アナトール・フランス著『赤い百合』を愉しむ
アナトール・フランス著『赤い百合』(杉本 秀太郎【訳】 (京都)臨川書店 (2001/06/30 出版))を読んだ。
「19世紀末のパリとフィレンツェを舞台に、浮華な社交界を逃れ、真実の愛と自由を求めた貴婦人の、官能的で、はかない恋愛模様。アナトール・フランスの絶妙な筆が描く、人間の感情の機微、流行の最先端をゆく、きらびやかな会話の数々…。杉本秀太郎による完全新訳」ということで、戦後初の訳かと思ったら、そうでもないようだ(以下、敬愛の念を籠め、敬称は略させてもらう)。
← アナトール・フランス著『赤い百合』(杉本 秀太郎【訳】 (京都)臨川書店 (2001/06/30 出版))
これまで、関東大震災直前に春陽堂刊行の石川淳の手になるもの、一九五〇年に白水社版『アナトオル・フランス長篇全集』所収のものがあり、それは小林正の手になるらしい。
本書の訳者である杉本秀太郎によると、石川淳訳は、長所もあるものの(訳したのが弱冠24歳ということもあってか、あるいは時代なのか)「恋人同士がていねいすぎる語調で睦言を交わす」のがちょっと違和感を覚えるところらしい。
小林正訳は、「男女の会話が口調がお上品すぎる上に東京山手のご婦人のザアマス調に近似しているのがひどく不似合」だと、杉本秀太郎は述べている。
何しろ、「愛欲、痴情の小説」『赤い百合』なのである。
小生は、図書館で他の本を物色していた。
が、目当ての本が(オブローモフ関連の本が)一冊もないことに愕然。
チャールズ・ディケンズの『デイビッド・カッパフィールド』を全巻、読み通してみるか、とも思ったが、これは冬の夜長に取っておこうと思い直した(そんな時間など取れるはずもないが)。
あれこれ迷った挙句、アナトール・フランスの『赤い百合』を選んだ。
小生の偏見(というより無知!)で、勝手にアナトール・フランスの作品は難しいものと思い込んでいた。
でも、パラパラ捲ると、表現がそんなに(技術的に高度だし、構成が巧みのようだけれど)凝っているとは思えない。
否、むしろ、砕けているようでもある(訳文がいいからに他ならないのだが)。
読んでみて、確かに、少なくとも本書『赤い百合』は「愛欲、痴情の小説」なのだった。
愛欲、痴情の場面が随所にある。
しかも、今時のエロ小説や愛欲小説のように(といっても、学生時代は散々、それらしきエロやエロチックな小説などを物色し読み漁ったが、社会人になってからは、何故かあまり手が出なくなってしまった。なので、自慢できるほど、比較対照できるほど読んだわけではないのだが)、性愛の場面を即物的に具体的に描くのではなく(小説版のAVみたいに)、読者が想像を…妄想を逞しくするべく、描かれてる。
幾度もある密会の場面だが、焔のような情炎が燃え上がっていることをひしひしと感じさせられるのだが、ドア越し、カーテン越しの衣擦れの音のように、切なく艶っぽく、腰よりも脳髄の奥深くが直接刺激されるようである。
いい意味で(?)隔靴掻痒の感を覚えたりもするので、若い読者が読めば、特にテレビも映画も見る機会が少なく、実際の営みの機会はさらに少ない、そんな連中が脳髄の中の密室で貪るように読み漁る類いの小説であるかのようである。
それでいて、パリやフィレンツェの芸術の香りが色濃く漂っており、知的に(体的にも)ませた読書家が読むに耐える深みと、且つ、巧みな構成と表現力をひしひしと感じさせる。
時間があったら、痴情の場面、密会の場面などの叙述を転記して示すのだが。
こんな小説でありこんな小説家だと知っていたら、小生も学生時代に飛びつき、読み浸ったに違いない!
素養のない奴ってのは、損である!
たとえば、芥川龍之介が本書を早々と読んでいた(これは意外ではないかもしれない)。
かの、柳田國男が読んでいた(僭越にも、いや、生意気にも、このことを知って、柳田國男を見直した! すました顔をして(いたかどうか知る由もないが)アナトール・フランスのこんな小説を愉しんでいたんだ)!
杉本秀太郎によると、柳田は、カルマン・レヴィ版『アナトール・フランス全集』二十五巻を端から端まで読んでいた人だという。
柳田の『後狩詞記』や『遠野物語』の紙背にはアナトール・フランスの論考が伏流水となってひそんでいる、という。
まあ、くだくだ書くのは無意味だろう。
「愛欲、痴情の小説」ではあるが、恋愛小説というより、男の嫉妬を描いた小説のようにも読める。
(性愛の対象として)あまりに魅力的な女性を<知った>が故に、女性の過去が気になってならない。過去の男が亡霊の如く、性愛のたびに、彼女の何気ない挙措振舞のたびにありありと現れてきてしまう。
こんな痴情の時を他の男とも!
ただし、この小説に置いては、男は嫉妬深く描かれるばかりで、掘り下げられているとは言えない。
それというのも、女性が主人公となっていて、男は脇役だからだろうが、芸術家たる男をも描ききっていたなら、本書は一級の小説となっていたのだろう。
まあ、ないものねだりである。
ともかく、まあ、面白くて、途切れ途切れにしか読めなかったのが、もどかしくてならなかった。
本書『赤い百合』は扱っていないが、アナトール・フランスについては、下記の記事が参考になる:
「憂愁書架: アナトール・フランス『昔がたり』」
(09/09/28 作)
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