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2009/05/29

「ビューティフル・マインド」なのだろうか?

 シルヴィア・ナサー著の『ビューティフル・マインド』(塩川 優【訳】 新潮社)を読んだ。
 副題に「天才数学者の絶望と奇跡」とあるように、天才数学者の伝記本なのだが、小生は、主人公のジョン・フォーブス・ナッシュ(1928~)のことは全くの初耳である。

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→ シルヴィア・ナサー著『ビューティフル・マインド』(塩川 優【訳】 新潮社)

 数学に(も)まるで疎い族(やから)なのだが、分かりもしなくせに、数学の本は伝記だろうと数学史だろうと、書店であるいは図書館で本を物色する際は、数学のコーナーは素通りは出来ない。
 理論はまるで理解不能でも、高名な人物の名前くらいはしっているつもりでいた…のだが、図書館の書架で本書の背を目にしても、まるでピンと来なかった。

 映画の原作本?

 映画の原作というだけでは手は出さない。
 といって、単なる数学者の伝記でもつまらない(可能性がある)。
 やはり、精神の病との長い格闘のドラマが、稀代の数学者の人生と大部の本の形であっても付き合う気にさせてくれるのである。

 学識のない小生、ナッシュというと、好きだった刑事ドラマ『刑事ナッシュ・ブリッジス』(Nash Bridges)のナッシュしか浮かんでこない。
 タクシードライバーとして働いていたころ、二十時間以上の勤務や通勤時間を経て、早朝に帰宅し、数時間眠ったあと、まだ眠り足りないのに起き出すのが常だった。
 そう、『刑事ナッシュ・ブリッジス』を見るために、目覚ましをセットしてあったのだ。
 食事しつつ番組を観る。見終わると、また睡眠という日々だった。

 本書の題名の「ビューティフル・マインド」が、どこかで聞いたことがある、何かの映画の題名で目にしたのではなかったか。
 そうでもなかったら、本書は手にしなかっただろう。
 
 出版社の説明によると:

ジョン・フォーブス・ナッシュ(1928~)―経済学、生物学、政治学など広い分野に多大な影響を及ぼした天才数学者。
ゲーム理論、幾何学、解析学の幾多の定理、概念に名を残した異才…。
だが、その男の半生は、嵐とみまごうほどの転変の連続だった。
若き日の絶頂を境に、30年以上にわたって精神の病に苦しみ、「プリンストンの幽霊」と囁かれるほど見る影もなくした男が、ある日奇跡的な回復を遂げ、ついにはノーベル賞を受賞する―。
過酷な運命と闘った実在の天才数学者の、数奇な運命をたどる感動のノンフィクション。

 説明の中で、「30年以上にわたって精神の病に苦しみ」とあるが、数年前から統合失調症と呼称が変った病で、本書の中では精神分裂症と明記されている(2002/03/15 出版)。
「30年以上にわたって精神の病に苦しみ、「プリンストンの幽霊」と囁かれるほど見る影もなくした男が、ある日奇跡的な回復を遂げ」とあるが、実際には現在も存命で活躍中の同氏が完治したのかも実は(当人の自覚ではともかく、さらに周囲の期待にも関わらず、専門家の判断の上でも)、はっきりとは分からないのだ。

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← 「AXN - 海外ドラマチャンネル|刑事ナッシュ・ブリッジス」 小生の知っているナッシュというと、このドラマの主人公だけ。欠かさず見ていたっけ。

 ただ、はっきりと言えるのは、彼の周囲に彼の恢復を期待する、離婚したがその後も事実婚を続けてきた奥さんも含め、少なからぬ仲間がいたこと。
 彼の稀有の才能を惜しむがゆえでもあるが、日本でこの病に罹っていたなら、疾うに病の底に沈み、浮かび上がることはなかったのではなかったか。
 恐らくは何処かの施設の檻に閉じ込められ、あるいは薬物漬けにされ、意識は朦朧とし、生ける屍(しかばね)と化して、世の中から忘れ去られ消えていったに違いない。

主人公はジョン・ナッシュである。プリンストン大学の数学者で、ゲームの理論に対する貢献により、一九九四年度のノーベル経済学賞を受けた」のだが、一応は(多少の疑問は残りつつも)精神の病から生還したからであり、同時にノーベル賞の候補の一人に挙げられる頃、ナッシュの理論が大きく関わり貢献しているゲーム理論が有効性を大いに発揮しつつあったという時代に恵まれたことも大きかった(「シルヴィア・ナサー『ビューティフル・マインド』」参照)。

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→ 「映画 ビューティフル・マインド - allcinema」(監督: ロン・ハワード  ラッセル・クロウ主演)
 
 ジョン・ナッシュがモデルとなって映画化されたが、実際の話は映画よりもっとドラマチックである。本書の最後にもあるのだが、彼の次男も、同じ精神の病に冒されている、その息子との実際のドラマが描かれているのだ。
 そう、「本人の次男も同じ病気で、二十歳過ぎに発病している。本にはそのことが記されるが、映画にはそういう詳細はない」のである。
 だから、映画はどうであれ、現実はもっと深いし、今もそのドラマが進行しつつあることを思い知る。
 現実の人生に終わりはないのだ。

 なお、本書を読むのに数学や経済学の知識は全く要らない。
 もしかして本書の書き手もそういった分野には疎いのではないか。物理学などで、妙な説明を何度か目にしたような。
 それにしても、ナッシュの人生は、心は、「ビューティフル・マインド」なのだろうか? 当人にとっては、時に暗澹たる、長いトンネルだったのだろうし。ある種の崇高な精神性を人は「ビューティフル・マインド」と勝手に呼称しているだけ…。

 まあ、気にする必要はない。一つの人間ドラマとして読み応えが在る、それで十分だろう。

                               (09/05/24 作)

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