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2008/11/10

「川中美幸コンサート」へ(後篇)

[本稿は、「川中美幸コンサート」へ(前篇)」に続くものです。…でも別に前篇を読まなくても支障はないけどね。]

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← 白っぽい和服から、真っ赤なドレスへ衣裳替え。歌も演技も上手いが、トークが絶妙だということを知った。オヤジギャグも交えてみたり。富山を歌った歌って、ありますと観客に聞く。「風の盆恋歌」といった曲名が出てくる。そこから、富山を代表する食べ物を観客に聞く。鱒の寿司、白エビ、ブリ…。彼女には「金沢の雨」という曲がある。こうしたネタを仕込んだ富山の歌も作りましょうか、なんて話もしていた。ただのサービストークだったのだろうか。

 そうした誤解も含めて歌はヒットする。正解など、正確な理解などありえるのかどうかなど小生は分からない。
 ジャズを日本固有のジャンルの音楽だと見なす人など居ないだろうけれど、日本人が歌ったり聴いたりしたら、もうその時点で日本人なりのテイストに加味され、案外と演歌や歌謡曲を聴いている年輩層と、同じような心持で音楽に浸っているってこともありえないではない気がする。

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→ その真っ赤なドレスを脱ぎ捨てて、中からはグラマラスなボディラインも露わに(?)白いミニスカート姿へ。結構、ボン! ギュッ! パッ!? 画像を見れば察することができると思うが、脱ぎ捨てたはずの真っ赤なフリル一杯のドレスが、巨大なレイに成り代わるという趣向だったのである。

 演歌は、もう、昭和の時代のようにはメインとはなりえないのかもしれない。
 多様な音楽が、流入しているし、混在しているし、フュージョンしている。
 そもそもどのジャンルの音楽であっても、音楽シーンのメインにならないし、なる必要もないのかもしれない。

 特にテレビでは年輩層には、日本人の作り手の日本人の歌手らによる演奏(ボーカル)であってさえも、全く異質な世界、他国の文化で、水と油以上に溶けあわない、受け入れがたい音楽に感じられているようにも思う(小生はそう感じている)。

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← そのバラの輪の内外に、バックバンドの仲間たち(愉快な仲間たち)が集まって、みんなでダンス。これだけのメンバーを率いて、全国各地を巡る。そのトップ。実力と人気。持続させる力それとも情熱の凄さを感じる。それにしても、バンドのメンバーの方々の名前やプロフィールなど分かれば明記するつもりであれこれ調べたのだが、ネット上では分からなかった(情報の探し方が下手なのかもしれない)。ショーの出演者やスタッフらの名前がすぐに分かるように、ネット上のショーの広告宣伝のチラシにも書いておいてもらいたいものだ。いずれもプロの方たちばかりなのだろうし、ショーで演奏や演技やアイデアやそのほかで光ることで一層の飛躍を果たしたいと思っている方も(全員かどうかは分からないにしても)少なからず居るはずと思うのだが。

 バブルが崩壊した平成二年以降は、音楽だけじゃなく、日本の社会自体が分裂してしまったような気がする。
 同じテレビの同じ番組の同じ顔ぶれの歌手やタレントが誰にとっても共通の話題たりえた(かのような)幻想はバブルの崩壊と共に崩れ去ったのだろう。

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→ 川中美幸さんは、たとえば「明治座135年の歴史で女性歌手として初めて正月公演(2日初日)の座長を務めた」ほどの芸達者な方。テレビドラマ水戸黄門にも出演される。そんな芝居心を髣髴させる光景が随所に見られた。

 よくも悪しくも、年齢層を問わず、ごく限られた作曲家や作詞家の楽曲(と歌手)を同じ茶の間で見るしかなかった時代とは、隔世の感がある。
 録画やダウンロードするという方法などの誕生、そして各家庭にテレビが複数あるようになったりして、別々のテレビで別々の番組を別々の方法や場所や時間に、それぞれの思いで音楽やドラマを視聴する。

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← 最後は、「おんなの一生~汗の花~」や「歌ひとすじ」、「ふたり酒」などを歌ったあと、新曲の「木曽川しぐれ」(作詞:水木れいじ/作曲:弦哲也)をもう一度。シングルCDを買うと、サイン入り色紙とクリアーファイルがサービスです、なんて宣伝されて、ホールを出る頃には、小生、もう買う気になっていた。

 いい悪いの問題ではない。後戻りもする必要はない。誰もが同じ番組を見る、限られた数の作曲家や作詞家や歌手や演奏家のステージを見る、そんな窮屈さを既に取っ払ってしまって二十年近くとなる。

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→ で、シングルCDを買ったらもらえるというサイン入り色紙。CD(ジャケット)は、前篇冒頭付近に画像を掲げてある。

 多種多様な音楽シーン。それぞれがそれぞれの嗜好で音楽などを楽しむ。自らが歌手のつもりになる。自分独自のルートで新規の歌手やエンターテイメントを渉猟する。
 西欧だけじゃない、ブラジルや中国やインドやアラブやアフリカや少数民族の音楽。雅楽や民謡などなど。

 まあ、要は自分の好きに楽しめばいいってことか。


演歌関連拙稿:
作曲家・市川昭介氏 死去…演歌とは顔で笑って茨道
一茶『我春集』を読んでたら

                             (08/11/07(8)作)

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