大和岩雄著『人麻呂伝説』を読む
大和岩雄著『人麻呂伝説』(白水社)を読んだ。
つい先日、大和岩雄・著の『新版 古事記成立考』(大和書房)を読了したばかりで、その流れで大和氏の本を手にとったのである。
→ 大和岩雄著『人麻呂伝説』(白水社)
大和氏の著書は多数にのぼっており、その中で本書を選んだのは、なんといっても、小生には柿本人麻呂への勝手な思い入れがあるからである。
詩も読まないし、文学的センスもないのだが、柿本人麻呂の歌には、そんな鈍感な小生にさえ震撼させるような言葉の喚起力が感じられる。
同氏には、上掲書に関連して、『人麻呂の実像』という著書があるのだが、残念ながら富山の図書館には在庫がない!
本書の内容は、「柿本人麻呂の不透明な死は、幾多の伝説を生んだ。超一流とはいえ一介の宮廷歌人が、庶民の畏敬する神となったのはなぜか? 著者は人麻呂の終焉歌を手がかりに、古代絶対王権の成立と氏族の問題を軸として、日本文化の非農耕的側面に肉迫する。謎の多いワニ氏系氏族に関する最新の論考でもある」といったものだが、やはり、穏当には、まず大和氏の描き出す実像に接し、その上で、謎や伝説の多い人麻呂の<虚像>の全貌をなぞりたかったのだが。
小生は、古橋信孝著の『万葉歌の成立』(講談社学術文庫)など幾許かの人麻呂関連の書を読んできた。
拙稿に、今年に入ってからでも、「山本健吉の「柿本人麻呂」未満」がある。
そのほかは、下記:
「網代」
「白川静『初期万葉論』雑感」
「人丸忌…言の葉」
「稲岡耕二著『人麻呂の表現世界』」
「春望…英語でよむ万葉集」
「人麻呂と長明の「泡」つながり」
「古田武彦著『人麿の運命』の周辺」
(「白川静…日本語は仮名しき漢字の迷宮か」)
いずれも、人麻呂の周辺のさらに辺縁を怖々(?)撫ぜてみるだけの感想に過ぎないが、一人の表現者(こういう性格付けが妥当かどうかは分からないが)にこれだけこだわるのは、小生の場合、人麻呂だけである。
「網代」で、人麻呂の短歌で好きなものを幾つか挙げている:
もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行く方知らずも
淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ
天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ
天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ
鴨山の岩根しまけるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ
ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
言葉の持つ、呪力、あるいは大仰に言うと言霊を感じるのは、長歌だろう。やんごとなき方と同化して表現する、人外の人、という感を覚えてしまうのだ。
「白川静『初期万葉論』雑感」でも、白川静氏に強く影響される中で書いているが、小生の人麻呂理解は以下のようなものに尽きる:
上掲のサイトで柿本の歌をどれでも詠まれる(朗詠される)と感じるだろうが、何か言霊という言葉をつい使いたくなってしまうのである。
それは、彼が未だ本邦において、言葉で自国の文化や世界を表現する方法や規範が確立されていない中で、彼(ないしは彼の柿本衆と呼ばれる一群の人々)が中国の『詩経』や、それ以後の文学を学び吸収して独自の言語表現世界を構築しようと、想像を絶する努力を傾注したのだろうし、また柿本人麻呂という空前絶後の天才があったればこそ、それも可能だったのだろう。
それまでの本邦に話し言葉はあったに違いない。あるいは記録などのため、中国語(や朝鮮語)に頼る表記も断片的には(そして散発的には)あったのに違いない。しかし、中国文化の既に数千年に渡る文化の蓄積の前には、独自の表記も美意識も表現する見込みなど考えられなかったのではないかと思う。
実際、本書(『初期万葉論』)の中でも、『詩経』などに始まる漢文や漢詩の一千年の文化世界を、天武天皇の下、一気に吸収し消化し、しかも本邦独自の世界に咀嚼せんとした苦労が語られている。
その中で、柿本人麻呂が、一際燦然とした輝きを放って屹立しているのだ。歌や詩に素養も感性もない小生でも感じざるを得ないほどに凄みを感じさせるものがある。
柿本人麻呂が表現した世界と類似したような表現方法は、山部赤人を始め、多くの歌人が採っているし、それなりに表現もされている。柿本が構築した長歌も、以後の長歌は長歌にあらずなのである。長歌は人麻呂の死と共に死んだのだ。
柿本の歌世界は、モノそのものが立つような、表現だと白川は言う。つまり、叙景であれ抒情であれ、そのように解釈されがちな場合でも、柿本の歌は、まさに古代的であり呪術的であると白川は言うのである。
その挽歌に代表される柿本世界が、人麻呂の死後、僅か二十数年の間に憶良や家持らのような相聞的な叙情性に一気に傾斜していく。これ以後の歌は、まさに、いかにも『古今集』や『新古今集』に繋がっていきそうな、虚構性や叙情性のある叙景的世界に変貌・変質していくのだ。
それはまた、天武天皇が壬申の乱を制して、律令制を導入しようとし、やがて律令制が確立していくことと平行しているかのような、歌世界の変貌でもあるようだ。
挽歌は人麻呂と共に死んだのである。
出版社による本書の内容紹介にもあるが、「柿本人麻呂の不透明な死は、幾多の伝説を生んだ。超一流とはいえ一介の宮廷歌人が、庶民の畏敬する神となったのはなぜか?」といった疑問を抱かせるほどに、後世への影響は大きい。
実像への探求も進むだろうが、虚像としての人麻呂伝説はさらにさらに肥大化するに違いない。
(09/06/16 作)
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