「虎」の岸駒
[本稿は、昨日アップした「「虎」の岸駒に会いに行った」の中で予告(?)していた、「「虎」の岸駒」です。]
富山出身ないし富山にゆかりの画家(アーティスト)を探している。
偶然、岸駒(がんく)という絵師の存在を知った。
岸駒(がんく)は、「岸駒 - Wikipedia」によると、「江戸時代の画家。字は賁然。同功館・可観堂などと号す。岸派(きしは)の祖。加賀国金沢(現、石川県金沢市)出身」とある。
← 岸駒「乳虎之図」(軸装 縦172 cm × 横116 cm)
が、「石川県立美術館 所蔵品データベース-作家一覧 岸駒」によると、「現在の富山県に生まれ、金沢で育つ。姓は佐伯、名を駒とし、後に岸氏に改姓する。一般には音読みが通用する。画家で、京都で独学、諸派をあわせてみずから一家をなして岸派を開く。虎を描いたものは、とくに評判をとる」とある。
金沢出身とある以上は、金沢生まれなのか、それとも富山生まれなのか。
一方、「富山ゆかりの画人岸駒-岸家伝来の絵画資料をまじえて- - 富山県富山市の展覧会 - Yahoo!地域情報」などといった企画があり、催されるのも、「富山市佐藤記念美術館(郷土博物館)」と、富山の美術館。
やはり、生れは富山なのか。あくまで育ちは金沢と理解していいのか。
→ 岸駒「芙蓉峰図」(19世紀前半(江戸後期) 絹本墨画金泥引 掛幅装 98.2×143.0) (画像は、「静岡県立美術館【主な収蔵品の作家名:岸駒】」より。右上有栖川宮の賛は「たなひく雲より 白雪のみゆるは ふしの高根なりけり」とのこと。)
「博物館だより 『霊猫図』 岸駒」には、「母のきよが越中東岩瀬(現 富山市岩瀬)の出身といわれ、岸駒も富山生まれではないかという説もあります」と書いてある。
まあ、いずれにしても、富山にゆかりのある人物なのだろう(多分)。
この岸駒は、「岸駒 - Wikipedia」の「略歴」によると、「有栖川宮の近侍となり、沈南蘋派、円山派などを学び、これらを折衷し、主に京都で装飾的で筆法の鋭い障壁画などを描く。主に虎をモチーフにした構図を得意とした」とある。
← 岸駒(がんく・きしこま)「霊猫図(れいびょうず)」(京都のお寺にあった襖絵。今は博物館に。絵の右上にある黒い点は、襖絵として使われていたことを示す持ち手の痕。) (画像は、「博物館だより 『霊猫図』 岸駒」より。)
さらに、上でも参照した、「佐藤記念美術館企画展案内」(会期 平成20年10月4日(土)~11月16日(日))によると:
円山応挙や呉春を筆頭に、数多くの絵師たちが活躍した江戸時代後期の京都。岸駒は、黄金期の京都画壇において大活躍し、声望一世を風靡した越中ゆかりの画人です。
越中あるいは加賀の出身とされますが、画人として身をたてるため、金沢から京都にのぼったようです。円山応挙の門下としてスタートし、有栖川宮家に出入りを許されることが出世のきっかけとなり、御所の障壁画を描くなどで名を挙げ、ついには、文化10(1813)年頃の絵師の番付で、堂々の大関にランクされる人気作家となりました。門弟も多数を抱え、明治まで続く「岸派」の祖として、晩年まで健筆をふるい、天保9(1838)年天寿をまっとうしています。
→ 岸駒「蘭亭曲水図」(文政7年(1824) 絹本墨画淡彩 83.7×114.1㎝ 軸装一幅) (画像は、「岸駒「蘭亭曲水図」」より。「蘭亭曲水は、中国東晋時代の永和9年(535)3月3日に、浙江省の蘭亭に王羲之が文士41人を集め修禊(みそぎ)を行った故事に由来するもので、曲折した流水に杯を流し自らの前を過ぎるうちに作詩をする趣向が催された。これを画題にした蘭亭曲水図は、高潔な文人の営みに憧れた南画の画題などに取り上げられた」という。)
「岸駒 」の作品は、「石川県立美術館 所蔵品データベース-作家一覧 岸駒」にて画像を数点、見ることができる。
やはり、虎をモチーフにした絵が多いようだ。
また、「佐藤記念美術館企画展案内」でも、二点、見ることができる。
「「岸駒(がんく)の虎」全篇 轟亭の小人閑居日記 馬場紘二」にて、「岸駒の虎」という落語の粗筋を読むことができる。
岸駒の人気沸騰ぶりを物語る噺なのだろう…か。
← 岸駒「白蓮翡翠図」 (画像は、「特別展 京都画壇 岸派の展開」より。)
岸駒が虎の絵を描くにも苦労や工夫があったようだ。
「おおさか ふらっとミュージアム 岸駒という人」にて、以下のようなエピソードを知ることが出来た:
(前略)岸駒が活躍していた頃、生きた虎を見ることはできませんでした。でも、迫力のある虎の絵を描きたいと思った彼は、中国から虎の頭の剥製や手足を取り寄せて、その毛の生え方などを細かく観察し、それまでにはなかった勢いのある虎の絵を描くことに成功したといわれています。
この頁では、岸駒の「牡丹孔雀図」を見ることもできる。
→ 岸駒「龍山落帽図 1幅」 (画像は、「龍山落帽図 岸駒」より。「「龍山落帽」とは、中国の晋の時代、龍山で開かれた重陽の酒宴に招かれた孟嘉が風で帽子を飛ばされたにも関わらず、平然と酒を飲み続けたという故事。中国では、人前で帽子をとることは極めて恥ずかしいこととされていたため、この席を囲んだ者たちは、孟嘉を嘲る詩を作ったが、孟嘉は機知をもってこれに返した」とある。 この頁には、部分拡大画像も載っている。)
参考:
「書家岸駒居住地の石碑京都 丸竹夷二押御池♪」
「心城院 岸駒像」
「●岸駒『竹鶏図』|ArT CoLLecTioN@白大蒜と赤唐辛子」
(08/10/31作)
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