プルースト効果」「プルースト現象」」と呼ぶが、これらの<科学的分析>をありのままの小説の叙述とつき合わせて確かめることもなかったわけで、あまりに自分がナイーブだったと思い知らされた。
あああ、匂いを巡っては書きたいことがいろいろある。
また、これまでも結構、匂い(嗅覚)に絡んでは雑文をでっち上げてきた。
その一端を示すと、以下の通りである。
関連拙稿:
「犬が地べたを嗅ぎ回る」
「動物と人間の世界認識/おまえはケダモノだ、ヴィスコヴィッツ」
「嗅覚の文学」
「「匂い」のこと…原始への渇望」
「猫、春の憂鬱を歩く」
「自閉症と『動物感覚』と」
「アブダルハミード著『月』」
「匂いを体験する」
「あのゴミも浜辺に寄せし夢の文」
「匂いを哲学する…序」
「我がガス中毒死未遂事件」
(09/10/07 作)
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