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2009/08/16

カストラートについて

 個人的な関心もあって、アルマン・マリー・ルロワ著『ヒトの変異  人体の遺伝的多様性について MUTANTS』(監修上野直人 訳者築地誠子 みすず書房)を読んでいたら、カストラートという呼称に遭遇した。
 カストラートという音楽史上の存在については、小生には、多分、初耳の言葉だが、オペラなどクラシック音楽ファンにはあるいは馴染みの、常識に属する言葉なのかもしれない。

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← アルマン・マリー・ルロワ著『ヒトの変異  人体の遺伝的多様性について MUTANTS』(監修上野直人 訳者築地誠子 みすず書房)

 本書は、「その昔、重い奇形をもつ人々は「怪物」とみなされた。いま、奇形は遺伝子の働きを知るうえで、貴重な手がかりとなっている。その間には体づくりの謎をめぐる、数百年にわたる混乱と探究の歴史があった」といった本。
 小生には単なる好奇心ではすまない内容の本。

  さらに、「「私たちはみなミュータントなのだ。ただその程度が、人によって違うだけなのだ」。科学者は違いの原因となる遺伝子を探し、その文法を見出す。それが「私たちはなぜこのような形をしているのか」という問いへの答えにつながる。重い奇形の原因が、約30億の塩基対のうちのたった一つに起きた変異である場合もある。体づくりの精妙な仕組みに驚嘆し、多様性の謎が解けると同時に、違いの源がいかに私たちの直感に反して微かであるかを発見する。発生生物学者たちを虜にするそのスペクタクルを、本書は垣間見せてくれる」とも出版社側は謳っている。

 まだ読み止しで、感想も書く能はないが(書評については、例えば、「ホルベインアーチストナビ カフェオランジュ 本のエッセー 「ヒトの変異」」などを参照)、ロートレックの話とか、興味深い話が満載である。

 本書は微妙にダーウィンの美の理論とも繋がっていて、アドリアン・J.デズモンド著の『ダーウィンが信じた道―進化論に隠されたメッセージ』(矢野 真千子 野下 祥子【訳】 日本放送出版協会 (2009/06/30 出版))に引き続き、いい本に出会えたと感じている。

 今回は、上記したように、カストラートという興味深い存在についての記述に遭遇したので、関連するくだりを一部、抜粋してみる。
 
「カストラート」については、ネット上で説明を見出すことができる。
「カストラート(castrato)は、中世ヨーロッパに普及した去勢された男性歌手(同じ語源の英語の動詞'castrate'は「去勢する」という意味)」云々と説明してくれる「カストラート - Wikipedia」とか、特に「カストラートについて」などを参照願いたい。

 

 およそ二五〇〇年前、アリストテレスはエーゲ海の孤島で研究し、陳腐であると同時に美しく、かつぞっとするような観察をおこなった。「動物はすべて、幼いときに切除すれば、切除しなかった者よりも大きく美しくなる。大人になってから切除しても、大きくなることはない……一般論として、切除した動物はしなかった動物よりも大きくなる」
 アリストテレスのいう「切除」とは去勢のことだ。彼は四世紀のギリシャの農夫でも、現代の畜産家でも熟知していることを繰り返したにすぎない。だから陳腐だと言ったのだが、アリストテレスがこれを書きとめようとしたことに、この観察の意味はある。彼は去勢されたヒツジやウマやオンドリは去勢されなかったものよりも大きいという、裏庭でよく目にする事実をとりあげ、科学的に普遍化したのだ――そしてその結論はいまでも正しい。だがなぜこうした事実がぞっとするかと言えば、アリストテレスのいう「動物」にはとうぜんヒトも含まれるからだ。
 思春期を迎える前に去勢された少年は、背が非常に高くなる。現代の私たちにとってはほとんど忘れられた事実だが、四世紀のアテネではありふれたことだった。当時のアテネは地中海じゅうから集められた奴隷で溢れており、その中には去勢された奴隷が大勢いたからだ。またこの事実は、流行の最先端にいた一八世紀のイタリア人にもよく知られていた。スカラ座のような大歌劇場に君臨していたのは、現在のようなテノール歌手ではなく、カストラートだった。彼らの声域、音量、この世のものとは思えぬ美声は絶賛され、なかには名声を得て金持ちの有力者になる者もいた。たとえば、ファリネッリ[一七〇五-八二]はスペインのフェリペ五世の御前で歌い、騎士(カバジェロ)の位を授けられた。カファレッリは公爵に叙せられ、ナポリに豪邸を建てた。ドメニコ・ムスタファはローマ教皇の騎士に任ぜられ、終身聖歌隊長になった。ロッシーニも、モンテヴェルディも、ヘンデルも、グルックも、モーツァルトも、マイヤーベーアーも彼らのために作曲した。彼らが歌うと、観客は「Eviva il coltello ! (カストラート万歳!)」と叫び、恍惚となった。
 カストラートの身長は測定されたことがなかったので、どれほどの背だったのかは正確にはわからない。だがたくさんの逸話や絵画から、当時の人たちよりも背が高く、やや奇妙な体型だったことがわかる。近代風刺画の先駆者であるイギリスのウィリアム・ホーガース[一六九七-一七六四]の作とされる銅版画には、ヘンデルの作品を演じているカストラートが描かれている。口を半開きにしてベルカントで歌い上げ、不恰好に手を腰に当て、そびえるように観客の前に立っている。これは風刺画だが、ずいぶんと残酷な絵だ。カストラートが肉体的な優美さに欠けること以外でも苦しんでいたことを考えればなおさら残酷だ。乱暴な去勢手術による後遺症で苦しみ、結婚や父親になる幸福を奪われ、さらに年をとれば重度の脊柱後側湾症になる。これは背中が曲がる病気で、骨粗しょう症(通常は年輩の女性の病気)の徴候である。胸が大きく垂れ下がっているカストラートも多い。たしかに髪が薄くなることも、前立腺がんになることもないが、だからといって慰めにもならない。一八世紀のイタリアでは年間およそ四〇〇〇人もの少年が、黄金の声を手に入れるために睾丸を失った。だがこの犠牲に見合う報酬を得られたのは、ほんの一握りの者だけだった。
 なぜカストラートは長身なのだろうか? カストラートの人気が衰えると、教皇ピウス十世[在位一九〇三-一四]はカストラートを禁止した。最後のヴァチカンのカストラート、アレッサンドロ・モレスキは一九二二年にこの世を去った。しかし世界のあちらこちらで、少年時代に去勢された数百人――一〇〇〇人には満たないが――の男たちが二〇世紀まで生き延びた。宦官たちのことだ。清王朝が滅びるとき、中国最後の皇帝の一族は、北京の紫禁城に二〇〇〇人以上の宦官を抱えていた。最後の中国人宦官、孫耀庭(そんようてい)は一九九六年に息を引き取り、容器の中に大事に保管されていた睾丸もいっしょに埋葬された。また一九二四年まで、イスタンブールのトプカプ宮殿にはおよそ二〇〇人の宦官が住んでいた。一九二四年に彼らの仕えていた皇帝が国外追放されると、多くの宦官はかつてオスマン帝国に支配されていた広大な地域にちらばっていったようだ。一九二〇年代にはドイツ人医師団がトプカプ宮殿の宦官を数名、精密検査したが、なんとも奇妙なことがわかった。これらの老人――ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国にえんえんと仕えてきた宦官たちの最後の者たち――は、思春期の子どものような骨をしていたのだ。   (p.173-6)

 転記文中に、「近代風刺画の先駆者であるイギリスのウィリアム・ホーガース[一六九七-一七六四]の作とされる銅版画には、ヘンデルの作品を演じているカストラートが描かれている。口を半開きにしてベルカントで歌い上げ、不恰好に手を腰に当て、そびえるように観客の前に立っている」というくだりがある。
 できれば、そのホーガースの銅版画を掲げたかったが、小生には当該の絵をネットで見つけることができなかった。
                             (09/08/16 作)

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