富山を描いた絵画の数々(4)
富山を描いた絵画の数々を順不同で掲げていくという趣向のこの記事も4回目となった。
無論、全てを網羅できたわけでも、できるわけでもないが、といって大よそをカバーしえたわけでもない。
← 先月、県知事選があり、投票場となっている近くの小学校(母校!)へ、足を運んだ。学校のグラウンドは、幼時のある際に何度となく通り過ぎているが、体育館とはいえ、母校の建物の中に入ったのは、小学校卒業以来である。つまり、四十年ぶり! 出来の悪い小生には学校は敷居が高い。この画像は、投票を済ませたあと、帰ろうとしたら、廊下に生徒の作品が張り出してあるのを見かけ、思わず自転車を降り、窓(ガラス)越しにパチリ。子供、それも、幼児からせいぜい小学校の一年か二年までの子どもの絵を見るのは好きだし、楽しい。多くの子に想像力の可能性を感じる。…けれど、小学校の低学年を過ぎる頃には学校教育のなせる結果なのか、子どものうちに<常識>が育まれてしまって…なのか、思わず知らずのうちに規格に嵌まった、想像力が枯渇したかのような絵に成り果ててしまう。想像の翼に世間が、あるいは自分で重石をつけてしまうのだろう。
例えば、「特別展「剱・立山展 ―山の見える町に暮らして―」」が「西田美術館」で、「郷土を描く―富山県立近代美術館収蔵作品より」が「富山市八尾美術保存展示館」にて、それぞれまさに今、会期中なのである。
いつかは足を運んで見たい美術館や博物館が富山県内にもあると分かっているのだけれど、家庭の事情もあり、バス代にも事欠いている小生には、近くて遠い。
だからこそ、ネットでその余韻や雰囲気をでもと、ささやかな営みを為している。
とりあえず、この企画(シリーズ)は、今回で終えることにする。
→ 百瀬太虚「秋彩 (呉羽山公園より)」(F4号) (画像は、『第48回 一枚の繪富山大絵画展』より。) 「百瀬太虚 ArtGallery」というホームページにてもっと同氏の作品を見ることができる。「桜を描くことをライフワークとする画家」だというが、「百瀬太虚 作品3」には猫の絵などもあって、テーマ的に幅広いものを持つと分かる。「百瀬太虚 プロフィール」。「富山新聞ホームページ - 富山のニュース」によると、「明文堂書店(富山市)は一日、富山市の富山国際会議場で開かれる「一枚の繪富山大絵画展」を記念して同市中央小に油彩画を寄贈した」ということで、「贈られたのは百瀬太虚さん(埼玉県在住)の「風のささやき」。長野・上高地の森林で厳しい風雨に耐えて幹を太くするカツラの木を主題としている」とか。
← 鎮西直秀「瑞彩 富山湾光映」(変3号) (画像は、『第48回 一枚の繪富山大絵画展』より。) 「一枚の繪 - 鎮西直秀油彩画展」にて同氏の作品をもっと見ることができる。「一枚の繪 - 作家一覧:鎮西直秀」にて、同氏の作品と共に、画歴を知ることができる。「1953年 高知県高岡郡に生まれる」とあって、「高岡(郡)」という地名に、思わず反応しそうになったが、高知県なのである。ここでは範疇外で載せられなかったこれらの作品を含め、特集してみたくなる作家だ。
→ 姫野裕一「雨晴海岸と立山連峰(富山県)」(F8号) (画像は、『第48回 一枚の繪富山大絵画展』より。) 「一枚の繪 - 作家一覧:姫野裕一 」なる頁を覗くと、「初夏の上高地(河童橋)」と題された絵を見ることができる。上高地は小生にとって懐かしい土地なので、思わずアップしたくなったけれど、我慢。富山じゃないからね。「1975年 埼玉県に生まれる 1997年 武蔵野美術大学卒業 2001年 現代洋画精鋭選抜展銀賞」といった画歴の方。
← のび太:平澤 薫 (ひらさわかおる)「曙の富山城」 (画像は、「… 風景画の部屋 … 曙の富山城:F4コットマン」より。)
それにしても、似たような富山の名所(?)をこぞって描いているように見受けられる。
どうしてなのか。
立山・黒部(の山々)を描かないと、(知名度も含め、題名上での印象度が足りず)テーマ性に乏しいか弱いと考えられるのだろうか。
→ のび太:平澤 薫 (ひらさわかおる)「富山市役所から見える建物」 (画像は、「… 風景画の部屋 … 富山市役所から見える建物:F4ワーグマン」より。) 「… 風景画の部屋 …」は、「2004年からの水彩画の歩みを記しています」という、同氏のブログ(日記)。
富山の市街地には絵になる箇所が少ないと思い込んでいる? あるいは名所でないと描く気になれない?
もっと街中の風景を描いて欲しいものである。
環水公園など、描くべきスポットはありそうな気がするのだが。
というわけで、「のび太:平澤 薫」氏の絵を二つ、掲げてみた次第である。
参考:
「版画にみる富山の美術」
「富山ゆかりの画人岸駒-岸家伝来の絵画資料をまじえて- - 富山県富山市の展覧会」
「セレネ美術館」
「服部 譲司 「草花」 油彩F8 - e-gallery ichimainoe」
「一枚の繪 - 作家一覧:葛西俊逸」
関連拙稿:
「古川通泰のこと」
「織田一磨…消え去りし世を画に遺す」
「前田常作:曼陀羅画に壺中天!」
「山を愛した風景画家―吉田博」
(08/10/21着手)
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コメント
そうですよね、家庭で家族を介護されている方とかは、ヘルパーが家に入ったりするので、常に家に気を向けていなければならず、美術館どころではないですね。
老人ホームに母を預けて安心して美術館いける僕はしあわせだ。
ところで図録の印刷だと本物の味わいが損なわれると
図録をわざと買わない人もいますが、弥一さんはどう
思われますか?
僕は論考を読みたくてつい買ってしまいます。
投稿: Oki | 2008/11/07 22:23
Oki さん
小生は、ただ家に居て無駄飯喰らいをしているようなもの。
あれこれあって思うことは、父母に限らず人を世話できるような人間じゃないってことです。
土に近いような生活をしていて、日々、つくづく自分の未熟さや偏屈さを痛感するばかりです。
まあ、美術館もいいに違いないけど、自然そのものが天然の美の館と心得、美醜を問わず楽しみたいと思っています。
その上で、人の手になる美や快や楽を楽しむ機会に恵まれたら、それはそれで素晴らしいということです。
図録は、美術館や画廊などに足を運んだことのない人間(子どもはともかく)には、ちょっと危険(誤解を生みやすいという意味で)な代物になりえるのは確か。
でも、何度となく博物館を含め、本物を鑑賞したことがあるようなら、図録と実物との間には、必ず違いがあることはつくづくと実感しているし体験しているはず。
時に図録のほうが本物より良さそうに見えたりする。
それこそ、カタログ販売などで料理や宝石や商品がドレスアップされて見える(性能や機能も含め)ようなもの。
いざ、手に取ったらガッカリってことも(逆もある。想像以上に実物は素晴らしいことも)。
その上で、図録に載る論考や資料的情報の貴重さはもとより、作品の画像(写真)だって貴重な情報に違いないと思っています。
小生は、実際に足を運べない、あるいは貴重すぎて鑑賞の機会は一生、あるかどうか分からない、あるいは個人蔵になっているような作品をネットで見られる限りは見ようとしていますが、ネット上の写真(画像)も、実物との齟齬や違和感を斟酌しつつ、想像しつつ<鑑賞>しているわけで、図録の延長としてネット上でも留保をしつつ楽しんでいるつもりなのです。
ネット(図録)から得られる情報が貴重なように、ネット(図録)で見られる絵(画像)も貴重であることに違いは余りないと思っています。
この辺り、図録論(ネット上での鑑賞論へ拡大しての議論も含め)が展開できそうですね。
投稿: やいっち | 2008/11/08 03:16