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2009/06/09

内田 亮子 著『生命をつなぐ進化のふしぎ』…最後は人間!

 内田 亮子 著の『生命をつなぐ進化のふしぎ  ─生物人類学への招待 』(ちくま新書)を読んだ。
 
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→ 内田 亮子 著『生命をつなぐ進化のふしぎ  ─生物人類学への招待 』(ちくま新書

 連休明けの頃、「足利事件:再鑑定の結果「DNA不一致」…東京高裁に提出 」( 毎日jp(毎日新聞))といったニュースがテレビなどマスコミをにぎわせた。

足利事件(あしかがじけん)とは、1990年5月12日に、栃木県足利市内のパチンコ店の駐車場から女児(4歳)が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見された事件」で、上掲の記事に見られるように、「2009年5月の再鑑定により、犯人として服役していた人物のDNAと、遺留物のDNAが一致しない事が判明し」、今月になって、千葉刑務所より服役中だったにも関わらず、釈放された。
 異例の決定というが、当然の処置なのだろう。

 科学の発展ぶりは目覚しいものがあり、進化学も遺伝学も、例外ではない。
 科学捜査が謳われ、当時として最先端の技術だったのだろう(異論がなかったわけではなかろうが)。

 上掲の記事(ニュース)もあって、図書館で遺伝子か、関連する本を探したが、冒頭の『生命をつなぐ進化のふしぎ 』が目に留まった。
 出版社側の内容説明によると、「私たちは、現世に生を受けながら、浮世に明け暮らす生身である。永遠に若くはなく、終には老いとなる。個体としての命はかほど儚い。それはヒトもサルもトカゲも同じだ。他方、生命の誕生以来、生物は無限的な時間のなかで進化を遂げてきた。生命現象の多様性は進化の積畳なのである。生の永遠と命の儚さ、そのジレンマの狭間で、生命はまばゆい輝きを放つのだ―。本書では、様々な動物の生きかたを紹介し、進化的な視点から生命サイクルの意味と仕組みを見つめる。最新の研究を渉猟し、人間とは何かを考えた快著」といった本。 

 本書の批評は、「asahi.com(朝日新聞社):生命をつなぐ進化のふしぎ―生物人類学への招待 [著]内田亮子 - 書評 - BOOK」や「『生命をつなぐ進化のふしぎ』内田亮子 - あれこれ随想記」などを参照願いたい。


 もう一昔前になるが、生命体は遺伝子を運ぶ道具(乗物)に過ぎないといった議論が流行ったことがある。
 生命体は遺伝子の乗物に過ぎない!

 その主張の当事者と目される人物は、そんな杜撰な議論を展開していたわけではないが、DNAの解明が進むごとに、従来なら体質とか家系とかいった表現(発想)で片づけられてきたものが、<DNA>という錦の御旗の如き、反論の余地のない<証拠>を突きつけられたような気になりがちだった。
 糖尿病になりやすい傾向も、ガン体質も、太りやすいのも、精神病も持って生まれた、各々の遺伝子のせい…。
 実際には、研究が進めば進むほど、遺伝子が一義的に生物のありようを決めるわけじゃなく、生命現象の現れにいたる機構は極めて複雑で微妙らしい。
 上掲の言葉をもじるなら、むしろ、生命体は生命をつなぎつむぐ変幻して止まぬ形、ということになろうか。
 
 遺伝子決定論紛いの表現を援用するなら、ほんのちょっとした遺伝子の違いが、個性を生む。個々の生命体はだから、優れて個性的なわけだ。極論すると、(人に限らないだろうが)どの生命体も、それぞれが文字通り個体だと言えるのかもしれない。

 一方、ミトコンドリアDNAなどの分析研究も進んでいて、従来は仮説だったものが定説になりつつある。
 以前にも、紹介したが、スティーヴン・オッペンハイマー著の『人類の足跡10万年全史』」(草思社)などは新しい説も唱えられていて、興味深い:
人類の足跡10万年全史

 記憶が曖昧だが、確か有料だったと思うが、何処かの研究機関に自分のDNA分析を依頼すれば、先祖の足跡が数万年前まで調べてもらえるという(典拠を忘れた)。
ボランティアによるGenWeb Project(系図データベースプロジェクト)がアメリカを中心に行われ、その延長に世界的な活動としてWorldGenWebが立ち上げられ、日本でも日系人の先祖探しなどを目的にJapanGenWebが活動している」とか。
「DNA鑑定により、2人の人がある時間経過の範囲内(数百年以内)で血縁関係にあるかないかを高い確度で知ることができる」のだという(「系譜学 - Wikipedia」参照)。
 もう、親子の血縁鑑定とか家系図がどうしたという次元を遥かに超えている!
 日本でも家系(図)が後生大事にされた歴史が一部にあるようだけど、大事なのは家系であり、「家」だった…のだとすると、家系の何処かで養子を入れたり、とんでもない浮気(不倫)の子をこっそり嫡子と称していたりしていても、「家」も「家系」も、綿々と守られてきたと豪語することはあったのだろう。
 そんな人間の知恵、それとも欺瞞の実態が曝け出される事態もありえる ? !

 余談が過ぎた。
 血筋のこと、血のこととなると、どうしても無関心ではいられない。
 大きく人類の祖先、日本人の祖先もだけど、我が家の先祖のことも(家系がない!)、知りたくてならないのである。
 尤も、誰に限らず、自分の親は二人、親の親は四人と計算していくと、ご先祖様の数は千年も辿ると、計算しきれなくなり、数万年前まで計算したら、地上にかつてあった生命の数より多くなってしまって、話が見えなくなってしまうのだが。

 裁判員制度が始まっている。
 裁判の過程で、科学鑑定の結果も証拠として採用される機会が少なからずあるものと思われる。
 人気ドラマ「CSI:科学捜査班」が好きで欠かさず見ていた。
「科学捜査班所属の捜査官たちが、最新科学を駆使した捜査技術でさまざまな凶悪犯罪を解明していく姿」は、眩いものがある。
 けれど、科学に疎い小生などからすると、「どうだ、最先端の科学技術でお前が犯人だという証拠が出たぞ」と、言われると、自分の能力では反論はおろか、そもそも理解さえできず、ただ、最新科学という権威に呆気なく屈してしまいそうである。
 中学の科学でも、とっくに兜を下ろしてしまった小生だ。まして、現代科学の粋を尽した結果に逆らえるはずもない。
 …けれど、科学捜査の結果を信じるかどうかは、最後は、証拠を突きつけた捜査官の人間性を信じる…ことしか、自分にはできそうにない。
 十手を持つ目明しに、「どうだ、言い逃れできないだろう」と、言われ、周りの人たちの顔色を伺い、そうか、反論の余地はないんだな…ってことだけ、雰囲気で分かって、降参する。
 それは論理的な鉄壁さや、動かぬ証拠などに屈するのではない。そんな数々は、ボンクラな小生は、状況など理解できず、もしかして頭の良い人が別の証拠やアリバイを見つけたりして覆してくれないとも限らないと思う…可能性が大いにある。
 それでも、屈するのは、説得する相手を信頼するからという、その一点以外にないのではないか。
 最後は人間、と思いたいのである。

                             (09/06/06 作)

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