トゥールーズ=ロートレック……世界は踊るよ!
今年の夏前、梅雨真っ盛りの頃、「誰も皆踊る姿にしびれます」と題した雑文を書いた。
→ アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『MOULIN ROUGE』 (画像は、「Henri de Toulouse Lautrec(ロートレック)」より。ホームページ:「Gallery tatsu」)
その中で、「欧米の画家にはダンサーをモデルにした絵画作品が多い。画家にしても、ドガ、ゴッホ、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックなどと、踊り子を描いた事例は少なからず居る。踊り子にインスピレーションを受けるからなのだろうか」として、アンリ・マチスの「ダンス」などの諸作品、ドガ「Dance School」、フレッチャー・シブソープ「ザ・テンプトレス」などを画像を掲載して紹介している。
← マチアス・アーノルド/著『『ロートレック』画集・作品集』(Mitsuo Hamma/訳、タッシェン・ジャパン)
が、ゴッホはともかく、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの作品を掲載していないことに、今更ながら気がついた。いつか、特集しようと思いつつ、サンバのシーズンに突入し(私事もあって)手が追いつかなくなったようだ。
というわけで、今回はトゥールーズ=ロートレックをミニ特集(本稿は11月9日に下書きを作ったもの。書き足したいこともないわけじゃないけど、一週間も放置するわけにもいかない。とりあえず、アップする)。
それにしてもロートレックの世界に魅了されたのは、一体、いつのことだったか。高校生の頃には名前も作品も知っていたと思うけれど、じっくり眺める機会を得たのは学生になってからのことだったはず。
知人宅にお邪魔した際、関連の書籍があり、壁にロートレックのポスターが貼ってあった。
そう、冒頭の画像のポスターである。
→ アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『TROUPE DEMLLE EGLANYINE』 (画像は、「Henri de Toulouse Lautrec(ロートレック)」より。ホームページ:「Gallery tatsu」)
眺めるともなく眺めているうちに、知らず知らずのうちにムーラン・ルージュの世界が脳裏に焼きついていたようだ。どれほどの理解が及んだわけでもないのだけれど。
定番だが、「アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック - Wikipedia」を覗く。
「アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック(ロトレック)(Henri de Toulouse-Lautrec, 1864年11月24日 - 1901年9月9日)は、19世紀のフランスの画家」だが、やはり、以下の点に触れざるを得ない:
ロートレックは、幼少期には「小さな宝石(プティ・ビジュー)」と呼ばれて家中から可愛がられて育ったが、13歳の時に左の大腿骨を、14歳の時に右の大腿骨をそれぞれ骨折したために脚の発育が停止し、成人した時の身長は140cmに過ぎなかった。胴体の発育は正常だったが、脚の大きさだけは子供のままの状態であり、現代の医学者はこの症状を骨粗鬆症や骨形成不全症といった遺伝子疾患と考えている。

← アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『ムーラン・ルージュに入るラ・グリュ』1892年 (画像は、「アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック - Wikipedia」より)
さらに、以下の点も、小生などは身につまされる思いで読んでしまう:
画家自身が身体障害者として差別を受けていたこともあってか、娼婦、踊り子のような夜の世界の女たちに共感。パリの「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」をはじめとしたダンスホール、酒場などに入り浸り、デカダンな生活を送った。そして、彼女らを愛情のこもった筆致で描いた。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン!
確かに!
踊る奴。敢えてする奴は阿呆である。なんたって失敗する恐れがあるし、人に笑われる恐れが多分にある。実際にやってしまったことで悔いることだって何度もあるのだろう。
でも、人生が一度限りの夢、一期一会の夢なら、踊った阿呆のほうが遥かに中味の濃い夢を、生を生きたと感じられるだろう。
→ アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『ディヴァン・ジャポネ』1892年 (画像は、「アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック - Wikipedia」より)
踊れるものなら。楽器が弾けるものなら。演技ができるものなら。歌えるものなら。描けるものなら。下積みや下働きでもいい手伝えるものなら。
で、ロートレックは描くことを選んだ…。というより、踊る人を愛することを選んだのだろう。選ばざるを得なかったというべきか:
作品には「ムーラン・ルージュ」などのポスターの名作も多く、ポスターを芸術の域にまで高めた功績でも美術史上に特筆されるべき画家であり、「小さき男(プティ・トンム)、偉大なる芸術家(グラン・タルテイスト)」と形容される。

← アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『JANE AVRIL』 (画像は、「Henri de Toulouse Lautrec(ロートレック)」より。ホームページ:「Gallery tatsu」)
愛する相手と二人きりで愛し合えるなら、踊り子らの夜の世界に入り浸ったりしないだろう。
そんなことより密室で自らの肉体で相手に奉仕すればいい。奉仕されればいいのだ。
小生など、何一つ才がないし、どんな世界であれ入り浸ることすらできない。
情愛が薄いのだろうか。
それにしても、ロートレックの上記したような人生を知るだけに、下記の一文にどんな詩より強烈なインパクトを受けてしまう:
1901年8月20日にパリを発ち、母のもとへ行き、同年9月9日、マルロメで母で看取られ死去した。享年36。

→ アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『MAY MILTON』 (画像は、「Henri de Toulouse Lautrec(ロートレック)」より。ホームページ:「Gallery tatsu」)
この一文にマザコンだとか何とかを読み取る奴とはおさらばだね。ほとんど喜劇と思われるほどの悲劇ではないか。
そう、ダンテの『神曲』の原題である「La Divina Commedia」(神聖な喜劇)に見紛うような悲劇である。
となると、ロートレックという人物をもっと知りたくなる。彼に付いての本は少なからずあるし、小生も何冊かは読んできた。
ここはネットの強みで、例えば下記のサイトを挙げておく:
「ロートレックその時代」(ホームページ:「越前屋」)
← パブロ・ピカソ Pablo Picasso 『青い部屋 The Blue Room』1901 (画像は、「THE PHILLIPS COLLECTION Collection」より) 「ピカソが19歳の時描いた「青い部屋」は、ピカソ自身の部屋を描いたものだが、部屋の奥の壁の中央にロートレックのポスター「メイ・ミルトン」が貼られてあった」(「ロートレックその時代」より) この絵の直上の『MAY MILTON』と見比べたら、一目瞭然。余談だけど、ピカソにも「ダンス」という題名のエポックメーキングな絵があることを知った。
ロートレックの「父、アルフォンス伯と母は実の従兄妹同士であ」ったこと、恐らくはその家系内での血族結婚で発育障害になったのだろうということと同時に、父親アルフォンス伯が変わり者であり、奇矯な行動が目立ち、さらに息子の:
ロートレックに対しては、絵を学ぶためのアトリエをパリに探したりと彼なりにいろいろとしていたようだが、実際にはあととりとしての息子の接し方ではなく、不具の身を哀れんでのことだった。時には、息子に対し、敵意にも似た感情を表していたともいわれる。

→ トゥールーズ=ロートレック、アンリ・ド『靴下をはく女』 (1894 Oil on cardboard 58 x 48 cm パリ、オルセー美術館) (画像は、「ロートレック (後期印象派)」(ホームページ:「アート at ドリアン」)より) 末尾に追記を付した際、急遽、この画像を追加した。(07/12/16)
踊るには、上半身だけでも可能なのかもしれない。マラソンやバスケットなどにしても、車椅子でチャレンジしている人は数知れずいる。けれど、やはり全身を使って、ステップも思いっきり使って踊りたいと思うのは人情だろう。
まあ、そんなことより、少なくとも19世紀において踊り子というのは、現代とは違った好奇の目で見られていたのではなかったか。
それでも、踊り子は踊る。周りの誰がどう思おうと踊る楽しみを踊り手は知っている。歴史は夜、作られるじゃないけれど、案外と踊り子を巡って世界が踊っている?!のかも。
そう、踊る楽しみを知っている踊り子に嫉妬し焦がれて!
← ケネス・クラーク著『ザ・ヌード 理想的形態の研究』(高階 秀爾 翻訳 , 佐々木 英也 翻訳 ちくま学芸文庫 筑摩書房)
[07/12/16追記]:
(前略)しかしマネは裸婦というモティーフがその長期にわたる衰退にもかかわらず、時代に通用する芸術として救済し得ることを示したわけで、ふたりの画家が彼に従い、サロンの裸婦のまやかしに抗議することになった。その第一はドガである。ドガは若い頃アングルのそれのような女性モデルの美しいデッサンをつくっていたが、にもかかわらずこの種の美が当今もはやチメイテキな危機に瀕していることを理解していた。第二のトゥールーズ=ロートレックの場合エンネルの偽善的な肉のまろやかさに対する反撥はさらに激しく、その鋭敏な眼はサロンお気に入りの画家たちが何とか抑制しようとしていた女体の抑揚や贅肉を喜んで正確に記録した。はだかの身体を描き出した彼の溌剌たる簡潔な表現は、まさしく彼の心とわれわれの心の奥底に裸体像の概念が存在しているという理由によっていっそうの力を得、またわれわれの感受力はこの概念がすでにどれほど無力になっていたかを想い合わせることによって高められる。
(ケネス・クラーク著『ザ・ヌード 理想的形態の研究』(高階 秀爾 翻訳 , 佐々木 英也 翻訳 ちくま学芸文庫 筑摩書房)より)
[本稿は、「壺中山紫庵 トゥールーズ=ロートレック……世界は踊るよ!」(2007/11/15)から「壺中水明庵」へ横滑りさせたものです。(09/03/10 記)]
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コメント
TB有難う御座いました。
此方からもお送りさせて頂きますね。
新着記事もご覧頂ければ幸いです。
投稿: Usher | 2009/12/27 11:51
Usher さん
逆TB、ありがとうございます。
TBしたまま、コメントもせず、失礼しました。
貴ブログ、折々、覗かせてもらってます。
再開(?)してくれて、嬉しいです。
投稿: やいっち | 2009/12/27 21:10