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2009/07/10

フレデリック・ハートの《無から》の周辺

 拙稿「「対数らせん」の世界へ」にて、フレデリック・ハート(Frederick Hart)作の「無から(Ex Nihilo)」という彫刻作品を紹介している。

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← "Ex Nihilo" (by Frederick Hart  Working Model) (画像は、「Frederick Hart, Michael Wilkinson, Richard Macdonald, Gil Bruvel, Collection Privee」より)

 この作品の素晴らしさには目を瞠るものがあるので、この作品を再発見させてくれたビューレント・アータレイ著『モナ・リザと数学―ダ・ヴィンチの芸術と科学』(高木 隆司 佐柳 信男【訳】 (京都)化学同人)から、フレデリック・ハート(Frederick Hart)についての記述を抜粋しておきたい。
 何年か前、彼のこの作品と何らかの形で出遭っている。
 といっても、実物ではなく、何かの本にこの彫刻作品の写真が載っていた。


 その時も、彫刻作品にはめったに感じ入ることのない小生が幾分なりとも感銘を受けた。
 今回、上掲書で写真を見、彼の人生などについての記述を読み、改めて関心を掻き立てられたのである。

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→ Ex-Nihilo (by Frederick Hart  Maquette Bronze)  (画像は、「Frederick Hart, Michael Wilkinson, Richard Macdonald, Gil Bruvel, Collection Privee」より)

 日本でも彼の仕事が紹介されていることと思うが、小生には適当なサイトが見つけられなかった。
 これから転記する内容が参考になればと思う。

 

 対数らせんの第二の例は繊細でありながら力強さがにじみでるフレデリック・ハートの《無から(Ex Nihilo)》である。彼は作品の構成を考えるとき、直観的に対数らせんを採用したようである。一九七四年に三一歳であった作者は、コンペの結果、大聖堂の西側ファサードにおける三つのフリーズ(装飾用の小壁)を任された。この作品は、二〇世紀における最も重要な宗教的彫刻だといえるだろう。ハートが受けた依頼は、三つの入口の上をそれぞれ聖ペテロ、アダム、そして聖パウロを主題とした彫刻で飾ることであった。人類の創造を彫刻として表している《無から》は中央入口の上を飾り、側面の入口にはそれぞれ昼と夜の創造を主題とした彫刻で飾られた。
 ハートの友人であるトム・ウルフは、著書のなかでこの破風を「混沌の渦巻くなかから人類が生まれたことを表現している」と述べている。「混沌の渦巻き」とは、まさに彫刻から湧きでようとしているかのように見える八人の身体の大渦巻には、的確な表現である。もしかしたら、対数らせんを用いた構成は、ヒマワリや台風、オウムガイなど、自然界に繰り返し見られる形状を無意識にとりいれたということもあるかもしれない。口絵五右の挿入図は、ハートの傑作《無から》に、口絵四のオウムガイの対数らせんを重ねたものである。《無から》に最もぴったりらせんを合わせるには、五体以上の像のひじを通るように曲線を調節するとよい。
 一九四三年生まれのハートは、五四歳のとき右脳に脳卒中をわずらって左半身が一部麻痺し、少なくともある期間は、それまでの精力的な創作のペースが落ちた。彼は右利きだとはいえ、感情をつかさどる非言語的な脳の側に障害が起こったことで、空間中の物体を認知する能力が制約された。それでも、「概念を形成し、考えを定式化し、これらの考えの内側にある直感を研ぎ澄まして、新しい創作のイメージとしてこれらの考えを表現することはできた」。不屈の意思と集中的な理学療法のおかげで、彼は左手の機能を少しとりもどした。空間把握、すなわち対象および創作したものを(単に見るだけでなく)認識する能力の衰えを克服するには、さらなる努力を必要とした。この点についても、集中力を増し、鏡や特別に改造したカメラを用いて克服した。
 脳卒中の一八か月後、一九九九年八月にハートはがんと診断され、その三日後にこの病に屈した。五六歳の誕生日の二か月前だった。私は彼をよく知り尊敬していたが、大聖堂の破風の構成に現れた対数らせんについて彼と話をすることはできなかった。しかし私は、対数らせんが意識的に採用されたのではないと考えている。彼がかつて次のように説明していたからだ。「《無から》は、神の精神と力が変容して創造をもたらしたという一つのイメージから生まれた。人間は混沌の無から生まれ、神の力の威厳と神秘によって永遠に変身しようとしているその瞬間をこの作品はとらえている」。彼の未亡人であるリンディー・ハートは、夫は雲の形が変化するときに見られた渦巻き模様にヒントを得たと説明してくれた。さらに次のようにつけ加えた。「作品に重ねられた対数らせんを見たら、リック(フレデリック)は大喜びしたと思います」。言い伝えによれば、ミケランジェロはシスティナ礼拝堂のための《天地創造》のイメージを、たゆまなく変化する雲を見て思いついたとされている。
 ハートの脳卒中のエピソードは、左利きのレオナルドが同じように左脳に障害を起こして右手が部分的に麻痺し、彼の画家としての生命が終わったことを思い起こさせる。少なくともこの二人の例を見るかぎりでは、芸術における創造性を発揮するためには、脳の両側の協力が必要であるようだ。もしかしたら、脳の特定の機能は片方の半球だけに偏ってはいないのかもしれない。(上掲書 p.159-161)

                               (転記終わり)

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← "Pan Gargoyle" (by Frederick Hart  Cast Marble) (画像は、「Frederick Hart, Michael Wilkinson, Richard Macdonald, Gil Bruvel, Collection Privee」より) ネットでは(当然なのかもしれないが、ハートの彫刻作品の見事さを堪能させてくれる画像になかなか巡り合えない。このガーゴイルをわざわざ載せたのは、過日、ブログ(「「消えた魔法の民ダーナ神族」の周辺」)を書く切っ掛けをくれた、「日立 世界ふしぎ発見! アイルランド 消えた魔法の民ダーナ神族を追う」の中で、話題として出ていたからである。ヨーロッパの大聖堂には、必ずと言っていいほど(日本では狛犬のようなもの?)排水口(雨樋)として雨水を出すモチーフとしてガーゴイルが見られる。「身体の中の悪いものを吐き出す行為に由来して名づけられたらしい」(言葉の上では、うがいの擬音らしい)の。が、もともとは、「ダーナ神族がケルトに追いかけられて、地下に潜ってガーゴイルなど、魔物になった」、つまりはダーナ神族の遺物のようなものらしい。…ということは、ダーナ神族を追いやったケルト民族か、他のダーナ神族のあとからやってきた民族がイメージしたダーナ神族像(象徴)と考えるべきなのだろうか。

                           (09/07/10 作)

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