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2009/06/11

大和岩雄・著『新版 古事記成立考』を読む

 大和岩雄・著の『新版 古事記成立考』(大和書房)を読了した。
 時間を掻き削るようにして十日ほどを費やして読んだ。じっくり読むに値する本だった。

9784479840718

→ 大和岩雄・著『新版 古事記成立考』(大和書房)

 本書は、1975年刊の『古事記成立考』、97年の増補改訂版版に続き、34年ぶりに出た、大和 岩雄(おおわ いわお、1928年 - )による、「古事記」成立を巡る論考の集大成であり、決定版とも言うべき書。

 在野の研究者で学界からは、ともすると疎んじられるか軽んじられるが、小生にはそんなことは関係ない。在野の古代史研究家というと、松本清張もそうだったが、決して思いつきや何かではなく、文献を渉猟しつくしていること知らされたものだった。

 まして、「『古事記』偽書説」の筆頭の同氏なのだ、説の中味以前に、学者でないというだけで、無視などの冷遇を受けてきた、その痛憤の思いは想像を超えるものがあろう。
 松本清張も同じ屈辱の念を長年抱かされてきた…だけに、1975年に『古事記成立考』が刊行されてから、清澄は同氏を励ましてきたとかで、本書の「はじめに」にそのエピソードも書いてある。

 本書を読むと、同氏が真正面から「古事記」と向き合っていることを痛感させられる。
 それもそのはずなのだ。

 本書は同氏の会社である大和書房から刊行されいる。「だいわしょぼう」と読む。
 しかし、同氏の名前は、「おおわいわお」なのである。
 この苗字に彼が単なる好事家に留まらない、秘密の一端がある。

『古事記』については、現代語訳も含め、いろいろ文献を読んできたが、近年では、三浦 佑之の論考が一番、小生の関心を呼んだ。

 まずは、参考になると思うので、「古事記成立考 紀伊國屋書店BookWeb」より、章立てを示しておく:

『古事記成立考』を書くにあたって
『古事記』偽書説をめぐって
『古事記』に新しい表記・記事を指摘する説
旧版『古事記成立考』への批判と反論
上代特殊仮名遣は古さの証明にはならない
現存『古事記』の新しさを示す表記の検証
稗田阿礼は実在しない
太安万侶は『古事記』撰録者ではない
『古事記』に載る平安時代初期の記事
『古事記』に載る平安時代のオホ氏関係記事
さまざまな異本『古事記』
女性・母性的視点で書かれた原『古事記』
原『古事記』と仲臣のオホ氏とワニ氏
原『古事記』とオホ氏・尾張氏・大海氏
原『古事記』成立時期と息長氏
『弘仁私記』序と『姓氏録』と『古事記』
現存『古事記』を世に出した理由
『古事記』の本質とはなにか

 この章立てでも察せられるかもしれないが、現存『古事記』にオホ(大・多など)氏一族が大きく関わっていると大和は縷々書いている。
 そして、同氏の名前は「おおわ」だということ。

 そう、同氏は、直系ではないが、オホ氏系氏族の末裔なのである。
 同氏の名は、今は「おおわ」と読むが、「正しくは、「をわ」であり、「尾輪」と書いた。故郷の長野県諏訪市大和では、土地の人たちは地名を「おほわ」といわず「おわ」といっているのは、元は「尾輪」だから」だという。
 さらに、「諏訪の伝承では諏訪の大神(建御名方神)が大蛇になり、尾で輪をつくり高い木にからみついたので、尾輪と高木の地名がついたといわれている」とも(本書p.283)。

 そんな同氏だから、『古事記』を後生大事に、一文一句にゆるがせにせず、且つ、偽書説などとんでもないというのではなく、むしろ、そうした氏族の末裔ゆえに、「記紀神話」に未だにしがみ付いて、『古事記』をその序も含め、基本的に不可触の書とするのではなく、徹底的に文献を調べつくし、原『古事記』の成立のこと、現存『古事記』の成立の時代背景を諄々と解く。
 本書で示されていることの一つに、「古事記」は、固有名詞ではなく、本来は普通名詞であって、「フルコトブミ」と読むのだという主張がある。
 それが最終的に平安初期に現存『古事記』が成った段階で、固有名詞格になったというのだ。

 大和氏の「『古事記』偽書説」は、75年版の『古事記成立考』で大よそのことが示された。

 例えば、「著者コラム- 『古事記』偽書説・・・糸井 秀夫」など参照願いたい:

1.主として多氏(太氏)に伝わるフルコトブミを、平安初期に集大成した。
2.序文を書いたのは弘仁期(810〜823)に日本書紀の講義をした多人長という人物である。自分の先祖で位の高い安万呂を編者に仕立て上げて、権威付けを狙ったのであろう。
3.太安万侶墓碑発見に依って、「偽書説」が揺らぐ事はない。稗田阿礼の実在が実証されれば、それは「偽書説」を覆すに足る。

 そこに、この新版では、「女性・母性の新たな視点を提起」しているわけである。


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← 三浦 佑之著『古事記講義』(文藝春秋刊) (「三浦 佑之著『古事記講義』」参照)

 大和氏の偽書説にもう少し触れておく。
大和岩雄偽書説の主張」(ホームページ:「古事記偽書説論争の情報広場」)を参照する。
「偽作者を、古事記の筆者とされている太安麻呂の子孫で、学者の多人長と推定し、自分自身で古事記を書きながら、祖先の安麻呂が書いたとする偽りの書」というもので、「偽作の動機は、この人長が宮廷の家臣たちに、日本書紀の講義をするほどの書紀学の第一人者であった上に、当時の「万多親王の姓氏録」や「舎人親王の日本書紀」の記載に、異議や不満もあってのこと」と言う。
 
 門外漢の小生だが、本書の主張や、同氏の説に対する反論・異論への反論は、随分、説得力のあるものと感じられた。
著者コラム- 『古事記』偽書説・・・糸井 秀夫」にもあるが、「古事記」成立に関わる疑念(偽書説)に、必ずしも有効な反論が成されたとは言えないのである。
 今後、どのような「古事記」論が出るにせよ、本書を無視しては議論の進展はありえないのではなかろうか。


三浦 佑之著『古事記講義』
三浦佑之『口語訳 古事記』

                               (09/06/09 作)

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コメント

はじめまして、寛之と申します。
『古事記』偽書説論者である大和氏の著作を読まれたようで、あなたも惹きこまれたようですね。ただ、彼らの主張の根幹が『古事記』序文への疑い(序文に和銅五年の成立と書かれているのに正史にその成立について書かれていない)という非論理的なものに支えられていることはご存知ですか?正史に名が見えないからといって『古事記』が偽書だとは断言できませんよね?こうした有効性を持たない立脚点の上に数々の推論を積み重ねているのが大和氏や三浦氏の偽書説の実体です。彼らの持ち出す様々な論拠は、彼らの想定する『古事記』成立の事情に適合し得るものを恣意的に集めたものに過ぎませんよ。

投稿: 寛之 | 2009/07/27 15:08

寛之さん

コメント、ありがとうございます。

「彼らの主張の根幹が『古事記』序文への疑い(序文に和銅五年の成立と書かれているのに正史にその成立について書かれていない)という非論理的なもの」という説明が理解できません。

「正史にその成立について書かれていない」という事実に基づいているだけです。

また、大和氏の偽書説といった場合のその内容を寛之さんはまるで理解されていないか、誤解されているように思えます。
そもそも、偽書説にもさまざまな種類があることをご存知なのでしょうか。

本稿で紹介した大和氏の新著を読まれた上でのコメントなのでしょうか。

まず、同氏の著書を虚心坦懐に読んだ上で、再度のコメントをお願いしたいと思います。

投稿: やいっち | 2009/07/28 00:19

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