フュースリの「夢魔」…人間の魔
ハインリヒ・フュースリ(Johann Heinrich Füssli 1741-1825)のかの絵に出合ったのは、いつのことだったか。
高校時代か、それとも大学生になってからのことか。
いずれにしても彼の『夢魔』という作品は、大概の人は一度見たら忘れられないだろう。
小生もその一人である。
→ 「ハインリヒ・フュースリ展」(1983(昭和58)年11月12日- 1983(昭和58)年12月18日)図録。この表紙の絵、一見すると、フランシスコ・デ・ゴヤを連想させる。たとえば、 「黒い絵」の代表作である「我が子を食らうサトゥルヌス」など。あるいは(画家の)フランシス・ベーコンの一連の作品とか、でもむしろやはり誰しも(何と言っても!)ウィリアム・ブレイクをこそ連想するだろう。注目すべきは、「技法的にはミケランジェロに負うところが大きい。ミケランジェロは神々の崇高さを、その肉体(フォルム)の力強さで表現していますが、フュースリは人間の内に秘めている恐怖心や幻想を、感性で表現しようとした」という点か(「artbox フュースリの「悪魔」」より。)
感受性が強かったら、夢の中に夢魔が現れ出たかもしれない。
そこまで印象が強いのだが、だからといって、彼のほかの作品を調べようとしたかというと、少なくとも小生はそんな真似はしなかった。
もしかして他の作品を見て失望すると思ったのか、それともただこの絵の鮮烈な印象を壊したくなかったからか。
…何年か過ぎて彼を巡る展覧会を見るまでは、だが。
← 「夢魔」(1781 Oil on canvas 101 x 127 cm) 「『悪夢』は版画で再販され、1920年代、あの心理学者フロイトがウィーンのアパートにそのコピーを飾っていた」という。 (画像は、「フュースリー (ロマン派)」より。)
「夢魔」という言葉には、「夢」と「魔」との二つの、それぞれにイメージを想像の翼を羽ばたかせるに十分な言葉が並んでいる。
その二つが相俟って、一層、瞑想なのか夢想なのか、それとも妄想にまで至ってしまうのか、下手するとこの地上世界に舞い戻って来れないやもしれない、密度の濃い、その闇の海は渦を巻いているに違いないと思わせる、闇の世界への誘引力を現出する。
ハインリヒ・フュースリの『夢魔』の本物に対面する機会を得たのは、記憶に定かではないのだが、1983年晩秋、「国立西洋美術館」で催された「ハインリヒ・フュースリ展」(1983(昭和58)年11月12日- 1983(昭和58)年12月18日)だったと思う。
昨年の年初まではその時の図録を所蔵していたし、あるいは探せば当時のパンフレットが残っているかもしれない。
→ 「若い女性の肖像」(Oil on canvas 101 x 127 cm デトロイト美術研究所 ミシガン) (画像は、「フュースリー (ロマン派)」より。)
長年、想いを寄せてきた絵に対面するまでは、いろんな美術書で予備知識を得たし、「夢魔」というと埴谷雄高の諸著で、一層、妄想を逞しくさせられていたはずである。
「象徴主義の先駆けでもあり、シュールレアリズムの先駆けでもあった」ヨハン・ハインリヒ・フュースリについては、例えば下記が非常に参考になる:
「フュースリー (ロマン派)」
← 「パック」((シェイクスピア『真夏の夜の夢』より) 1790) (画像は、「フュースリー (ロマン派)」より。)
ここではまずは簡潔な説明ということで、まず、下記を参照する:
「夢魔:フュースリ(1741-1825)」:
チューリヒに生れ、22歳の時政治的事件に巻き込まれてイギリスに渡り、生涯イギリスで活躍します。レイノルズの影響の下に修業を続け、1770年から8年間ローマに住んで古代絵画やミケランジェロに感銘を受けます。当時のフランス画壇の指導的地位にあったダヴィッドの知遇を受け、新古典主義の推進者としてロンドンで制作を続け、99年にロイヤル・アカデミー教授になります。神話や文学に題材をとり、強烈な対比と熱情的なポーズで幻想的作品を描きます。

→ 「羊飼いの夢」 (1793 Oil on canvas 154.5 x 215.5 cm ロンドン・テイト・ギャラリー) (画像は、「フュースリー (ロマン派)」より。)
フュースリの「夢魔」に焦点を絞った頁は数々あるが、ここでは下記サイトから一部を転記させてもらう:
「夢魔」:
18世紀のヨーロッパでは、世紀末に近づくにつれて、不合理なもの、神秘的なものに対する関心がふつふつと芽生え始めます。そして、絵画の世界でも、夢や幻想、また狂気の世界を視覚化することが盛んになっていきました。これは、美の規範が深く確固としていたフランスよりも、むしろ美術的な伝統においてはやや浅いドイツやイギリスにおいて、強い傾向として見ることができます。画家たちは、まだ古典的な様式にとらわれていましたが、それでも自由な表現を試み、想像力をより強く刺激されるテーマを選ぶようになったのです。
そんななかで、スイス出身の画家フュースリは、イギリスに渡った後、プレ・ロマン主義と言われるそうした美術の先駆的な存在となります。非常な知識人として知られたフュースリは、古典の神話やダンテ、シェイクスピア、ミルトン、北方神話などから広く主題を求め、それらを介して、恐怖や憎悪、妄執といった人間の根元的な情念を、強迫観念や幻想性を強く表すエキセントリックな画面として展開し、人気を集めました。

← 「The Night-Hag Visiting the Lapland Witches」(1796 Oil on canvas 101.6 x 126.4 cm メトロポリタン美術館) 「ラップランドの魔女が、月食の時、幼児の血の臭いに惹かれやってくる」…。(画像は、「フュースリー (ロマン派)」より。)
フュースリについては、さらに、下記が参考になる。映画ファンなら尚のこと:
「アウトサイダーズ・アートブログ エルム街のフュースリ」
このブログには、「チューリヒの代官の不正を告発して騒動 を巻き起こし」たり、「ヴィンケルマン『古代美術模倣論』の英訳本を世に出」したり、へえーと思わせたのは、「スイス時代から崇敬していたジャン =ジャック・ルソーに会い、67年に『ルソーの著作と生涯について』を刊行」した経歴もある。あるいは「業界の「問題児」ウィリアム・ブレイクとも親交を結んだ」なんてことなど、ほかにも興味深い記述を読むことが出来る。
下記のサイトも参考になる:
「artbox フュースリの「悪魔」」
この記事の文末に、「詩人であり画家でもあるウィリアム・ブレイクと出会い、いい意味での「生涯のライバル」にな」るとしたうえで、さらに「フュースリとウィリアム・ブレイクは、その文学的傾向からか、描く絵には多くの共通点が見られます」とあるが、さもあらん、である。
→ 「タイタニアとオベロン」(Oil on canvas, 169 x 135 cm シェイクスピア『真夏の夜の夢』より) (画像は、「Kunsthaus Zürich Johann Heinrich Fuseli」より。)
ここでは参照し切れなかったが、下記のサイトは一つの晩年の作品《エリピュレの死》に焦点を絞っての解説が興味深い:
「《エリピュレの死》 – ヨーハン・ハインリヒ・フュースリ(チューリヒ、1741年-ロンドン、1825年) – 素描・版画 ルーヴル美術館」
冒頭の画像にて、「技法的にはミケランジェロに負うところが大きい。ミケランジェロは神々の崇高さを、その肉体(フォルム)の力強さで表現していますが、フュースリは人間の内に秘めている恐怖心や幻想を、感性で表現しようとした」といった一文を引用している。
小生は、特に若い頃、「人間の内に秘めている恐怖心や幻想」をまさに夢魔の世界として描いている画家や作家の作品に感銘を受けたし、そういった表現者を探し求めもきた。
でも、「人間の内に秘めている恐怖心や幻想」というのは、何も恐怖を恐怖として描くのではなく、まさに日常そのもの、何気ない日々そのものを描く中で、ふと振り返ったら、そこにポッカリ闇への穴が開いている、にこやかで穏やかな、円満そのものとしか思えない、その人の、ふと垣間見せた影にギクッとさせられる…、そんな光景のほうが怖く感じられる。
それが信頼しきった親や恋人、子どもらの、誰にも見せない(はずの)表情だったら尚のこと。
つまり、人間の全体像の豊かさの中にこそ陰影があるのであって、平凡で有り触れた日常や何気ない表情を描く中で恐怖をも描けるようであれば、それこそ本物のような気がするのだ。
だからフュースリがどうしたというわけではないのだが。
(09/01/02着手 09/01/03加筆)
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コメント
魅せられますね。
投稿: ナナ | 2009/01/09 19:02
こういう世界に魅せられる自分もありますね。
投稿: やいっち | 2009/01/09 20:46