岩佐又兵衛…浮世絵の源流? 劇画の開祖?
[本稿は、2月8日にアップする予定だったもの。自分でも分からない事情で(事情があったのかどうかも覚えていない…。多分、オフ会の影響だろうけど…)、アップするタイミングを失してしまった。下書きを書いてから十日以上を経過してしまった。完成稿じゃないけど、今日、アップしちゃう。]
今日8日は伊藤若冲の誕生日。
我がブログでは彼に付いてまだほとんど採り上げていなかったので、今日こそはと思ったが、調べている最中、岩佐又兵衛の名を目にした。
↑ 『堀江物語絵巻(京都国立博物館本)』より (画像は、「アートゲノム第23回〜埋もれた宝を発掘する--岩佐又兵衛の場合 小川敦生 - nikkei BPnet」より)
その途端、伊藤若冲は後回しにし、今回は岩佐又兵衛の周辺をちょっと巡ってみたくなった。
伊藤若冲は…、またいつかじっくり腰を据えて。
「岩佐又兵衛 - Wikipedia」によると、「岩佐 又兵衛(いわさ またべえ、 天正6年(1578年) - 慶安3年6月22日(1650年7月20日)は、江戸時代初期の絵師」なのだが、人気のわりに評価が定まっていないこともあったようだが、今では相当程度の評価がされているのか。
しかし、上記サイトでの記述は、ちょっと物足りない:
摂津国河辺郡伊丹(現在の兵庫県伊丹市伊丹)の有岡城主荒木村重の子として生まれる。誕生の翌年、村重は織田信長に反逆を企て、失敗。落城に際して荒木一族はそのほとんどが斬殺されるが、数え年2歳の又兵衛は乳母に救い出され、石山本願寺に保護されて、母方の「岩佐」姓を名乗るようになる。40歳のころ北庄(現福井市)に移住し、同地に20余年留まった後、江戸に移り住み、そこで波乱に満ちた生涯を終える。俵屋宗達と並ぶ江戸初期を代表する大和絵絵師だが、劇的なタッチが特色のその作品はしばしば浮世絵の源流といわれる。

→ 辻 惟雄【著】『奇想の系譜―又兵衛‐国芳』(ちくま学芸文庫) この『奇想の系譜』が文庫本で出ていたなんて。懐かしい本。辻惟雄(つじのぶお)氏とのニアミス(?)などについて、「辻惟雄:縄文からマンガ・アニメまで…牧谿の幸い」の中であれこれ書いている。
あとは、代表作の数々(のあるサイト)を列挙してあるだけ。
ちょっと情報として寂しい。
彼の存在感に相応しくない。
あるいは、「絵巻や風俗画には、落款を残さなかった」ことが影響しているのか。
この頁は以前、「「絵踏」と『日本美術の発見者たち』」にて紹介したことがあるのだが、やはり、このサイトをまずは参照するのがいいだろう:
「アートゲノム第23回〜埋もれた宝を発掘する--岩佐又兵衛の場合 小川敦生 - nikkei BPnet」(2004年10月22日)
↑ 岩佐 又兵衛『婦女遊楽図屏風(松浦屏風)』(国宝 大和文華館所蔵) (画像は、「岩佐又兵衛 - Wikipedia」より)
小生は、旧稿の中で、若い頃に読んだ(眺めた)辻惟雄著の『奇想の系譜』に刺激される形で、岩佐 又兵衛(の絵)について、先のサイトを援用しつつ以下のように書いている:
曾我蕭白や伊藤若冲らの力業を持て余した小生は、購入したとき既に古びていた辻惟雄著の『奇想の系譜』を眺めていたとき、彼らよりも、岩佐又兵衛の画業に生唾を飲み込まされていた。
つまり、岩佐又兵衛の作品を芸術としてではなく、時代の実相を今、この場で眺めている、現実の世界で起きたのは、なんのことはない、こういうことなのだ、こういうえげつないことなのだ、人を斬るとはこんなにも凄まじいことなのだ…云々と呆れ果てていたのだった。
芸術だとか作品だという観念を抱く暇さえ与えられないような生々しさを覚えつつ眺め入っていた。没入していたのだった。
もしかしたら、そういう人は今も多いのではなかろうか。若冲や蕭白を認める人も、未だ、岩佐又兵衛は芸術家の範疇に収めきれないでいるのではないか。
「アートゲノム第23回~埋もれた宝を発掘する--岩佐又兵衛の場合」というサイトを覗いてみて欲しい。小生の解像度の低いパソコンではあまり絵は鮮明ではないが、でも、迫力や雰囲気は感じられるだろう。
「写真の絵巻物の描写を見ていただきたい。この表現は、もはや「鮮烈」というレベルを超えている。「血しぶきを描いている」という生易しいものではない。絵の中で実際に血しぶきが上がっている--そうは見えないだろうか。」とは、同感以外にない。
こうした絵巻物を描いた岩佐又兵衛は、かの「織田信長に謀反を企てたことで知られる荒木村重の末子」なのだという。さもあらん、である。
彼の絵は残酷趣味というが、例えば日本刀で人を斬ると、血飛沫が飛び、肉片が散るという現実とは、こんなものだと当たり前に描いているだけなのではないか。その当たり前が、やわな現代人には残酷に映るだけなのではないか。
日本刀というのは、まさに斬る技術をトコトン、窮めた世界でも無比の武器なのである。西洋の剣は突き刺すが、日本刀は、バッサリと切り分ける。刀の反り具合の冷徹なる柳眉さの持つ残虐さ。
↑ 岩佐又兵衛 (画像は、「随筆「岩佐又兵衛は、浮世絵の元祖として蘇るか 横山 実」より) 左記のサイトで、岩佐又兵衛を浮世絵の元祖とする証左として示されている絵。古くは既に江戸時代、『浮世絵類考』において、岩佐又兵衛は浮世絵の元祖と見なされているとか。
岩佐又兵衛については、ネットでもいろいろ情報を得ることができる。例えば、下記がいい:
「随筆「岩佐又兵衛は、浮世絵の元祖として蘇るか 横山 実」
また、「川越原人のホームページ(川越雑記帳)」の中の、「岩佐又兵衛」なる頁が参考になるし、読んで面白い。
この頁は、どうやら、「小説日本芸譚」(松本清張 新潮文庫 1961年)の中の一編『岩佐又兵衛』を要約しているらしい。
ああ、ここでも松本清張が出てくる。
やはり、改めてつくづく思うけど、松本清張は巨魁だ。
関連稿(?):
「血まみれ?芳年(1)」
「血まみれ?芳年(2)」
(09/02/07作)
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