山崎覚太郎の「衝立」
今日の昼、父母とテレビ「開運!なんでも鑑定団」(再放送)を見ていたら、番組のエンディングでまたまた山崎覚太郎作品が登場した。富山の方の所蔵品。
3年前に見たのとは全く違う作品で、「衝立」である。
この作品については、下記にて簡潔な紹介が試みられている:
「MAPPLE 観光ガイド - 「山崎覚太郎の衝立」のコーナー概要。開運!なんでも鑑定団(テレビ東京) 2009-03-31(火)放送」
「昭和21年に制作された作品で、出展した作品の姉妹作だという。色にはカシューというカシューナッツの殻から抽出される油を主成分とした合成樹脂塗料を漆の代用品として使われている」とか、「彼は従来の黒・金・朱の三色しかない世界に、色漆を積極的に取り入れていた」という。
また、「色漆はまだ研究段階で容易には使いこなせないもので、彼が生み出した色漆の技法は油絵に勝るとも劣らなかったという」。
今日のテレビでの紹介で改めて漆芸家・山崎覚太郎(やまざき かくたろう、1899年6月29日 - 1984年3月1日)の偉業を再認識。
今、改めて記事を書く余裕がないので、3年前に書いたものを(当該部分を抜粋して)美の館である本ブログに転記する。
(以上 09/05/02記)
「山崎覚太郎から金川欣二へ」(2006/02/22 部分)
ちょっとした偶然があった。
昨夜、テレビ「開運!なんでも鑑定団」を見ていたら、山崎覚太郎という人物の漆作品が登場した。聞いたことのない人物。それでも、なんとなく見入っていたら、この方、富山出身だという。
富山県人というのは、富山出身だとか富山関係の人物だと俄然、関心を抱く傾向にある。島国根性というか、郷土愛が強いというか、視野が狭いというか、学籍でも、富山において問われたならば、たとえ有名な大学や大学院を出ていたとしても、問うた方が知りたいのは、県内での最終学籍である場合が多い。
小生、早速、山崎覚太郎という人物についてネット検索を試みた。
筆頭には、「思文閣 美術人名辞典---山崎覚太郎」なる頁が浮上する。
「漆芸家。富山県生。東美校漆工科卒業。蒔絵にこだわらず、多彩な色漆と簡潔で軽妙な図案、斬新な構図による絵画的表現を確立。漆芸を用の概念から解放し、現代的な表現の可能性を追求する指導者として活躍した。帝展特選受賞。東美校教授。日展理事長・日本芸術院会員。文化功労者。昭和59年(1984)歿、84才。」と簡潔なのはありがたいが、芸術家なのだし、作品の一つも見てみたい。
(文中の「東美校」とは、東京美術学校で、東京芸術大学の前身のようだ。)
あわよくばテレビで見た作品の説明を求めたいが、これはちと無理だろう。個人所蔵なのだし、テレビでの話しだと美術館(展覧会)に貸し出した様子も見受けられない以上は、公の資料が見つかる可能性は薄い。
ネット検索の2番目には「代表作品7」ということで、山崎覚太郎の「漆絵額 紅梅」の画像が現れてくれた。「大正3年本校卒業,芸術院会員,文化功労賞受賞」と説明されているが、ホームページへのリンクボタンがないので、本校とは何処の学校なのか分からない。
「漆絵額 紅梅」のURLから逆に辿ってみると、「青井記念館美術館」というサイトに行き着いた。表紙には青井記念館美術館と共に「高岡工芸高等学校」という名称が。
どうやら、本校とは高岡工芸高等学校のようである。
ネット検索では、「砺波地方に疎開した作家と戦後地元作家の動き」という頁も上位に現れる。
ここでは、「県内で戦前より、数少ない美術家養成所としての役割を担っていたのは、教育機関であったが、その最たるは明治27年創設の富山県工芸学校であろう。郷倉千靭、山崎覚太郎、佐々木大樹、松村外次郎らは同校を卒業して、東京美術学校に進み後年、美術家として名声を得た」という記述が見出される。
「博物館だより 第十四号 平成10年3月31日」という頁には、収蔵品紹介として「『蒔絵手筥(まきえてばこ)「花風(はなかぜ)」』 山崎覚太郎(やまざきかくたろう)作 昭和54年(1979)」の画像が載っている。
(この頁も表紙へのリンクが張ってなくて、一体、何処の博物館か分からない。郷土博物館だろうか。)
上でも「蒔絵にこだわらず、多彩な色漆と簡潔で軽妙な図案、斬新な構図による絵画的表現を確立。漆芸を用の概念から解放し、現代的な表現の可能性を追求する指導者として活躍した」といった説明があるが、この頁にも、「山崎氏は、漆に顔料を混ぜた様々な色の「色漆(いろうるし)」を用いて、鮮やかな色彩の作品を製作しました。またこの手筥の馬のように、猿・鶴・牛など動物の図柄が、作品に多く取り入れられています」と紹介されている。
実は、テレビ「開運!なんでも鑑定団」で見た作品も、森の木にぶら下がり、あるいは絡まる猿を大胆且つ斬新にデザイン化したような図柄を施された五枚セットの皿だった(注!)。
[ (注)読者からの指摘で小生が勘違いしていたことが分かった。「絡まる猿を大胆且つ斬新にデザイン化したような図柄」の作品というのは、山崎覚太郎の人物紹介をする中でそういった斬新なデザインの漆作品を作り関係者を驚かしたということだった。番組のホームページ「開運!なんでも鑑定団」によると、出品者の方が出した五枚セットの皿は「依頼品は、朱漆と黄土色の漆で朝日を表し、ブドウをシルエットにしたデザインのもので状態もいい。裏は漆黒の漆。覚太郎の作品は漆芸に絵画的な要素を織り込んだもので、大変貴重」なのだという。
ご指摘をして戴いた方には感謝あるのみである。と同時に小生の勘違いによる間違った記述をお詫びします。 (06/02/23am 補記)]
小生は、漆については「樹液のこと…琥珀」や特に「ジャパンのこと」において若干のことを書いたことがある。
しかし、文中にある「漆に顔料を混ぜた様々な色の「色漆(いろうるし)」」というのは、小生には初見の技術だった。
漆工芸品というと、番組の中でも解説が加えられていたが、誰しもが浮かべる朱色か黒か金色と相場が決まっているのだ。そうした常識を山崎覚太郎は打ち破っただけではなく、漆というと伝統的な工芸品という常識をも打ち破って、「現代的な表現の可能性を追求」したのだし、工芸品では採り入れられることのなかった馬や「猿・鶴・牛など動物の図柄」を、しかも、斬新なデザイン化を施して採り入れたというわけである。
それにしても分からないのは、それら動物の図柄をどのように地の漆部分から浮かび上がらせているのか、という点だった。堆朱(ついしゅ)の技法を使って漆を重ね塗りしているのか、それとも、地の木目に彫刻して立体化しているのか。
「堆朱(ついしゅ)」とは、「ついしゅ 0 【▼堆朱】 - goo 辞書」によると、「彫漆(ちようしつ)の一。朱漆を何回も厚く塗り重ねたものに花鳥・山水・人物などの文様を彫ったもの。中国では剔紅(てつこう)といわれ、宋代以降盛行。日本へは鎌倉時代に伝来。黒漆の場合は堆黒(ついこく)、黄漆の場合は堆黄(ついおう)。」というもの。
ネットでも「東北工芸 仙台堆朱」や「村上木彫堆朱 村上特産株式会社」なる頁で具体的な事例を見ることが出来る。
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