レンブラントの風景・風俗素描(前篇)
[本稿は、「レンブラントの風景・風俗素描(前篇)」より移転したもの。]
← レンブラント・ファン・レイン『夜警』 (画像は、「レンブラント・ファン・レイン - Wikipedia」より。この中の「夜警」の項にある逸話が面白い!)
レンブラントについて、あるいは彼の素描について、小生如きが何かを語ろうというつもりはない。
ただ、ケネス・クラーク 著の『風景画論 』(佐々木 英也 翻訳 :ちくま学芸文庫 筑摩書房 但し、小生は岩崎美術社版で読んでいる)を読んでいたら、レンブラントの素描、それも風景の素描画に言及されていたので、これを機に、久しぶりにレンブラントの素描画の世界を(ネット上で)眺めてみたくなったのである。
→ Rembrandt van Rijn (1606-1669) source:REMBRANDT ERCHINGS 1912 (画像は、「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」より)
17世紀のオランダ絵画黄金期に活躍した最大の巨匠であるレンブラント・ファン・レインについては、下記のサイトを覗いて、画像を観、説明に聞き入れば、ネット上でということであれば、十分に楽しめる:
「レンブラント・ファン・レイン Rembrandt Harmensz, van Rijn 1606-1669 | オランダ | オランダ絵画黄金期」(ホームページ: 「サルヴァスタイル美術館 ~西洋絵画、西洋美術と主題解説~」と銘打たれている「 Salvastyle.com 」)
← Rembrandt van Rijn (1606-1669) source:REMBRANDT ERCHINGS 1912 (画像は、「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」より)
ちょっと覗いただけでもサイトの充実振りが分かろうというもの。
ここでは、主に自分のメモのために、下記サイトを参照して、あくまで素描に焦点を合わせる:
「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」(ホームページ:「17世紀のオランダ風景・生活絵画」← 「17世紀のオランダが生んだ『市民的家庭生活がテーマ』となった絵画をご紹介するウェブ・ギャラリーです」というこのサイトをたった今、発見したのだが、この発見遭遇自体が嬉しい)
→ Rembrandt van Rijn (1606-1669) source:REMBRANDT ERCHINGS 1912 (画像は、「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」より)
上記したように、「レンブラント・ファン・レイン Rembrandt Harmensz, van Rijn 1606-1669 | オランダ | オランダ絵画黄金期」(ホームページ:「 Salvastyle.com 」)なるサイトを覗いてもらえば、十分な説明や情報を得ることができるのだが、なかなかリンク先に飛ばない人もいるようだ。
小生の頁でレンブラントについて最低限のことは転記の形で示しておく。
← Rembrandt van Rijn (1606-1669) source:REMBRANDT ERCHINGS 1912 (画像は、「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」より)
「レンブラント・ファン・レイン Rembrandt Harmensz, van Rijn 1606-1669 | オランダ | オランダ絵画黄金期」:
17世紀のオランダ絵画黄金期に活躍した最大の巨匠。スポットライトを当てたような強い光による明瞭な明暗対比や、赤褐色又は緑褐色を基調とした輝くような色彩、場面状況を明確に伝達する劇的な運動性、登場人物に示される深い精神性を帯びた表情などが大きな特徴。1606年7月15日、レイデンで中流階級の家柄の9番目の子息として生まれる。
→ Rembrandt van Rijn (1606-1669) source:REMBRANDT ERCHINGS 1912 (画像は、「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」より)
ちょっと驚いたのだが、「レンブラント・ファン・レイン - Wikipedia」によると、以下のようにあること:
私生活では最初の妻を早く亡くし(1642年)、愛人の女性から婚約不履行で訴えられるなど、トラブルが続いた。浪費癖もあったようで、多額の借金を抱えてやがて返済不能に陥る(1656年)。晩年は息子にも先立たれ、困窮のうちに亡くなり、共同墓地に葬られたという。また、レンブラント自身は色盲であったともいわれている。
← Rembrandt van Rijn (1606-1669) source:REMBRANDT ERCHINGS 1912 (画像は、「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」より)
何に驚いたかというと、上に転記した中で、最後にある「レンブラント自身は色盲であったともいわれている」という点である(「色盲」という用語(言葉)が気に掛かる。何も、小生のような色事好きな、色事には盲目的な奴ってことをあげつらわれているような気がする…からではなく、差別用語あるいは使用が禁止されている言葉なのではないかという点で。この辺りは、「色覚異常 - Wikipedia」の「呼び方について」という項を参照。一筋縄ではいかない問題であるようだ)。
→ Rembrandt van Rijn (1606-1669) source:REMBRANDT ERCHINGS 1912 (画像は、「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」より)
「色盲」(「色弱」、あるいは色覚異常」「色覚障害」「色覚特性」)で、素描はともかく、油絵なり水彩画であろうと、絵筆が揮えるのだろうか。
確かに、「レンブラント・ファン・レイン - Wikipedia」の中の、「レンブラント工房」という項には下記のようにあるのだが:
20世紀後半に研究が進み、かつてレンブラント作とされた作品の中に「工房作」のものが多く含まれていることがわかってきた。工房といっても、画家の下絵を弟子が仕上げていくといった分業体制ではなく、レンブラント工房の場合は、弟子がレンブラントの画風に従って制作しており、レンブラントが手を入れることはなかったようである。
← Rembrandt van Rijn (1606-1669) source:REMBRANDT ERCHINGS 1912 (画像は、「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」より)
それとも、繊細な精神と細心の観察眼を持っているからこそ、画家となったのだろうが、にもかかわらず生まれもっての特殊な才能と看做すべきなのか(左利きの人が、社会的な不利益を被りやすいという状況に抗して生きることで活躍する人が少なからずいるように)、この「色覚特性」の故にこそ、「スポットライトを当てたような強い光による明瞭な明暗対比や、赤褐色又は緑褐色を基調とした輝くような色彩、場面状況を明確に伝達する劇的な運動性、登場人物に示される深い精神性を帯びた表情」、特に前段の「スポットライトを当てたような強い光による明瞭な明暗対比」に卓抜した才能と技量を発揮したと理解していいのだろうか。
(07/12/07作)
「レンブラントの風景・風俗素描(後篇)」へ続く。
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