ポオ 詩と音楽そして無限の快楽
『ポオ評論集』(八木 敏雄【編訳】 岩波文庫)を読了した。
→ 夕食前のひと時、茶の間からちょっと外の様子をうかがったら、なんだか世の中、ピンク色。淡い紫色。小生が昨日の日記で、「我が家の庭に咲く花は、今の時期だけなのか、それとも偶然なのか、ほとんどみんな淡い紫か、紫色気味である。ヤブランにしてもナスの花にしても、「クレオメ(西洋風蝶草)」にしても、夏萩(今や秋萩?)にしても、紫露草にしても」なんてことを書いたから、空の神様ったら、気を利かせてくれて、世の中を淡い紫色に染めてくれたのだろうか。
ポオに関する本なら手当たり次第に読みたくなる小生、新刊本を図書館で見つけ、即、手に取った。
ポオの評論や書評なども面白いが、本書では『詩の原理』などの詩論が興味深い。
といって、小生、人並みはずれて詩的センスの乏しい奴。
学生時代、ポオの全集を買い(新聞配達でカネを稼いで!)、小説はともかく、肝心の(着たい過剰気味だった)『ユリイカ』に拍子抜けした記憶がある。
無論、ポオの作品にガッカリしたわけじゃなく、読んで感銘を少しも受けない小生自身に落胆したのである。
ポオの本願の表現領域である詩でポオの理論や詩に不感症であっては、彼の小説だって、どれほど自分が味読できているか怪しいものではないか。
実際、小生は、高校時代に読んだデカルトの『宇宙論(世界論)』に圧倒されたという体験を持つ。
デカルトのどの哲学書より(中央公論刊の『世界の名著 デカルト』に所収されていたものや文庫で読める範囲の哲学書に限られるけれど)、『世界論』が小生は面白かった。
デカルトの『世界論』に比べ、学生になって読んだポオの『ユリイカ』は理論的に精緻さに欠けると思われてならなかった。
『ユリイカ』は詩論なのに、理屈で読み、一方、今にして思うにデカルトの『世界論』を文学的というか一つの虚構された時空論として詩的に楽しんでいた。
逆立ちしている!
← 『ポオ評論集』(八木 敏雄【編訳】 岩波文庫)
爾来、小生は自分の詩的センスにコンプレックスを抱いていて、詩は敬して近寄らずのスタンスを崩せずにきた(高校時代、知人がゲーテの詩集などを読んでいるのを知り、負けずに読んだけれど、センチメンタルな読み方しかできない自分を思い知らされたっけ)。
やや遠巻きに詩の世界を折々こっそりと(!)伺いみていたような気がする。
でも、本書ポオの詩論を読み、あるいは、以下のポオの言葉(詩論)を読んで、あまり理屈っぽく考えず、素直に詩を楽しめばいいのだと遅まきながら感じさせられた。
その一文を転記しておく。
前後の脈絡を欠いては、ちゃんとした理解は及ばないだろうが、まあ、堅いことは抜きで(イタリック体は、本文では傍点である):
詩とは、わたしの考えによれば、真実ではなく、快楽をその直接の目的とする点で科学と違い、有限の快楽ではなく無限の快楽をその目的とする点でロマンスとも異なるのであって、この目的が達成される限りにおいてのみ詩は詩たりうるのである。ロマンスが知覚しうる限定されたイメージを提供するのに対して、詩は無限定の感情を掻き立てるイメージを提供するのであって、その目的のためには音楽が不可欠である。なぜなら美しい音を鑑賞する能力は人間の最も限定しがたい概念作用だからである。音楽が心地よい観念と結びつくとき、それは詩となる。観念を欠いた音楽はただの音楽にすぎず、音楽を欠いた観念は、その限定性のゆえに散文にすびない。
→ 「クレオメ(西洋風蝶草)」の花などの紫色の染料(色素)が、昨日の未明からの雨で溶け染み出して、世の中を染め上げて仕舞ったみたい。かくいう小生、降り頻る雨の中、雨に祟られ、懸命に仕事。雨だと、バイクで走り出す前の準備作業も手間取るし、実際の仕事もなかなか大変。普段より、45分も余計に費やすことになってしまった。雨合羽を二着も着込んだのだけど、雨は容赦なく首などから入り込む。肉体労働での汗も混じっているようだ。寒いし冷たい。まだ9月の中旬になったばかりなのに、この寒さ。先が思いやられる。
詩と音楽!
そして無限の快楽!
これだよね、って、全く頓珍漢な理解しかできないけど、まあ、小生にとって創作上の刺激になればそれでいいのだ。
今日からバシュラール(の『水と夢』)を読むってのも、何かの縁だろう。
(09/09/12 作)
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