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2009/05/31

マリヴォー 著『贋の侍女・愛の勝利』を切っ掛けに思い出話

 ピエール・ド・マリヴォー著の『贋の侍女・愛の勝利』(佐藤 実枝/井村 順一 訳 岩波文庫)を読んだ。
 図書館で借り出したのだが、CDの書架でビル・エヴァンスやテレサ・テンなどを選び、カウンターへ向かおうとしたら、新書や文庫本の新刊本(新入荷本)の棚が目に入り、ずらずらと眺めたところ、本書が目に入った。

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→ ピエール・ド・マリヴォー著『贋の侍女・愛の勝利』(佐藤 実枝/井村 順一 訳 岩波文庫) (画像は、「Amazon.co.jp: 通販 - ファッション、家電から食品まで」より) カバーデザイン(装丁)は、中野達彦氏によるもののようだが、写真は、1991年コメディ=フランセーズの舞台「贋の侍女」(演出は、ジャック・ラサル。90年、ラサルに演出を依頼した、「現代屈指の演出家で座長でもあったアントワーヌ・ヴィテーズ」は、依頼直後、突然死する。「この演出が、ラサルの座長就任後の第一作とな」り、以後、ラサルは何度もマリヴォーの舞台演出を手がけることになる。

 出版社側の説明によると、「放蕩者の狡猾なたくらみに対抗する男装のヒロイン、二人の下僕も加わって展開する騙しあいの輪舞「贋の侍女」。恋の成就のために変装し、つぎつぎに邪魔者を片づける王女の活躍「愛の勝利」。現代に復活したマリヴォー(一六八八‐一七六三)の異性装劇二作品」ということだが、恥ずかしながら、小生はマリヴォーなる書き手を全く知らない。

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2009/05/29

「ビューティフル・マインド」なのだろうか?

 シルヴィア・ナサー著の『ビューティフル・マインド』(塩川 優【訳】 新潮社)を読んだ。
 副題に「天才数学者の絶望と奇跡」とあるように、天才数学者の伝記本なのだが、小生は、主人公のジョン・フォーブス・ナッシュ(1928~)のことは全くの初耳である。

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→ シルヴィア・ナサー著『ビューティフル・マインド』(塩川 優【訳】 新潮社)

 数学に(も)まるで疎い族(やから)なのだが、分かりもしなくせに、数学の本は伝記だろうと数学史だろうと、書店であるいは図書館で本を物色する際は、数学のコーナーは素通りは出来ない。
 理論はまるで理解不能でも、高名な人物の名前くらいはしっているつもりでいた…のだが、図書館の書架で本書の背を目にしても、まるでピンと来なかった。

 映画の原作本?

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2009/05/23

久世光彦『時を呼ぶ声』から三好達治「土」へ

 過日、ブライアン・グリーン著の『宇宙を織りなすもの 上・下』(青木 薫 訳 草思社)の上巻を読了した。
 次は当然、下巻…のはずだが、予約していた図書館が下巻が準備できました、などと連絡してきたため、やむなく下巻を先に読み、上巻を今になって読み終えた次第。

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← 三日ほど前の日記「庭の植物たちの息吹」で、冒頭にキウイの写真を掲げている。その際、「木に実ったキウイフルーツだろうか? 実はまだ、とっても小さい」などと書いているが、とんでもない勘違いだった。実と思ったのは、実は花の芽だった。小生のコメントを嘲笑うかのように、この日記を書いた翌日、庭掃除していて、キウイが開花していたのだ!

 普通、上下巻を予約している場合、待たせることになっても、上巻が先で、下巻の準備はあとのはず。
 図書館の方は、親切でとりあえず確保できた下巻の準備を連絡してきたのだろうか。
 あるいは、単なる流れ作業?

 まあ、でも、大部の、読み応えのある本を読了した満腹感は味わえた。

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2009/05/20

小寺菊子作「念仏の家」(四・五)

 小寺菊子作「念仏の家」の続き(四・五)です。

 文末の注意事項や、「「小寺菊子作「念仏の家」(一・二・三)」アップ」など参照願います。

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2009/05/17

辻 邦生著『海峡の霧』をめぐって

 先週末から読み出していた辻邦生著の『海峡の霧』(新潮社刊)を読了した。
 小生は、彼の小説よりも、何故かエッセイが好きである。小説については、『西行花伝』や『夏の砦』など少しは読んだが、あまりピンとは来ない。
 それに比してエッセイのほうは、かなり読んでいるほうだと思われる。相当の量を出されているので、全部とは言えないが。

 本書は、一昨年の夏、軽井沢で亡くなられた辻氏の遺稿集の第二弾ともいうべきものである。第一弾は、『微光の道』(新潮社刊)で、両方ともに細君の辻佐保子さんがあとがきを書かれている。
 小生が辻文学の何に惹かれているのか、自分でも分からない。上記したように、肝腎の文学作品に関しては熱心な読者ではないのだから、言うべき何もないのかもしれない。

 では、エッセイの何に惹かれて読んできたのか。

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2009/05/15

小寺菊子作「念仏の家」(一・二・三)

     念仏の家

        一

 私の家の祖先は、越中の國水橋といふ小さな漁村の生れであつた。
『有磯(ありそ)の海』といふのである。枕の草紙に、『渡りはしかすがの渡、こりずまの渡、みづはしの渡』とある。その水橋である。文治二年正月末、源義経主従十七人が山伏の姿となつて奥州へ落去の途次、京都堀川を忍び出て、越前に入り、安宅の関をすぎ、倶利伽羅峠をこえて、越中に入り、水橋川を渡つた――といふ史話がある。鎌倉時代、富山城より二十四年おくれて、小さな城が築かれ、天正六年に姉崎和泉守が、水橋城で討死してから廃城した――と伝へられてゐる。
 明治十一年――明治天皇が北國御巡幸の際、九月三十日午前十一時五十分、鹵簿粛々として東水橋町に御着輦になり、広瀬といふ旧家に御座所を設けたが、その時の行列は八百三十五人、乗馬は百十五頭で、天地開闢以来嘗てない壮観を極めた――と郷土小史に書きのこしてある。その水橋である。短歌俳句の愛好家が多く、芭蕉の像を祀つて運座の会が開かれたりすることは、富山市と変りがなく、私の父もその水橋の旧家に生れた一粒種の青年であつた。土地柄売薬を業としてゐたが、明治十一年ごろ富山市に移り、前田藩の士族で、祖父は町奉行、父は和歌徘徊の先生をして御殿に使へた浅野家の娘(私の母)を嫁に貰つた。悠長な士族の家に育つて、遊芸三昧に日を暮した私の母は、商家の家風とは何事も合はず、姑に苛られて、年中出るの入るの騒ぎをしてゐたのである。
 汽車が水橋近くに進むと、私の心が動揺した。二十年前にちょつと帰省したときも、酒屋をしてゐる『尾島屋』といふ本家に一泊したが、その後お互ひに年賀状さへも絶えてゐるので、家族の生死すら今は不明なのである。なんとしても感傷的にならざるをえない。蜃気楼で有名な魚津、それから滑川、そして水橋、水橋とよんだ。昨日は黒部峡谷の秋色を探るために宇奈月温泉で一泊したが、宴会や何かでひどく盛つてゐた。けれど今日の汽車は殆ど空つぽで、私は一人悄然と下車した。午後四時ごろで、空がどんよりとくもつてゐた。落莫とした小さな駅だから、赤帽なんかもゐない。荷物をどうしたものかと、そこに立つてゐる駅長に訴へると、それでもバスの車掌をよこしてくれた。長い年月、都会生活に慣れた私の眼には、心の底から寒々とするほどの侘しい村であつた。

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2009/05/14

小寺(尾島)菊子のこと(追記)

 先ごろ、『近代女性作家精選集 035 復刻 深夜の歌』(尾形 明子監修 小寺 菊子著  ゆまに書房)を読むことが出来た。
 図書館でダメもとで予約を試みたら、あっさり借りられた。

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→ 『近代女性作家精選集 035 復刻 深夜の歌』(尾形 明子監修 小寺 菊子著  ゆまに書房)

 復刻版だから、誰でも読めるわけだ。
 元の本(教文社)を115%に拡大しての復刻で、誤植も含め元通りの体裁で読めるわけである。

 小寺菊子の師である徳田秋声による「序文にかへて」が本書の冒頭に載っている。
 短文だし、参考にもなろうと思えるので、転記しておく(旧字を新字に変えた):

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2009/05/13

ティム・ワイナー著『CIA秘録 下』の周辺

 ティム・ワイナー著『CIA秘録 下』(藤田博司・山田侑平・佐藤信行・訳 文藝春秋)を読んだ。
 ティム・ワイナー著の『CIA秘録 上』(藤田博司・山田侑平・佐藤信行・訳 文藝春秋)を読んでの感想文は既に過日、アップしてある

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← ティム・ワイナー著『CIA秘録 下』(藤田博司・山田侑平・佐藤信行・訳 文藝春秋)

 大よその紹介は既に済ませたし、こういった本は、要約してもつまらない。
 とにかく、エピソードと事実(記録文書や関係者へのインタビュー)に満ちている。

 エピソードの多くは失敗か悔恨に満ちたもので、時に愚劣極まりないと、怒りの念さえ覚えることもある。

 トップに立つ人間の定見のなさや気まぐれに、組織(や国家)がいかに左右されてしまうものなのかを思い知らされる。

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2009/05/11

ストイキツァ著『影の歴史』の影に戯れる

 近現代美術史が専門のヴィクトル・I.ストイキツァ著『影の歴史』(岡田温司、西田兼訳 平凡社)を読んだ。
 確か、読売新聞でストイキツァの紹介がされていて、気になり、早速、図書館で予約しようとした。
 が、生憎、富山市には何冊も訳本があるうちの本書しか在庫(蔵書)がなかった。

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→ 「シャネルの香水 「エゴイスト (プラチナム)」のための広告、1994年」 本書に掲げてある画像で、これが一番、印象的だった。ネットで良質の画像を探したが、見つからない。どうやら、動画のCMの一場面のようだ。これは、本書に挿入されている写真をデジカメで撮影し、且つ、画素数を縮小したもの。随分と昔、初めて「エゴイスト」のCMをテレビで見たときは、感性の鈍い、且つ、男性用化粧品には縁遠い小生も、随分と思い切った広告だとビックリしたものだ。さすがに香水は使わなかったけど。

 いつもながら、富山市の文化の貧困さ(少なくとも図書館の所蔵する音楽CDや書籍の少なさ)を思い知らされる。
 小生などが読む本は、そんなに珍しい本ではないのに、蔵書にない場合があまりに多い。

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2009/05/08

古井由吉『杳子・妻隠』の周辺

 ちょうど一ヶ月前の日記となるが、「古井由吉の論考は難しい」(2009/04/03)の中で、古井由吉著の『ロベルト・ムージル』(岩波書店)の感想文を書いている。
 しかし、実際には感想文にさえならなかった。彼の思考法がまるで理解できなかったのだ。
 字面は追えるのだが、中味がまるで腑に落ちない。

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→ 古井由吉『杳子・妻隠』(新潮文庫) 小生は、単行本(図書館の本)で読んだ。

 古井文学を理解するには、評論ではだめで、やはり小説を読まないとダメなのだろう、近いうちに読んでみようと思ったのだった。
 戴いたコメントにも、以下のように書いている:

論考は(小生には分かりづらくとも)、同氏の訳したムージルは、あるいは小生にも読めるものなのか、これも、当分は判断や評価は保留としか言えないです。
とにかく、近い将来、同氏の小説を読んでみて、改めて違う印象を持てるのか、確かめてみたいと思ってます。

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2009/05/04

『CIA秘録 上』の周辺

 ティム・ワイナー著の『CIA秘録 上』(藤田博司・山田侑平・佐藤信行・訳 文藝春秋)を読んだ。

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→ ティム・ワイナー著『CIA秘録 上』(藤田博司・山田侑平・佐藤信行・訳 文藝春秋)

 予約したのは二月で読めたのは四月下旬だったから、随分と待たされたことになる。
 相当に読まれているってことなのだろうか。

 下巻も読了してから感想文を書こうかと思ったが、いつになるか分からないので、とりあえず上巻を読んでの印象をメモしておく。

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2009/05/02

山崎覚太郎の「衝立」

 今日の昼、父母とテレビ「開運!なんでも鑑定団」(再放送)を見ていたら、番組のエンディングでまたまた山崎覚太郎作品が登場した。富山の方の所蔵品。
 3年前に見たのとは全く違う作品で、「衝立」である。
 この作品については、下記にて簡潔な紹介が試みられている:
MAPPLE 観光ガイド - 「山崎覚太郎の衝立」のコーナー概要。開運!なんでも鑑定団(テレビ東京) 2009-03-31(火)放送

「昭和21年に制作された作品で、出展した作品の姉妹作だという。色にはカシューというカシューナッツの殻から抽出される油を主成分とした合成樹脂塗料を漆の代用品として使われている」とか、「彼は従来の黒・金・朱の三色しかない世界に、色漆を積極的に取り入れていた」という。
 また、「色漆はまだ研究段階で容易には使いこなせないもので、彼が生み出した色漆の技法は油絵に勝るとも劣らなかったという」。


 今日のテレビでの紹介で改めて漆芸家・山崎覚太郎(やまざき かくたろう、1899年6月29日 - 1984年3月1日)の偉業を再認識。
 今、改めて記事を書く余裕がないので、3年前に書いたものを(当該部分を抜粋して)美の館である本ブログに転記する。

                            (以上 09/05/02記)

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2009/05/01

レーダーマンからエミー・ネーターへ

 昨年、「ノーベル賞を得た小林誠教授、益川敏英教授の成果は「対称性の破れ」の説明に成功したこと。それがなければビッグバンの直後に、物質と反物質の接触があって、すべては光となって、消滅するはずだった」(「祝!ノーベル賞、理論物理学の世界を覗く:日経ビジネスオンライン」より)…。

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→ レオン・レーダーマン/クリストファー・ヒル著『対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで』(小林 茂樹【訳】 白揚社)

 というわけでもないが、レオン・レーダーマン/クリストファー・ヒル著の『対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで』(小林 茂樹【訳】 白揚社)を読んだ。
 原書名は、『SYMMETRY AND THE BEAUTIFUL UNIVERSE』である。

 もう少し転記すると、「ちょっとした対称性の破れがあって、いくつかの物質が残った。この対称性の破れのおかげで、宇宙には銀河系ができ、太陽系ができ、地球が生まれた。 私たちが夜空に見る現在の宇宙の姿が出来上がったのは、すべて、ビッグバンの直後の対称性の破れのおかげだった。対称性の破れとは一体なんだろう」!
 こういうテーマの本は、読むのに骨が折れると分かりつつも、つい手が出る。

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