廃墟のロベール
どういう経緯があってのことか忘れたが、「廃墟のロベール」と呼ばれる、異彩を放つ画家の存在を知った。
ユベール・ロベール(ROBERT, Hubert(1733-1808))とは、「東京富士美術館 - 収蔵品のご案内 : ロベール、ユベール《スフィンクス橋の眺め》」によると、「ロココ時代、人工的で理想的な風景画を描いて人気を得た」人で、「ロマン主義的風景画の先駆者の一人となった。その後、国有美術品の監督官となり、ついでルーヴル美術館の初代館長となった」という方。
詳細は、上掲の頁を覗いてみてほしい。
→ ユベール・ロベール「ルーヴルのグランド・ギャラリー改造計画案」 (画像は、「ブログテーマ[ユベール・ロベール]|ブログで名画」より)
どれほど変わった人かというと、「名作たち(16) - デカダンとラーニング!」によると、「ルーヴル宮は18世紀後半まで、なかば芸術家の共同アトリエみたいな状態だった」のだが、「ルーヴルを美術館として整備し、王室の美術品を一般に公開しようという動きが始まるのが1770年代、1777年にルイ16世の美術館設立許可が出されるのだが、そのときからルーヴルの整備、陳列計画の策定を中心的に行なったのが、ユベール・ロベールなのだ」…。
(その策定の内容は上掲のサイトを覗いてみてほしい。)
← ユベール・ロベール「廃墟化したルーヴルのグランド・ギャラリーの想像図」(1796) (画像は、「名作たち(16) - デカダンとラーニング!」より) 古来、多くの人が感銘を受けたようだ。この絵について、「廃墟への思い」の説明が印象的だった。「百科全書を書いたディドロは、ロベールの廃墟画を絶賛して ・次のように書いています」として、以下のディドロの言葉を引用してくれている:
『廃墟が私のうちに目覚めさせる想念は雄大である。すべてが無に帰し、すべてが滅び、すべてが過ぎ去る。世界だけが残る。時間だけが続く。この世界はなんと古いことか。私はふたつの永遠の間を歩む…』
あれ? その何処が異彩なの?
そう、そこまでだったら、さぞかし立派な人だったのかな、で終わる。
が、彼は違う。ロベールは、「自身の美術館の構想で出来上がった美術館が、はるか未来にどのような姿になっているのかといった想像図まで描いているのだ」!
「ミケランジェロ「瀕死の奴隷」も廃墟画となればただの一断片みたいだったりするし、崩れ去ったルーヴルにあっても彫刻を模写しようとする人がいたりと、ロベールの想像力は計り知れない」!
→ ユベール・ロベール《スフィンクス橋の眺め》(油彩、カンヴァス 1767年 96.0×163.0cm) 「近景では当時の庶民の生活風景を、遠景では橋と城のあるロマン主義的な風景を表わしており、その両者を一つの画面に組み合わせて描いた彼の得意のスタイルといえるだろう」 (画像や説明は、「東京富士美術館 - 収蔵品のご案内 : ロベール、ユベール《スフィンクス橋の眺め》」より)
ユベール・ロベールの世界に関心を持たれた方は、紹介した、「名作たち(16) - デカダンとラーニング!」なる頁を是非、覗いてみてもらいたい。
← ユベール・ロベール「ユピテル神殿、ナポリ近郊ポッヅオーロ」(1761年 油彩,板 39.1×43.8cm) 「ローマ時代に繁栄した港町で、ナポリ湾北岸に位置するポッヅオーロには、古代遺跡が散在するが、ロベールはこの町を1761年に画友フラゴナールとサン=ノン師とともに訪れている。天上に君臨した神ユピテルに捧げられた神殿を、奥へと収斂させる透視図法、褐色から青灰色への色彩の転調、交互にのびる光と影の帯一これらはいずれもロベールの作品によく見られる表現手段である」 (画像や説明は、「静岡県立美術館【主な収蔵品の作家名:ユベール・ロベール】」より)
「廃墟化したルーヴルのグランド・ギャラリーの想像図」が描かれた1796年という年を知ると、感懐が湧くかもしれない。
「廃墟への思い」にあるように、「これはもしルーブル美術館のグランド・ギャラリーが廃墟になったら・・・という想像画なのですが、当時大変な話題になったものです。なお、1796年はフランス革命の真っ最中でして、ロベスピエールが処刑されたテルミドール反動(1795年)の翌年にな」るわけで、「事実、1799年のブリュメールの18日のクーデターでナポレオンが独裁権を得ることになり、フランスは他国との戦争に突っ込んでい」くのだった。
→ ユベール・ロベール《奇想の廃墟(古い神殿)》 (画像は、「ウィーン美術アカデミー名品展:隆(りゅう)のスケジュール?」より)
冒頭で、「廃墟のロベール」の存在をどういうわけで知ったか分からないと書いている。
あるいは、「廃墟」つながり、かもしれない。
そう、一昨年だったか、「ベクシンスキー:廃墟の美学(前篇)」や「ベクシンスキー:廃墟の美学(後篇)」などをせっせと書き綴っていた頃、ふと、「廃墟のロベール」というサイトか言葉に出合ったのかもしれない。
← Robert, Hubert 「Antiquities of Provence」(oil on canvas 55.9 × 78.8 cm.) (画像は、「Robert, Hubert Antiquities of Provence Hubert Robert (French painter) -- Britannica Online Encyclopedia」より)
その小文に付記して、以下のように書いている:
滅びの美学。廃墟の美学。こうしたものにどうして人は囚われるのか。ベクシンスキーの場合は、ナチ下という過酷な体験がある。なんたってポーランドの人だからね。日本だって、ほんの数十年前、多くの都市が廃墟と化した。高層ビルが林立していても高速道路や地下鉄が縦横に走っていても、ちょっとした事件で美麗なビル群が廃墟と化してしまう。天国と地獄は常に背中合わせなのだ…が、そうしたことを忘れやすい、目を背けたいと思うのも人の慣わし。(後略)
ロベールの絵をもっと見たい人は:
「Hubert Robert Online」
関連拙稿:
「ベクシンスキー:廃墟の美学(前篇)」
「ベクシンスキー:廃墟の美学(後篇)」
(09/03/20 作)
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コメント
ご無沙汰しております。
ロベールの作品は廃墟独特の魅力をロマン主義的に描いてますが、
逆にいえば悲愴的な廃墟のある風景を描いた作品が、
ほとんどないといえるといえると思います。
私の知る限りでは、悲愴的な作品は思い当たりません。
またロベールは廃墟画にもファンタスティックな試みを行ったりしています。
同じ場所に存在しない作品や建造物を一画面上に描いてある絵も、
その最たるものかと思います。
http://www.nmwa.go.jp/jp/collection/1976-0002.html
投稿: オペラ座の灰燼 | 2009/04/18 22:21
オペラ座の灰燼さん
ロベールの廃墟の絵に悲壮感が漂っていないというのは、小生も同感ですね。
ベクシンスキーとはまるで意図も姿勢も違います。
精神性を求めるのは筋違いなのでしょう。
幻想というより、もしも廃墟だったらどう感じるだろうと、興味本位というと厳しすぎますが、(廃墟だから人間がいないのは当然としても)人間の営みの無意味さや、まして虚無感などは皆無と感じます。
あくまで想像の面白みと、ある種の甘い感傷に浸るには、ちょうど相応しい表現なのでしょうね。
投稿: やいっち | 2009/04/19 02:32