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2009/01/29

少年マガジンとボクの黄金時代

 あるブログ(「「少年マガジンの黄金時代」|月灯りの舞」)を覗いたら、『少年マガジンの黄金時代 特集・記事と大伴昌司の世界』(編者: 週刊少年マガジン編集部 講談社)なる新書版の本が紹介されていた。

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→ 『少年マガジンの黄金時代 特集・記事と大伴昌司の世界』(編者: 週刊少年マガジン編集部 講談社) (この新書の表紙の真ん中の画像は、『少年マガジン』の創刊号であり、「創刊号の表紙を飾ったのは大相撲の大関(当時)朝潮」である!)

 週刊少年マガジン創刊50周年記念 特別企画!!
色褪せない記事の数々 懐かしい記憶が蘇る。あの時代よ、ふたたび! 

 初めは、ただ漫然と読み流していたのだが、そのうち、そうだ、あの頃、小生のガキの頃は漫画の本一色の生活だったんだと思い出されてきた。

 以下、思い出を綴りつつ、南村喬之のペン画の数々を付せられたト書きと共に鑑賞してみたい。

 ト書きは、転記。
 ト書きを読むと、結構、まだ感性豊かだった(?)子ども時代の小生の想像(妄想)力を刺激するに十分な簡潔なものと今更ながらに感じる。
 誰の手になるものか分からないが(多分、かの大伴昌司だろうと思うが)、時に表現を穏やかにしつつも、子どもの世界を確実に広げてくれるものだったのではないか。

 日中や学校はともかく、自宅に居る間は、漫画の本(小学校に上がって間もない頃、我が家にテレビがやってきた。それからはテレビ三昧)にかぶりついていたのだった。 

 月刊誌は『冒険王』を定期購読していて、友人は『少年』を購読し、二人で読み終えたら交換することにしていた(本当は自分が『少年』を買いたかった。そちらのほうが面白かったし、付録がよかった。まあ、人の持ち物のほうがよく見えるという心理なのかもしれないが)。

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← 「ミイラ即身仏」

 はげしいあらしの深夜、暗い山道をかけ登る男たちがいた。男たちがかついだ戸板の上には、老人の死体が乗っていた。山の中の寺についた男たちは、死体を本堂におろし、内臓を取りのぞく作業をはじめた。
 出羽三山のふもとの山寺に残るミイラは、生きているうちに地中の石室にはいり、かれ木が折れるように死んでいった行者たちだ。
 雪深い行場で絶食しながら経をとなえつづけ、五、六年かかってようやく死ぬ。死体は、そのまま石室に残したり内臓をとったりして、完全にミイラになるよう加工する。ミイラ化した行者は、生きながら仏になったということから、「即身仏」とよばれて、たくさんの信者を集めた。(即身仏のある地方=出羽三山付近などの十数か所。)

 週刊の漫画の本は、『少年サンデー』も『少年キング』も『少年マガジン』も友人に借りたり、近くの貸本屋さんで借りたりして、毎号、欠かさず読んでいた。
 でも、小生が一番好きな漫画週刊雑誌は『少年マガジン』で、学生になった頃だったか、『少年ジャンプ』に人気が集まるようになっても、好みは変わらなかった。

 高校時代までは購入して読んでいたが、学生ともなると、書籍の類いは仕送りでは買えない。
 なので、新聞配達などのバイトをやって本代を稼ぎ、買っていたが、漫画の本までは手が出ない。
 貸本屋さんがあるわけもなく、頼みの綱はラーメン屋さんなどの外食。
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→ 「死霊と語る夜」

 すぎ木立ちのおくの地蔵堂内に無気味な石地蔵が亡霊のように立ちならんでいる。その前に、ひとりの老婆がうずくまって、念仏をとなえている。地蔵のまわりには、人形やはりこの手がうずたかくつまれていた。
 地蔵は、地獄に落ちて苦しむ子どもの霊をすくう仏として、信仰されてきた。地蔵は、現実の世界と死後の世界とをつなぐ死者として、どんな願いでも、死後の霊に伝えてくれる。
 はりこの手は、手の病気の全快をいのり、「め」と書かれた板は、眼病の全快をいのったものだろう。
 地蔵堂の老婆は、いつまでも念仏をとなえつづける。いつしか、死んだ子どもの顔が、石地蔵に重なってくるという。(川倉地蔵=青森県北津軽郡川倉にある。)

 とにかく、少年マガジンが毎号欠かさず置いてある食堂に目をつけておいて、週に一度は少年マガジンを読むために(無論、他の雑誌も読む。学生時代好きだったのは、『週刊プレイボーイ』や『平凡パンチ』!『朝日ジャーナル』はほとんど読まなかった)通ったのだった。

 少年マガジンを読むための食堂通いは大学を卒業し、フリーターになり、さらには社会人になってからも続いた。
 少なくとも35歳までは、そんな習慣…習癖は続いたものだった(35歳の頃から、体質も変わって、漫画の本を読むのが億劫になった。漫画の本を読む気力・体力がなくなったように思う)。

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← 「深山ねこ岳修行」

 人跡未踏の深山の、妖気ただよう岩山に、月の夜数万のねこが、体重一貫目をこすと、超能力をそなえるといわれている。それは、各地の「ねこ岳」で修行してくるからだ。
 ねこは、一貫目をこすと、人間の知らない「ねこ岳」に行く。ここで山伏のような修行をし、神通力をさずかって、飼い主のもとに帰ってくるのだ。むかしの人は、半年もゆくえ不明のねこが、げっそりとやせて帰ると、一人まえのねこになった祝いに赤飯をたいた。
 ねこ岳に人間が行くときは、やまいぬの絵をかいた秩父三峰神社のおふだを持っていくという。(ねこ岳伝説の分布地=秋田県鹿角郡猫山一帯の農村。熊本県根子岳付近。そのほか、山口県、宮城県など)。

 漫画の本は読みやすいということもあるが、あっという間に全頁読み通してしまう。
 最初は宝石箱だった週刊誌が呆気なく蓋の開けられた魅力度の落ちたただの紙の塊になる。
 それでも繰り返し読む。飽きるまで。

 でも、漫画ばかりが週刊誌の全てではない。
 何と言っても、毎号の特集が楽しみだった。
 漫画(の科白)は読んでも、活字の多い本は読まない小生だったが、漫画雑誌『少年マガジン』の特集は興味津々で、隅から隅まで、スルメをしゃぶりつくすようにして読み漁った。目を通した。

 そうはいっても、『少年マガジン』にかぶりつくような熱意は学生になった頃には失せていたように思う。

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→ 「激流にしずむ人柱」

 何度かけかえても、流されてしまう橋があった。そこで、人柱をそなえ、川の精霊のいかりを静めることになった。
 くじびきで選ばれた十五さいにもならない少年が、雨の中、神主ののりとに送られ、川底のあなに投げこまれた。
 大むかし、人々は山や川には、目に見えない精霊がすむと考えた。橋やつつみが流されるのは、川の精霊のいかりにふれるためだといわれた。精霊をなぐさめ、人間の霊の力で不動の土台をきずこうとしたのが人柱だ。(人柱伝説の分布=岡山県津山嵯峨井堤、静岡県田方郡狩野川江間付近など全国各地。なお、人柱が実際にあったかどうかは、民俗学的に確認されていない。)

 例えば、ウルトラマンには(「鉄人28号」や「鉄腕アトム」「エイトマン」などほどには熱中できなかった。そもそも怪獣ものは好まなかった。怪獣ものが持て囃される頃には、小生は既に実際の遠い過去に生きた恐竜などのほうが遥かに好奇心の対象だったようだ)。

『少年ジャンプ』にあまり飛びつかなかったのも、長く『少年マガジン』(や『少年サンデー』も『少年キング』など)のファンだった小生なりの変な意地…へそ曲がりな抵抗のような心理が働いていたようだったが、同時に、掲載される漫画の大半に感覚的な齟齬を覚え始めていたからでもある。

 思えば、出来の悪いガキだった小生にとって、『少年マガジン』などの漫画雑誌が社会の窓であり、学校だったような気がする。
 教科書だと活字はもとより挿し絵だってロクスッポ眺めないのに、漫画の本だと活字も(当然、ふり仮名が付いている)マメに読むから不思議である。
 書き手や編集者の読者の興味を惹こうとする工夫が層を効していたいたのか。

 『週刊 少年マガジン』は、1959年3月17日に創刊号が出されている。小生が物心付き始めたころ、保育所に通っていた頃だ(物心付くまでの数年は病院を盥回し)。

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← 「地底のねずみ浄土」

 畑のまん中や野原の草かげに、ひょっこりあいた異様なあなをのぞき見ると、そこには、想像もできない世界があった。黄金にかがやく宮殿や水晶をしきつめた道路に、無数のねずみがいる。人間と同じ服を着て、人間と同じ生活をしている。とめどなく黄金小判のあふれるうすや、とりきれない果実。
 地底の世界にすむねずみたちは、豊かな毎日を送っていた。たまに人間が落ちると、きずのなおるまで地底においてくれる。
 地底になにがあるか、まだはっきりわからない。むかしの日本人は、ここに豊かな世界があって、地上人の侵入をはばみながら生活している者たちがいると考えた。「ねずみ浄土」もその一つだ。(ねずみ浄土の分布する地方=東日本の各地。)

 イタイイタイ病などの社会問題も(確か日本の奇病という扱いでの特集だったと記憶する)『少年マガジン』での特集でその存在や深刻さを知らされたのだった(黒い血など、日本の奇病などと、怖さを煽られる形だったような曖昧な記憶があるのだが)。

 小生に多少なりとも教養があるとしたら、その少なくとも土台は『少年マガジン』などの漫画雑誌が培ってくれたのだと今更ながらに思った。

 というわけで、冒頭のブログを読んで間もなく図書館で予約し、今、現物を目の前にしているわけである。

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→ 「火煙できつね落とし」

「この病気は、きつねつきだ。きつねを追い出せば、医者にかからなくても病気はなおる。」
 行者がくるったようにたいこを鳴らし、じゅ文をとなえだした。へやのまん中の火ばちに、まつ葉やとうがらしの粉をくべて、けむりを立てる。炭火には、かまやつるぎをさしておき、鉄がまっかに焼けると、じゅ文をとなえながら、病人にそれをおしつけるのだ。
 病人が苦しがってあばれると、親族たちがおさえつける。油あげだけを病人に食べさせ、三日も四日もねずにつづけられるため、助かるはずの病人も、つかれとうえのため死んでしまうことが多かった。「きつねつき」は迷信にすぎないのだ。(「きつねつき」を信じている地方=東北山間部、関東、中部山間部、中国九州地方全般に根強くのこっている。)

 パラパラと捲るだけでも実に楽しい。
 数多くの特集がダイジェストされているけれど、そうだった、この絵や記述に興奮させられたと、懐かしさが興奮と共に蘇ってくる。
 掲載されている画像に付せられた説明の文字など、細かくて老眼の小生には読むのは億劫なのだが、それでもついつい読んでしまう。未来の科学・技術はこうだという特集は、夢を育むものがあった。

 せっかくなので、別に書評ということではなく、ただ、懐かしさの念をかみ締めたい一心で、ちょっと変則的な感想文を書いてみようと思ったのである。

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← 「土蔵の中の密議」

 一けん家に、黒い人かげが集まってきた。「かくし念仏」の集会が開かれるのだ。見張り役の警戒する一けん家の奥の土蔵の中で、ひとりの少年が一心に念仏をとなえている。少年は、まる一日暗い土蔵の中に正座しているのだ。やがて、少年が疲労のためたおれると、智識とよばれる老人が少年の顔をしらべ、仏と同じ表情がでていれば、信者の組織にはいれる。これは、七さいから十五さいまでに行なわれるお取り上げとよばれる儀式だ。
 かくし念仏は、いまなお東北の各地に伝わっているが、信者以外にはぜったいしゃべらないため、そのほんとうのすがたは、信者だけが知っている。(かくし念仏の分布=岩手県全域の農・山村。宮城・福島・山形・青森各県の岩手県寄りの山村各地。)

[日本の秘習・参考文献]
・孤猿随筆(柳田国男)
・一つ目小僧その他(柳田国男)
・海上の道(柳田国男)
・日本の憑きもの(石塚尊俊)
・憑霊現象と特殊家系(桑田忠雄)
・秘められた世界(毎日新聞社)
・日本民俗図録(朝日新聞社)
・民俗学辞典(東京堂)

(09/01/28作 本稿については、ココを参照のこと。)

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