林清納…インドの非日常という日常
どういう経緯でだったか忘れたが、林清納という画家の存在を知った。
多分…、今年二月末に富山に帰郷した小生なので、富山出身か富山に関係する画家をネットであるいは雑誌や冊子そのほかで探し求めていてのことだったと思う。
→ 林清納「孫娘と」(46×89cm) (最初に林清納(はやしきよの)の名を目にしたのは、この絵の画像が載っている、「洋画分野所蔵作品紹介」という頁だった。)
折々、機会があれば、富山の風景を描く絵あるいは描いている画家に焦点を合わせてきたし、これからもそうするつもりでいる(その内、人物画そのほかにも焦点を合わせるつもりだが)。
名前は小生にとっては、初耳。
まあ、美術についても情報にも消息にも疎い小生なので、知らない画家や作家が大半だろう。
その実、知る人には知られている存在だったりする。
「林清納(はやし きよの) 画家 洋画 [Artis-アルティス]」によると、林清納(はやしきよの)は1936年、富山生れだとか。
さらに、「新川地区 週末イベント情報 20070809」によると、「林清納氏は、1936年砺波市に生まれ、郷土砺波で活躍し続ける。2006年北日本新聞文化賞を受賞」などとある。
← 林清納「インドの女・生シリーズ(女占師・大道芸人A・B)」(額装 3面対) (画像は、「作品詳細 インドの女・生シリーズ(女占師・大道芸人A・B)」より。この頁へ飛べば、絵の詳細と共に、拡大画像を見ることができる。「女性たちは赤・黄・緑・青など原色の色面で描かれたバックと一体化し、ことに中央の占師は真紅に描かれ、灼熱の大気と大地とに同化したかの感がある。夢幻的な作品であるが唯一白い炎がリアリティを持って描かれ、それを左右の大道芸人が見つめている。この白く揺らぐ炎がこれら3面の中心ということになる」といった作品解説も興味深い。)
別にこうしたプロフィールで気に入って、同氏について調べてみようと思ったわけではない。
「アートシティ「展」展覧会訪問」なる頁で同氏の絵を見て、直感的にフィットする何かを感じたからである。
→ 林清納「ものうりの少女」(2007) (画像は、「林清納 水彩画展インドシリーズ 2006年1月7日(土)~1月17日(火) ギャラリーノア(石川県白山市)」から。) 題名は「ものうりの少女」であり、実際、少女が描かれているのだが、背景(?)に溶解しているようでもある。
この中の、「林清納 水彩画展インドシリーズ 2006年1月7日(土)~1月17日(火) ギャラリーノア(石川県白山市)」での紹介が興味深い。
「林清納は、昭和11年富山県砺波市生まれ。金沢美術工芸大学油画科を卒業。昭和会展やサロン・ド・アブリル展に招待出品、安井賞展では14回入選、その他受賞を重ねる。現在、風土会会員、富山県芸術文化協会副会長、日本美術家連盟会員、金沢美術工芸大学非常勤講師」といったプロフィールもさることながら、下記の記述にも僭越ながら共感するものがある:
多様な人種と民族が暮らし、多数の言語と宗教が存在するインド。そこに生きる人々や風景を描いた、画家林清納の水彩画“インドシリーズ”を紹介する。40年前、インドを初めて訪れた。ちょうど1年間をヨーロッパで暮らした後のことで、日本人としての自分の絵を模索していたという。インドでは人々の力強いエネルギーと土着の文化に惹かれ、自分らしい感性でインドを描きたいと思った。生と死を色濃く感じさせるインドの日常は、作品の原点に「死」を掲げる作家にとって現在でも重要なモチーフとなっている。ガンジス川や建ち並ぶ古い建物を描いた水彩画のほか、インドで生きる女性を描いた“鎮魂”シリーズの油絵作品2点を展示する。
← 林清納「鎮魂D」(2002) (画像は、「林清納 水彩画展インドシリーズ 2006年1月7日(土)~1月17日(火) ギャラリーノア(石川県白山市)」から。) 人が生きている。人には人が大事。でも、悠久の時、無辺大の時空を前に人は泡沫(うたかた)の存在ですらない。生れては、須臾(しゅゆ)にして塵芥に紛れ込み消えていく。だからこそ今ここという一瞬が大事と思うのは人間の性(さが)なのだろうが。人間が織物の模様に織り込まれているようでもある。その<模様>を人間と認識するのはたまたま人間が見ているからに過ぎない。犬が見れば(一応は特別な)生き物の一種に過ぎず、ネズミが見ればただの巨大な生物であり、埃からしたら、無様に動き回る変てこな埃の一粒に過ぎないのかもしれない。
この頁には、「沐浴の街」や「クトゥブの遺跡」、「インドの女・鎮魂」などの絵(画像)が載っているが、画像の拡大ができない。
でも、その小さな絵の色使いの暖かさや全体的な明るさ(?)にも関わらず、画面を引き裂くような黄色い閃光の走っていることが気に掛かる。
ネット検索していて、「特別展 ―インドの女シリーズ―林清納展」なる頁をヒット。
既に終わっている展覧会だが、幾つかの絵(画像)が載っている。
同氏についての紹介も上掲のサイトとは一味違う:
(前略)油絵との最初の出会いは中学時代にさかのぼる。黒田真一氏から油絵の指導を受け、弱冠15歳にして県展で初入選を果たす。高校時代には川辺外治氏、金沢美術工芸大学時代には高村一也氏と出会い、さらに高等な指導を受ける。林氏は、大学在学中に「創元展」で入賞を続け、卒業後、1961年25歳という若さで創元会会員になるなど、若き日からめきめきと才能を開花させていった。
彼は積極的に海外へスケッチに赴き、そこで感じ得たエネルギーをキャンパスに写し取り、作品を発表し続ける。その中でも代表作といえるのが、1973年から12年間手がけた、ポルトガルの漁村に生きる女性たちを描いた「ナザレの女シリーズ」、そして、1984年から20余年にわたり一つのテーマに沿って現在まで描き続ける「インドの女シリーズ」であろう。このシリーズは、常に死が取り巻かれる厳しい日常の中で、大地に這いつくばってたくましく堂々と生きるインドの女達から湧き上がるエネルギーを、色彩豊かに描き上げている。描かれた女性の儚さや繊細さを感じながらも、その力強い瞳にこめられた生命の輝きに思わず吸い込まれそうになる。
→ 「悠」(1990) (画像は、「林清納 水彩画展インドシリーズ 2006年1月7日(土)~1月17日(火) ギャラリーノア(石川県白山市)」から。) 解説には、「このシリーズは、常に死が取り巻かれる厳しい日常の中で、大地に這いつくばってたくましく堂々と生きるインドの女達から湧き上がるエネルギーを、色彩豊かに描き上げている」とあるが、そうだろうか? 逞しく生きる女たちが描かれているのでもあろうけれど、そうではあるにもかかわらず、そうした人間の営みをも超えた大地や大気のエネルギーこそが主眼なのではないかと思える。この作家これらの絵の数々は、インドという悠久の大河と大地の世界との遭遇を通じ、きっともっと「土」や「気」を意識した世界へ向っていくような予感をさせる。たかが人間、されど人間、でも、やはりたかが人間の営み…。
(08/10/21作)
「富山市佐藤記念美術館」の一階フロアーにて、「水彩画展インドシリーズ」中の作品一つを間近に見ることができた(08/11/12 追記)。
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