レンブラントの風景・風俗素描(後篇)
→ Rembrandt van Rijn (1606-1669) source:visipix.com (画像は、「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」より) 画像は拡大してみることをお勧めする。
「アムステルダムで活躍した光と影の画家レンブラント」(ホームページ:?)によると、「テュルプ博士の解剖学講義」で流行画家となり、「キリスト受難」「夜警」など生涯に約400点の油絵とエッチング、約1200点の素描を残した」という。
ただ、興味深い事実がある。
「レンブラントとレンブラント派」(ホームページ:「日本通運」)によると:
素描や版画では身の回りの光景をさかんに描写したレンブラントでしたが、ごく少数の例外を除いて、この画家が風景画や風俗画を制作することはありませんでした。レンブラントが終生の課題として取り組んだ分野は、肖像画を別にすれば、物語画、つまり、聖書や神話などに由来する主題をもつ作品でした。当時の画家の選択として、これは必ずしも普通のことではなかったのかもしれません。
なぜ、レンブラントは物語画家を志したのでしょうか。そして、なぜ、他の画家は、例えば、風景画家となり、風俗画家となったのでしょうか。(後略→ 是非、当該頁に飛んで読んでみてほしい。)
← Rembrandt van Rijn (1606-1669) source:visipix.com (画像は、「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」より)
レンブラントの素描や版画は一見すると、粗っぽく、ザッと描いたように思える。細部を観察して丹念に描いたとは到底、思えない。
どうして、素描や版画では身の回りの光景をさかんに描写したレンブラントが、(ごく少数の例外を除いて)この画家が風景画や風俗画を制作することはなかったのか。
素描や版画こそ、風景画や風俗画に適すると思ったのか、あるいは素描や版画などでは精神性の深い世界は描けないという思いがあったのか。
しかし、どういう考えで素描を試みたにしろ、ザッと描いたそのタッチは魅力的なのは確か。
描く構図や観察眼の確かさも否定できない。
→ Rembrandt van Rijn (1606-1669) source:visipix.com (画像は、「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」より)
ここで、小生が本稿を起こそうと思った切っ掛けとなった一文をケネス・クラーク 著の『風景画論 』(佐々木 英也 翻訳 :ちくま学芸文庫 筑摩書房)から引いておく:
こうしたデッサンとタブロー作品との間にみられる相違は、理想的風景画が非常な声望を得ていたことを証すものであり、またレンブラントの作品ほど両者の相違をはっきり示すものは他にない。レンブラントは古今を通じてもっとも感覚の鋭い、もっとも正確な事実の観察者のひとりであり、年輪を加えてゆくに準じて、目に映じたものを何でもそのまま描線に移しかえることができるようになった。一六五〇年代の風景デッサンでは、どんな描点でも走り書きめいた線でも、空間と光の効果をつくる役目を果たしている。たとえば中景の距離感をつくり出すこととか低い視点から見る人の視線を画面の奥に渋滞なく導き入れることのむずかしさ、といった昔の風景画家たちを悩ました問題はレンブラントには存在しない。画ペンを三度も動かせば、たちまち白紙に大気が満ちわたるかのごとくであった。しかもレンブラントは、風景に含まれたさまざまのものを深く愛した人である。彼は灯心草の動き、運河の照り返し、古ぼけた水車小屋に落ちる影を、コンスタブルに劣らぬ愛着をもって目でむさぼった。しかし絵具で制作する段になると、こうしたいっさいの観察の成果はもはや芸術のための単なる素材にすぎないものとなる。ルーベンスがそうであるようにレンブラントにとっても、風景画とは想念的な世界の創造を意味していたのである。われわれがそれぞれに知覚する世界より壮大で劇的でさまざまの連想に満たされた世界の創造。彼のデッサンやエッチングをみていると、こうした高い望みのためにわれわれ流の物の見方によるタブロー画の傑作を見せてもらえなくなったことが惜しまれてくる。だが結局のところレンブラントのもっとも偉大な風景画はその荘厳で伝説的な雰囲気のゆえに、いかに驚くべき正確さ鋭敏さを具えていようとも、率直な知覚の記録が与える以上の満足感を人びとに与えるものと思われる。
← Rembrandt van Rijn (1606-1669) source:visipix.com (画像は、「17世紀オランダ絵画 レンブラントの素描・版画編」より)
デッサンはあくまで下書きであり、だからこそ、まだ当時の常識では、あるいはレンブラントの考えでは下風にあった風景や風俗も気軽に描けたということなのだろうか。
が、レンブラントが一番力を揮えると思っていたものは、あくまで聖書に典拠のあるような物語的な絵画だったということか。
デッサンが下位にあり下絵に過ぎなかったからこそ、後世の人間から見ると傑作と思えるもの、あるいは時代の先駆け(風景画の出現と自立)たりえたはずの、そのままデッサン画をそのものとして追求せずとも、見事なデッサン画の数々が生れたということなのか。
皮肉? でも、その恩恵を後に続く者も、今日、デッサンを鑑賞する者も受けているわけである。
→ 范寛(はんかん)画 『渓山行旅図』(北宋) (画像は、「山水画 - Wikipedia」より) この山水画については、例えば、「実践女子大学美学美術史学科 WEB美術館 絹本墨画着色 206.3×103.3cm 台北国立故宮博物院」参照。この画の高精細度の画像は、「國立故宮博物院 National Palace Museum 宋 范寛 谿山行旅」なる頁を覗くといい。
上でケネス・クラーク 著の『風景画論 』からの転記文を示している。
その中に、「一六五〇年代の風景デッサンでは、どんな描点でも走り書きめいた線でも、空間と光の効果をつくる役目を果たしている。たとえば中景の距離感をつくり出すこととか低い視点から見る人の視線を画面の奥に渋滞なく導き入れることのむずかしさ、といった昔の風景画家たちを悩ました問題はレンブラントには存在しない。画ペンを三度も動かせば、たちまち白紙に大気が満ちわたるかのごとくであった。しかもレンブラントは、風景に含まれたさまざまのものを深く愛した人である。彼は灯心草の動き、運河の照り返し、古ぼけた水車小屋に落ちる影を、コンスタブルに劣らぬ愛着をもって目でむさぼった」という下りがある。
小生、この一節を転記しながら、ふと、山水画をチラッと思い浮かべていた。
例えば、「范寛(はんかん)」という中国の宋(10世紀)の時代に活躍した山水画の巨匠など。
今回は話題にはしないので、下記を参照のこと:
「山水画 - Wikipedia」
「胸中の丘壑4」
(07/12/07作)
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