自閉症と『動物感覚』と
(「キューポラの煙棚引く町ならん」の続きです。)
そんな図書館だから(当然、自分の好みのジャンルも限られていることだし)、何度も目にする本がある。
目にするだけじゃなく、気になる。
でも、今ひとつ、借りるには躊躇いがある。
→ テンプル・グランディン/キャサリン・ジョンソン著『動物感覚』(中尾 ゆかり【訳】 日本放送出版協会)
昨日、読了した本も昨年から気になっていたけれど、実際、何度か手にもしてパラパラと捲ってみたりもしたが、初めて存在に気が付いてから半年ほども経て、ようやく借りるに至った。
その本とは、テンプル・グランディン/キャサリン・ジョンソン著の『動物感覚』(中尾 ゆかり【訳】 日本放送出版協会)である。
タイトルからして、何か、際物とまでは言わないまでも、やや神秘主義というか、トンでも本の類いかなという印象を抱かされてしまう。
惹かれるけれど、警戒の念を抱いてしまう。
しかし、やはり、本はじっくり腰を据えて読んでみないと分からないもの。
特に本書はそうだ。
上記したように、著者はテンプル・グランディン/キャサリン・ジョンソンの共著のようだが、事情は少し込み入っている。
著者は自閉症(知的障害をともなわない高機能自閉症(アスペルガー症候群))を抱える動物科学者のテンプル・グランディン(米コロラド州立大学准教授)であり、彼の談をキャサリン・ジョンソンが文章に書き起こしたのである。
専門家のアドバイスもあり、相当に整理をしたのだろうが、それでも、自らが書きおろしたならば、まずはありえないだろう、繰り返しが随所に見られ、気になる。
が、それもやむをえないのだろう。
そもそも、言葉にならない世界を訥々と(← 想像)丁寧に説明しようと苦労したに違いないのである。
むしろ、時に素人っぽい記述も、本書の魅力の一つなのだと気づくのにそんなに時間は要しない。
「動物感覚 紀伊國屋書店BookWeb」から、出版社側の説明を示しておく:
動物は、人間が見過ごしてしまう微細な情報を感じとることができる。
その鋭すぎる感覚ゆえに臆病だが、同時に驚異的な能力も発揮する。
飼い主の発作を三十分も前から予測する犬、数百か所におよぶ木の実の隠し場所を正確に記憶しているリス―。
自閉症についての理解を広めるために世界的に活躍してきた著者が、自閉症であるからこそ知りえた動物の感覚を研究した成果を、初めて発表した。
「著者のテンプル・グランディンは、自閉症であるがゆえにふつうの人とはことなる感覚をもっていること、どうやらその感覚は動物のものに似ているらしいことに気づき、この発見を出発点にして、動物の感覚について研究を進めた」(本書の「訳者あとがき」より)のである。
ちなみに、共著者のキャサリン・ジョンソンも自閉症の子供を持つ母親であり、だからこそ、自閉症の著者の語りに丁寧に辛抱強く付き合えたのだろう。
小生は、動物に知性があるのかどうかは別として、犬なら嗅覚、鳥なら視覚、さらには聴覚と、人間には全く敵わない超能力があるとして、その世界の豊饒さは、人間の想像を絶するものがあるのだろう、その一端をだけでも知ったら、驚異の世界に踏み惑うに違いないと思ってきた。
犬の嗅覚の凄さ。
数分子の匂いさえ、察知できる。
数日前の足あとの匂いさえ、嗅ぎ取れる。
人間の視覚(認識)には敵わない分、匂いの世界の豊饒さは、誰にもまだ語りつくされていないと思われる。
それだけのありあまる嗅覚の能力、得られている匂いの世界に日々接しているのなら、犬に言語の能力があろうがなかろうが、そもそも文字通り筆舌に尽くしがたい世界に浸って生きていると思うべきなのだろう。
著者が言うには、自閉症の人は、実は、普通の人には想像も及びつかない、多くは視覚上での豊か過ぎる世界に圧倒されているのだという。
通常の人だと、育つにつれ、社会的規制や常識に囚われ、見えているようで、見ているのは約束の世界、決まりきった世界、このように見える、見えるべき世界に限られていく。
一方、自閉症の人は、何もかもが見える、何もかもが気になる。何もかもが見えるし感じられるから、認識の洪水状態の中にあるらしいのである。
そう、著者に言わせると、「自閉症の子供は自分の狭い世界に閉じこもっている、とよくいわれるが、それは逆だ。…自分の頭の中で生きているのはふつうの人のほうだ」!
本書を、およそ動物好きだという方、動物と付き合う(扱う)関係者、自閉症に悩む(方が近くにいる)方、など幅広い方に一読を薦めたい。
参考:
「動物感覚 書評 本よみうり堂 YOMIURI ONLINE(読売新聞)」が手っ取り早いが、本書の理解に下記がとても参考になる:
「異なる脳の世界を理解する:動物感覚 [ EP 科学に佇む心と身体 ]」
関連拙稿:
「犬が地べたを嗅ぎ回る」
「動物と人間の世界認識/おまえはケダモノだ、ヴィスコヴィッツ」
「嗅覚の文学」
「「匂い」のこと…原始への渇望」
「猫、春の憂鬱を歩く」
(09/07/09 作)
← リチャード・E・シトーウィック著『共感覚者の驚くべき日常』(山下篤子訳、草思社刊)
本稿を書いた時には思い出せなかったのだが、少なからず関連すると思われる著を扱った拙稿を示しておく:
「シトーウィック『共感覚者の驚くべき日常』」
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